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【映画一日これ一本】第6回 ケイシー・アフレックもやっている

人生は短いのに年1000本以上公開され続ける映画。毎日新しく1本見ても生きてるうちに見終わらないのでは?と気付いたので『同じ映画は二度と見ない』というルールのもとあらゆる手段で実行していくことに。この連載では映画を見て考えてみたこととその日あたりに思っていたことについて気ままに書いていきます。

こちらはあるいるnoteの共同マガジン「エンターテイメント研究会」にて連載しています。連載単体のマガジンはこちら

バットマン フォーエヴァー

映一6-1

普通に暮らしていると忘れがちだが、スマートフォンは本当に凄い。2020年という少年時代からするとなんとなく未来な地点にいて唯一未来にいることを実感できるものなののような気がする。

基本的にこのままでも大丈夫という必要を感じていない場合、人間はなにかをしようとは思わない。環境に適応できている時には必然的に保守的になってしまうものだ。

そんな中でも発明は世の中にまだ無いのにあったらいいなというものを考えるのでとても頭を使う。存在していない時点でなくても良いものなので、初めは周囲に反対されがち。体にメスを入れるようにもっと別の視点で語られる事なので、すぐには理解されないのかもしれない。

新しい技術による弊害もある。スマホでも依存者やストレートネックのほか、動画が普及することによる著作権の問題も出てくる。そうしたせざるおえない状況になってから動くタイプがほとんど。そうしてインフラが整えられていくので、結果的にはどちらも必要な要素だと思う。

漫画やSFなどはあったらいいなの宝庫なので、突拍子もなさそうな妄想っぽいものが出てくる。少し未来になってから答え合わせすればこんなこと言ってたなとか実際はこうなったと笑えるものが多い。

劇中に出てくる脳に映像を送るマシーン。今だとVRなどの技術で実現されている。脳に直接送る時代はきていないが(そんなこと危なさそうなので来ないかもしれないが)ほとんど同じような体験ができているように思う。確かにインターネットは双方向なので情報を悪用されるなんて描写も大雑把だが描かれていたり、とにかく豪華な出演者が贅沢な一本。

バットマン & ロビン Mr.フリーズの逆襲

映一6-2

地球温暖化は90年代あたりからずっと言われている。地球は暑くなり住めなくなるからなんとかしようとずっと言っている。その割には車はずっと走っているし、夏場のお店ではエアコンが効きすぎている。これは毎年変わらないし、テレビでは毎年今年は猛暑だと言い家庭では毎年昔はこんなんじゃなかったと言いながら同じような夏を過ごす。

エコだからと電気自動車にしたところで、電気を発電するだけでCO2が排出されるので本末転倒な気もする。生きるためにエアコンをつけていることも含め色々と矛盾していると思う。

矛盾といえば保護シールにも言える。昔はスマートフォンに保護シールを貼っていたが、そもそもシールを貼らないと成立しないものならば最初から貼っておいて欲しい上に、シールは傷つきやすくて気付けばボロボロに。本体をきれいに保つためにシールが汚れていくので結果的になんだか汚いスマホが完成する。

果たしてこの状態に意味はあるのだろか?落として割れる時は貼っていようが割れるわけなので、シールに強度があるとは思えない。「きれいな状態のスマホ」を使うことなく下取りに出すのはいかがなものか、本来の姿を使っていないのは本質的に「使った」と言えるのだろうか?古本屋に売るために本の帯を取っておくくらいなんだか情けない行為な気がしてきたので、ある日剥がすことにした。

剥がしてみて気づいたが、スマホのガラスの強度はシールなんかよりめちゃくちゃ高いので全く傷がつかない。何にも遮られていないので画面も曇ることなく触り心地も直接なのでなめらか、やっと本来の姿で使う素晴らしさを実感することができた。触るのに躊躇したのは最初だけだった。

そういえばシール自体も不可逆なものだと思う。貼ってしまえばもう終わり。もうシールとして使い直すことはできない。だからシールを集めるという現象が起きるが、貼るために存在するシールを貼らずにとっておく。これは相当矛盾しているが、そうせざるを得ない。

でもステッカーでなければ価値は出てこない。ただの小型の印刷された紙、には価値はない。何かに貼ることのできるステッカーだから価値がある。でも貼りたくない。コレクションする。でもステッカーは貼るために存在する。この悩みは永遠につきない。そう、地球温暖化のように…な一本。


容疑者、ホアキン・フェニックス

映一6-3

カメラが回っている時点で見せる(=演じる)ことになるので、ドキュメンタリーはあまりドキュメンタリーとは言えないような気がする。これは各方面で言われているので割愛するが、自分もカメラが回ればおそらく見せてもいい自分を選択してしまうと思う。

TPOを遵守することがモットーなので、家から出ると割とそういうモードになる。無理をして作るというよりは、見せなくていい状態にはしない(きちんとする)ので家の中まで密着が来ると普段通りの生活はできないだろうなと思う。見せれる人はすごいなとも思う。

カメラというか他人がいる時点で社会になるので、そんな場合でも自分中心に振る舞える人は尊敬に値する。自分以外全員モブということは、他人にとって自分はモブのためわきまえたいと思ってしまいがち。なので周りを見ずにガンガン行ける人はすごいなと思うが、正直羨ましくはない。

かと言って、誰にもみられてないから何かをしてやろうという事もないし、正直監視され続けるとそれに慣れていくタイプだと思う。学生時代もほぼ監視生活だったがうまく適応しながら無理なく息抜きも出来たので、解放されたいとかストレスを感じるなんて事もなかった。結局人間は慣れる生物なのかもしれない。

カメラが回った時点で演出が入る。いつも見られている事を意識したり妄想したりするだけで、普段の服装から発言から何から何まで変わっていくのかもしれない。個人的な理想としては、本音レベルがそこにいきつくようになるといいなと思う。演技(外面)が上手くなったところで、自分自身が変わっていなければ満足はしないだろう。結局自己評価を中心に生きているような気がする。

この映画は全て演技なんだなあと思いながら見たので、上手すぎる演技含めあらゆることが怖かった。メディアと同様に、こうやって日々騙されているのかもしれない。同時に騙されまいと声高に叫ぶ人もなかなか趣がないなと感じてなんだか八方塞がり。騙す人がいなければ騙される人もいないのになと思う一本。

いまのことコラム

ハライチ澤部のインタビューが載っていた。併せてハライチのターンのラジオクラウドでも語られていたが、本当に不可解なインタビューだと思う。

そもそもインタビュアーが才能と努力を軸に話を展開しようとしていることに無理がある。世の中に向き不向きはあるが、才能で片付けてしまう人ほど自分を他人と比較して上手くいってないと思い込んだり、それを才能という不確実な何かのせいにして「自分がダメなのは才能が無いからだ」と正当化しつつ「努力によって補えるはずですよね」と言い聞かせる。これは偏った考え方だが、一般的に努力と才能で片付けられることが多いので偏っていると思ってないのだとしたら仕方ないのかもしれない。

ハライチの二人は才能があるかないかと言えばあるに決まっているし、完全に自分を中身を消すことができる(そもそも無いらしい)正確無比なコピー能力を持つ澤部に対して努力家というのもズレていて面白い。さまぁ〜ず三村を見た目は澤部のまま完コピしていたら軌道に乗ったのは物凄い才能だと思う。岩井は才能というか詰めて仕上げる能力が地に足ついてるから創作活動がしっかり出来ているのだと思うし、努力と思わないほど向いたりやりたいと思える楽しいことだけを集中してやっているようにも感じる。

そんな二人のどちらが優れているかという比較論に落とし込もうとするのも不思議である。創作活動が向いているしやりたい事だとわかってきた人物と、一流のネタ受け取り師をどうやって同じ土俵に立たせるのだろうか?猿回しの”猿”と”猿使い”は闘うだろうか?闘っているところを見るのは面白いかもしれないが、競わせるのは意味がないと思う。

努力をすれば報われるみたいな話は、努力さえしていればいいみたいな話にすり替わる時がある。努力とは結果が伴わなければ意味がないわけで、努力している事だけが評価される事はあまりない。売れなければ掌は返されないのである。

つまりは結果的に成功している人に対して、あなたは努力でここまできたんですよね、私たちと同じ"才能のない側”ですよね、希望を与えてくれてありがとうございます、と言ってしまっている感じがある。

そんな発注を受けてしまった澤部が、100%才能だとは実際思っていなながらも「求められていることを肌で感じるという才能」を発揮し嘘をついて記事が完成した、という事実がとても面白い。結果的に才能によって生み出された嘘の努力エピソードによって努力の人というゴールに持っていこうとしたインタビュアーの期待に応えるというものすごく才能あふれるプレーによって成立している。これはむしろすごく才能あふれる記事のような気もしてきた。

岩井ならそんなことはせず何がおかしいか最初からぶつけると思う。踊らされたインタビュアーは今なにを思っているだろう?やはり澤部は嘘つきであり、岩井は正直者である。正直者がひねくれ扱いされる世の中もどうにかしてほしいなと思う。本質は見抜けないから本質だとしたら、これはとても悲しい。見えないものも信じて欲しい。

ともあれこのインタビュアーは本当の才能というものを知らないらしいので、ぜひYAWARA!を見て欲しいなと思った。柔道漫画のフリをしているが、実は「本当の天才」が何なのかしっかりと理解できる作品だと勝手に思っている。全125話、はりきってどうぞ!…(つづく)

<本日のおすすめ>
「ハライチのターン!」
TBSラジオ|木曜 24:00 - 25:00

「ハライチのターン!」終了後アフタートーク(8/27の回)
ラジオクラウド|木曜 27:00頃配信

アニメ「YAWARA!」
Huluで全話公開中

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