ライフ・アフター・ゴッド

ダグラス クープランドの『ライフ・アフター・ゴッド』を読んだ。

自分とは見え方が大いに違っている主人公の話だった。逆、と言ってもいいかもしれない。
時間。わたしはそうこうしているうちに寿命がきてしまう。わたしは成長しきらずに人生をおわってしまうんじゃないだろうか。一周する?たびに「やっと生まれられた」などと言っているのがわたしである。


さみしい、というのは、愛を手にしてないからそう思うものだというラフなひとつの認識が自分のなかにあったのだが、ここにでてくる主人公はもともとあふれるほど愛を持っているが、それを与える対象がいないのを嘆いている。そういうパターンもあるのかと知った。


少し話変わるけど、よく耳にする教訓に「求めるより与えなさい」とか「人間関係はギブ&テイクよりギブ&ギブでうまくいく!」というのがあるが、若い時はそれを確かに!その通り!などとあっさり鵜呑みにしていた。
今思うのは、持っている人はあふれるほどに持っているけど、持っていない人は持っていなくて、持っている人はなんなく他に与えられるけど、持っていない人は他に与えるには自身のなにかをえぐらなきゃならないのだ。(念のため言うと立場とか生まれ方じゃなく人間の気質の話だ。でも生まれ方は影響あるか。)
それでいて、そういった教訓が浸透している分、持っていない人は自分自身や求めるということをさもしいと思ったりするのだろう。そして求めるタイミングを失って成長するのだろう。勝手な考えだけど。たとえば2者間において、満ち足り方?が同程度であれば教訓通りで何の問題もないだろうけど、塩梅というのは様々だから、求めなきゃならない人とか求めなきゃならない時とかあるよな、と思った。

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