「物語を生きている」

 誰かが、私たちを使って物語を作っている。彼らが私たちに価値を与えてくれる。そのためには、記述されたとおりに動いてやらねば。たまにはそれ以上の働きもサービスしてみせたりして。


 でも、どうしても、この世に生を受けた以上、誰かの作った物語の上ではなく、自分自身で自分に物語を用意したい。それは自分自身を芸術的にしあげることの他にない。それ以外ない。


 答えのない迷路を冒険し続ける勇気さえあれば、あとは誰にも邪魔されない、自分で自分に価値をつける楽園に住むことができる。ただその孤独に耐えうるのかどうかが不安だった。当然そこには私しかいない。すなわち、相対性の生まれようのない空間であるからこその、自己決定権であり、そういった意味での楽園だということだ。

 それよりかは、得体のしれない誰かが書き上げる運命を、為すがままに華麗に演じて見せ、小説の世界を彩る、一つの演出として存在することを決意する方がよっぽど楽である。

 ただ服従を選んでいたら、この拙い文章を書こうとする衝動は得られなかったであろう。つらく、苦しい時にこそ、その魂に共鳴する文学を欲する生き物がいる。それが私であったし、他者にもその欲求を見て取ることができた。芸術と現実の対比は、孤独と連帯の対比でもあり、自分の価値に対する決定権を巡る葛藤だった。

 物語のために用意されたキャラクターたちの輪の中にいると、そのなかで私は、自分の腹の中にあるものを秘めるようになった。そのうち私は「思っていることを話してくれないやつで、薄情者だ」と言われるようになり、「何を考えているかわからない。いけ好かない野郎だ」と、その小説の中では有名になっていた。

 キャラクターたちの生きる目的は、作者の記述通りに動くこと。その存在価値は作者に規定される。私の生きる目的は、「私」が生きているこの世界で、自分では選びようのなかった自分の性質に、自ら価値を与えることであった。

 そのうち作者から、私は放棄され、身体が動かなくなった。そこで初めて、誰かに記述されないと、自身の身体もままならないことに気付いた。その状態が続くと、自分だけが取り残され、世界の端切れに置いてきぼりにされ、誰からも無視される存在となった。他のキャラクターたちは、濃厚に、自らの生を演出してみせ、与えられた物語に満足していた。

 「生まれてきたことそのものが価値であり、この世界が必要とした価値だ。そこに意味を見つけようとするな。ただ価値として存在し続けよ。それだけで、この世界を、彩ることができるのだから」-END-

 私は、今、物語を完結まで導いた、素直で罪のない者たちのために機能させてもらっている。価値を失い絶望した彼らを、アフターストーリーに送り出してやるためのナレーション役だ。

 これも作者に与えられた役割なのかもしれない。でももうどうでもよかった。納得する役割を得ることができたから。

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