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こんな僕の一番の親友が何故か超常識人だった話【小学生時代の記憶を27歳の自分が考察してみた⑬】

2週間連続更新12日目です。店休からの職場復帰が出来るのか心配になってきました。なかやです。

前回は3年生のころの担任、上森先生に「エロとは何か」を真剣に説明した話や、僕の行動原理にせまる、「みんながなかやくんじゃないの」事件を紹介させてもらいました。両方いろんな意味でヤバい話だったので自分的には謎回でした。ただ、節々で大事な内容も出てきたのでまだよかったかなと思います。

小3の頃と言えば一番仲の良かった友達はターピー(仮)でした。(タイトルの絵はターピーが少しだけぽっちゃりしていたので選びました)僕の友達は伸ばし棒率がちょっとだけ高めです。ターピーとの友達関係は、いっしーのときのように何かしたというよりも、だいたい何をするにも一緒だったというイメージが強いです。休み時間にドッジボールをしたり、放課後に家に遊びに行ったり、毎年ハリーポッターを見に行ったり・・・たくさんの経験を一緒にしたという感じです。なので、ターピーとのこれをした!という思い出はそこまで無いのですが、文句なしに小学3年生の頃の一番の親友だったことは間違いありません。ターピーは一言でいえば、超地に足がついてて、考え方がしっかりしていました。そんな彼が何で僕とここまで仲良くしてくれていたのか不思議でしょうがないです。

なので、何故ターピーとの話がそこまで無いのか真剣に考えてみました。恐らく、僕が思うにターピーが「超地に足がついてた」ということが最大の理由ではないかと思います。ターピーは僕と常にいたにも関わらず、「考えなしに同調する」ということをほとんどしない人間でした。むしろ、いくら僕が楽しそうにしていても、自分がアカンと思うことは僕を止めたり、それでも僕がそれをしようとするときには諦めてスーっとどこかに行ってしまうというのがよくありました。そして、その判断基準が恐ろしく正確だったのだと思います。ここまで書きながら思い出そうとしてみましたが、ターピーと2人で先生に怒られた経験というのは1回もありません(もちろんターピー単独で怒られていたという回数も0)。

これだけ書くと、ますます何でこんな僕と仲良くしてくれていたのか、こんなにもすごいブレーンが近くに居るにも関わらず上森先生からキツいマークを受ける状態になっていたのかという2つの疑問が浮かんできます。1つ目の疑問はそのような時々先生に怒られてしまうような事案はあるものの、基本的には常識人だったのではないかと思いましたが、そうすると2つ目の疑問が何故成立したのかが説明がつかなくなってしまいます。逆に、2つ目の疑問は自分の快不快を優先する自己中だったと考えてしまえば説明が付きますが、今度は1つ目の疑問が、そんなしっかりしたターピーなら愛想をつかして仲良くしてくれないはずとなってしまうので、ある種、悪魔の質問と化してしまっています。まぁ何はともあれターピーが当時一番仲の良かった友達であったことと先生にキツくマークされていたことは実際に同時進行していたので、だれかこの悪魔の質問の答えが分かる方がいらしたらコメントで教えていただきたいです。

小学3年生の頃の話を探してみましたが、別の友達とマラソン大会前に10日間くらい毎朝走り込みをしていたら、その友達は学年別の歴代新記録の1位で、ぼくは120人中100番近かったというエピソードくらいしか思い出さなかったので、ちょっと短いですがここで切ろうと思います。それでは今日のおさらいです。

・ターピーという常識人の親友をもつ

・しかし上森先生からは依然キツいマーク

・なぜターピーと一番仲が良くありながら、先生からおこられまくっていたのかその理由は不明

といった感じです。ちょっと雑すぎないかと思ったので見直しましたが、本当にこんな感じです。そういう意味では今回は内容だいぶ薄かったかもしれません。たまにはこういう回があっても良いと思いたいです!明日からは小学4年生です。気長に読んで頂けると幸いです。

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