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鶏か卵の議論は恥ずべき失言!?

"鶏と卵だね"は恥ずべき理論


鶏と卵を比喩に、結論や感想を述べる社会人を見ることは少なくないが、"鶏と卵だね"という発言は恥ずべきである。

世界が誕生した時、鶏と卵のどちらが先に誕生したのか生物学的な議論を論ずるこの比喩は、きっかけが分からないから何も出来ない・やらない宣言として使われる。

この言葉で分かったつもりになったり、大変な事から逃げたりしていては、思考は停止する。

例えば、

・優秀なメンバーがいないから事業が上手くいかないのか、事業が上手くいかないから優秀なメンバーを集められないのか。

・売り物に魅力が無いから売れないのか、売上が伸びないから売り物を良くする投資が出来ないのか。

こんな事ばかりを議論する会議に何の生産性があるでしょうか。

鶏と卵の循環を生み出せ

まず、どんなに小さくても良いので、循環を生み出す事が全ての始まりです。

決していきなり鶏を創造したり、卵を産んだりと神がかった能力を発揮しろという訳ではありません。

循環が生まれるきっかけとなる一歩踏み出すことが大切であって、その中身は循環が回り始めた時に改善すれば良いのです。

先ほどの

・優秀なメンバーがいないから事業が上手くいかないのか、事業が上手くいかないから優秀なメンバーを集められないのか。

を例にしましょう。

例えば、あなたが1年後に達成したいビジョンをオープンにして、賛同してくれるメンバーを探せば先に優秀なメンバーが集まるかもしれません。

または、外部の優秀なメンバーに一時的に助けてもらい、その手法を今のメンバーに体感・模倣させようと取り組めば、今のメンバーで大きな事実を成し遂げられるかもしれません。

あくまでも循環を生み出すきっかけにすぎず、この一歩目の行動の成功・失敗はどうなっても良いのです。

鶏か卵を生み出そうと頑張った結果、勢い余ってヒヨコが産まれたって良い訳です。


Do first.

まず、何かやってみましょう。


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