『ウィズ・ナッツ』 第10話

 夕方になっても体調が優れない。何か食いに行こうか、と話していたときにインターホンが鳴った。僕は玄関のドアを開けた。げっそりしたアキが立っていた。
「来ました」
「ようこそ。今日は禁酒について話し合おう」
「お酒は怖いもんね……」
 リビングへ通した。二日酔いの四人がしばし呆然と座っていた。
 アキが持っていたバッグから何か取り出した。
「これがスピーカーと、これiPod。マンソン入ってるけど、いま聴いたら死人が出るね」
 手のひらサイズのスピーカーで、左右のセットになっていた。iPodというものは初めて見た。
「これに一万曲か。文明って偉大だな」素朴なコメントをしてしまった。
 それはともかく、とユッフ。
「腹へってきた。なんか食おう」
「ラーメンでも食いに行こう」ハールがいった。
「いいねラーメン。この辺にお店あるの?」
「すぐ近くだ。俺たちの行きつけ」
 そういうとハールは立ち上がり、玄関から出ていった。アキとユッフが続き、最後に出た僕が鍵を閉めた。
 ぞろぞろと歩いて、坂を下りていってラーメン屋に着いた。店主の「らっしゃっせー」に迎えられ、テーブルをひとつ占拠した。若い店員がアキの銀髪を怖ろしそうに見ていた。
「さあアキちゃん、このメニューから選んだものをそこのビビってる店員さんに注文するんだ。少し待つと注文した通りのものが出てくるんだよ。このチャーシューメンを九百円で食べたい……。それが食える。そう、この店ならね」
「え、普通じゃん飲食店として。ユッフさんエンジンかかってるなあ。いまあたしそれ笑う元気ないわー。iPhone使ってないし」
「君の素敵な笑顔が見たいのに」
「うるせえよ。早く決めろよ。腹へってきたよ」ハールがイラついていた。空腹のサインだ。
 それぞれ食べたいものを食べて、体調がいくらかよくなったようだ。長居せずに席を立って会計をした。アキが食べた担々麺のぶんはユッフがおごった。
「ありがと。何もできないから体でお返しするよ」
「マジで!」
「嘘だよ!」
「なんなのお前ら。行こうぜ」僕は漫才コンビをせかした。ハールはとっくに店から出ていた。
 店から出て坂を戻り、またマンションに帰った。食後のゆったりとくつろんだ雰囲気の中、宣言する、とハールがいった。
「俺はもう酒を飲まない。あれは悪魔の飲み物だ。俺は酒を弾圧する」
「厳しいですなあ」僕はぼやーっと返事をした。
「金輪際飲まねえよ。お前らが飲むぶんには構わないけどな」
「まあその、今日ばかりはシラフでいたいっすね」とユッフ。
「あたしも。しばらく缶だのビンだのは見たくもない。いきなり暴力に走りそう」とこちらは物騒だ。
「ジュースとか麦茶とかは冷蔵庫にあるから、それを飲みたければ各自どうぞ」僕はいった。
 さて、僕たちはシラフである。騒ぎまくるということはない。そうなると思った以上に静かなものだった。昨晩の狂騒と比べるから余計に静けさを感じるのだろう。
「ここはひとつ、音楽はいかがでしょう」
 アキがiPodを手にとって僕たちを見回した。
「マリリンうんたらが聴きたい」
「了解、ハールさん。えーとね、スピーカーをコンセントに、ってどこよ。コンセントどこ? この家にはないの?」
「そっちの壁んとこにあるよ」
「ほんとだ。ナイスですナッツさん」配線を繋いでスピーカーをローテーブルに並べ、iPodをいじった。「じゃあ『メカニカル・アニマルズ』でも流しときます」
 形容しがたい、不気味な歌声が響いた。英語がわからないので歌詞もわからないが。
「あ、これ『マトリックス』のエンディングじゃね?」ある曲にユッフが反応した。「あの映画はヒットしたな、当時」
「あれから何年経ったかな」と僕。
「十年以上か? 早いもんだな」
「そりゃ大人にもなるはずだ」
「まったくだ」
 しけた会話をするユッフと僕に、アキが訊いた。
「ユッフさんたちいくつ?」
「三十路だとだけいっとく。ちなみにハールさんは二つ上」ユッフが答えた。
「ふーん、もっと若い感じがしてたけど。三十路なんて渋みが出てくる歳だね、たぶん」
「もうそろそろ現実を見なきゃいけないのね、俺たち。フラフラしてられない」そこでだ、とユッフは続けた。「昨日の、夢の話」
「なんだっけ?」
「俺も忘れた」
 記憶が飛んでるらしいアキとハールに、僕は簡単に説明した。
「やりたいこととか目標とか、宣言したんだよみんな」
「ハールさんが詩を書きたくて、アキちゃんがアクセサリー職人になりたいと。で、俺は起業するっていって、ナッツはこのままでいいみたいなことをいってた」ユッフが詳細を述べた。
「それさあ」ハールの目が刺さるように鋭かった。「みんな、今日から動き出さないか?」
 この言葉が運命の一撃となった。

(続)

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