私の、私による、私のための…
幸せになる勇気 No34 誰かとの違いでなく、わたし
おはようございます。今日は、また、カッと暑いですね。
教育におけるアドラー心理学、他者承認欲求のループを断つ、という話を昨日書きました。
「わたし」の価値は、わたしが決める
「そんなのは不可能どしょう!」と叫ぶ青年に、哲人は、言います。
「おそらくそれは、普通であることの勇気が足りていないのでしょう」
普通であることの勇気、どういうことでしょう。
なんだかちょっと、「お前、普通だよね」と言われると、イラっとしてしまいます。そうか、普通でいることになんかネガティブ…。
青年はもっと過剰に反応します。「軽口を叩くな、このサディストめ!」とまで言います。
哲人は、言います。「この言葉を侮辱と感じるのなら、あなたはまだ特別なわたしであろうとしているでしょう」と。
ほんとうの個性
「ふ、ふざけるな!」と取り乱す青年に、哲人は、「人と違うことに価値を置くのではなく、わたしであることに価値を置くのです」と諭します。
「“違い”ばかりを際立たせようとするのは、他者を欺き、自分に噓をつく生き方にほかなりません」
「あなたの個性とは、相対的なものではなく、絶対的なものなのですから」
あなたは他者とは違う、という言葉はよく聞きます。しかし、その真意は、あなたは他者よりも〇〇が△△、ということではなく、ただただ、あなた〇〇、わたしは△△、に尽きるのかなと思います。
心理士(師)としてのわたし
心理士の仕事の内、大切な柱の一つとして、”アセスメント”という行為があります。これは、クライエントさんの問題を見立てるわけですが、そこで使用されるツールに知能検査というのがある。
これが曲者。なぜならば、その他のいわゆるテストと一緒で、平均、つまり、真ん中が決まっていて、そこからどうこう、という相対評価なのです。教育で言う所の偏差値のような感じです。
もちろん、人間が人間を査定するわけですから、何か基準がないとそもそもわからない。それはそうですが、その基準に照らしてどうか、ということが独り歩きしてしまい。終いには、クライエントさんも相対評価を受け入れてしまう…。何事にも良し悪しはありますが、心理検査のアセスメント結果をどのようにクライエントさんに伝えるか、これは、私にとって、変わらぬ大きなテーマです。
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