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能動的な人間の根底にあるモノ。

どうも。こんにちは。
はり師、きゅう師の上野です。
#鍼灸師です

実際は鍼灸師という言葉はなく、はり師ときゅう師という呼び名なんです。
#呼び名ってなんだ
鍼(はり)や灸(きゅう)は道具のことをさします。
お医者さんでいう、先生のことは医師という呼び名で。。。。。。

お医者さんで例えようとしましたが、違いました。
#すみません

こういう話は横に置いておいて、本題です。

題にある話を綴っていこうと思います。
結論を先に伝えておくと題からもよみとれる様に「能動的な経験が自分という人格を形成している。」で進めていきます。

・能動的に動く。
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僕は思ったこと。やりたいと思ったことは何も調べずに動き出すタイプみたいです。
ただ、この感情は「GO!!」の時と「stay。。」というときがあります。
なぜかは僕にもハッキリとはわかりませんが、しいて言ううならば、その先が自分の感情が生き生きするか、という基準が入ってそうです。
その生き生きは何かを作りたい、何かを達成したい、何か欲しい、といった欲ではなく、関わった人たちがその先で良い人生(充実した時間)を送ってくれると良いな、というのが根本にありそうです。
嘘はつきたくないのでいいますが、僕も人間なんで何か欲しいとか、○○行きたいとか、少なからず欲はあります。

だけども、「生き生き」の感情の大きく締めているのは人様の充実した時間を創造することだと思います。

このざっくり抽象的な感情が僕を能動的に動かしているみたいです。


・能動的に動いた先での経験は身をもって血肉になっている。
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僕自身で思うことですが、正解があるだろうと思って動いたという表面的な感情が少なからずありますが、内面は正解、不正解を基準にせず、動いた先で自分なりの「豊かな時間にする」という目的で動いてそうです。

自分の今の生業がそうであるように、世の中にたくさん鍼灸院があるから多少はできるだろう、と動いたというのもありますね。

だからといって、うまくいくという保証はなく、不安と葛藤は常に付きまといます。

感情値に安定なんかなく、いつも上下しています。
今、書いていて思いますが、開業当初の感情はやばいぐらい下降していて、地面がないんじゃないかと思うほど、落ちていました。

それからというもの、上下の繰り返しの時間を過ごしつつも「僕」という人間は目的を肌身離さず持っているみたいです。細胞レベルまで落とし込まれているみたいです。

だからか、マイナスなことが起きても、プラスのエネルギーにもっていこうという感情が勝手にはたらいています。

これは性格がそうさしているのではなく、小さな七転八起を繰り返していくうちに一歩一歩前に進んでいるからだと思います。

ここにはいろんな力が必要だと思いますが、一番は僕の中では「感謝力」のような気がします。
感謝力ってなんだ?みたいなところかもしれませんが、どんなことでも、些細なことでも、それらは当たり前ではないとういう前提で「ありがとう」の心が大切だと思います。
その心を持つと、この町でいろんな経験をさせてもらっているな、や、ここでの関わる人たちにいっぱい学ばせていただいているな、などの感情が自然とでてきます。もっと小さく考えると、身の回りでの飲み物や食べ物、洗濯やお風呂、それらの環境を収めてくれている空間、など、一つ一つに「ありがとう」を込めると自然と前に向こうとする感情が生まれ、愛おしいという感情さえ生まれてきます。

これらの経験の根底にある力が自分という人間を作っているようです。

最後に○○のような気がします、や、○○だと思います、などの言葉はどこか他人事のようで自分の言葉じゃないような言い回しですね。これは僕自身を俯瞰で見ている状態、客観的に見ているともいいますかね、要するに人間の前提として不確実な生き物と考えているから断言しないような書き方になりました。

あるお寺さんの掲示板のようなところにこう書いていました。
【「私が正しい」が争いの目である。】
感謝力とこの言葉を大切に持ちながらこれからも豊かな時間を求めて過ごそうと思います。

読んで頂きありがとうございました。

では、次の患者さんの準備に差し掛かります。



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