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怒りで蓋をした正体は?

悲しみに固執した自分が居た。

こんなに辛かったのわかって。

なんでわかってくれないの!
なんでこんなめにあわせるの!

この悲しみをどかっと相手に明け渡しても、
欲しいものはなにもこないんだよね。

むしろ自分で抱え切れないもの
相手はもっと抱え切れないよ。笑

だってそれは"わたし"が
私に分かってほしかったんだから。

抱きしめたうえでシェアはできる。

こうゆうときに私はこうなりますと。
そうすると相手もわかりやすいよね、

私の中に悲しみは確かにある。

それを愛に変えていくプロセスを
何度も繰り返し"わたし"にする。

前はね“悲しい、辛い”が私で
それじゃないと私じゃない気がした。

そうじゃないと
作れなくなるんじゃないかとかも不安になったり。

不安の渦ってどこまでも大きい塊になる。

それによって生み出される作品も確かにある。
その時はそれで、ずっとそこにいなくて良い。

それも選択できるんだよね、
それでうずくまってしまう時は

ちょっと愛がたりなくなってるから、
立ち止まって、ゆっくりして、
好きなもので私を満たしてあげる。

もう過去に囚われなくても良いよ、
通ってきた全てが私を表してるから。

だからね、大丈夫。って話しかける。

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