私の在るところ

冒険したい、

面白く世界一周したい、

こんなことを発信したい、


けど、自分の能力を超えて既にやっている人をみると、

じゃ、もういっか。

と、興味をなくす。


1人とかなら、私にもできるかな?!できるかも?!も頑張ろうと励むけど、

それが何人にもなると、

じゃ、任せよ。

となる。


なんなんだ、私は。


昔から両親には、どこかへお邪魔するなら必ずお土産持って行きなさい!!と言われていた。

幼い頃はそのお土産代までしっかりもらうから、しっかりしたもの買っていた。

競技をしっかり始めてから

成績を報告することが増えた。

長い遠征に行ったのに賞状が一枚もない時、

頭の中は

“お土産お土産・・・”


喜んでもらえるとかじゃない。

渡すときに、これだけ?って思われないように、たくさん。


ある島へ行った時、


私は長期に渡ってお世話になっていた。


お金は要らない。払いたいならもらいます。というルール?で、

私は嬉しい反面、

その代わりに掃除とか、ご飯つくる、とか、何か役に立たなきゃ!と思っても、

ルールはありません。あるとするなら、あなたが1番居心地よく過ごしてください。

とだけ。

嬉しいけど、慣れない頃、

誰かがやってきた。

お土産はない。

ただ、きらっきらのオーラですごく、すごく、楽しんでた。

お土産なんてなくても、私もどうにも思わなかったし、むしろ家主でもないけどすごく嬉しかった。


私は人に迷惑をかけているから、

その言い訳に、補助に、お土産という位置付けがあったかもしれない。

だから、無能で、だらしなくて、役にも立たない私だったら人はどう思うんだろう?という体をはったかけにでた。

義理ならお土産かわん。て思って。


そのうち、

本当に会いたい、本当に行きたい場所であれば、

その人、人たちが喜んで私も喜ぶなら、持っていこう!って思えた。


お土産。プレゼント。


無くてもいい。

でもあると嬉しい。

ただ、それが機嫌取りの位置ならやめよう。

と、思った。



いま、give&takeの世界に戻った、というか、

新しい気持ちで入った。

ま、当たり前の世界なんだけど。

気持ち、なのか、たてまえなのか、

社会は幻想の世界と思わず、いつでも本心でやろう。

私の住む星じゃない、みたいな感覚で人が人に見えなくなってる。とくに顔がみえないと。

それってただのわがままよね。

give&giveの精神で!っていいながら、腹奥ではちゃんと見返り欲しいからね。


全くまとまりのない文。

そう、頭の中そのまんま、まとまっておりません。


でも、

在りたい自分には今からなれるのだ。



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