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たっぷりネギたま牛めし 大

サマソニに行ってきました。楽しかったです。

二日間行ったのですが帰ってきた頃にはもうヘトヘトで、風呂にも入らず爆睡の翁12時間睡眠昼過ぎ起床侍ですわ。バッテリーのなくなった携帯に充電器をさしいつものようにTwitterを眺めてみると案の定燃え盛っていました、one ok rockが。彼らのライブパフォーマンスが物議を醸していたようです。

ライブカルチャーにおける観客の発声については、もうここ数年議論がされているように感じます。終わりの見えぬコロナ禍、最近は市井でのそういった雰囲気も薄れつつあるように感じますが、そんな中三年ぶりに開催されたサマーソニックの運営側がとった対応は「オーディエンスの発声の禁止」というものでした。ライブ観覧についてはまずマスクの着用を必須とし、歓声や歌唱も控えてほしい。場内のモニターで延々とその旨が文章およびアナウンスで周知されていたほか、各アーティストのライブ開始前にもステージMCが重ね重ね観客に呼びかけていました。もちろんこういった情報や運営側のスタンスは出演するアーティストにも知れ渡っていたことでしょう。しかしone ok rockのとった姿勢は、出禁覚悟で観客を煽り歌わせるというものでした。開催前に行われていた、ボーカルのtaka氏のインスタライブに非常に衝撃を受けたのを今でも覚えています。内容としては、我々は3年間もライブを待った、もう我慢できない、出演するイベントでは観客を煽る、しかし君たちは決して声を出すな、怒られたら自分が謝る、クラスターが起きても自分は責任を取れない、頭悪いなお前、というものだったようです。このニュースを見て、私はこの出演者のパフォーマンスは観覧しないと強く心に決めました。コロナだロックだという前に、大勢の人々を煽動しておいてその責任も取れないとは如何なものかと考えたからです。コロナウイルスの流行が始まってからというもの、音楽は非常に苦しい立ち位置を強いられてきました。飛沫によって感染するこのウイルスと、大勢の観客が十分な距離も取れない狭いスペースに一同に会し、時によっては合唱することもある音楽ならびにライブというカルチャーは心底相性の悪いものだったのです。それでも音楽に携わる人々はなんとしてもこの文化の灯火を消すまいと、配信ライブなど様々な対応を講じどうにかこれまで生き延びてきました。そういった弛みなき努力の集大成が、今回のサマーソニックだったのではないかと考えます。そしてそれを台無しにしたのが、彼らのパフォーマンスだったのです。

二日間におよび様々なアーティストのパフォーマンスを観覧していると、人それぞれの対応があることを実感させられました。Twitterでしばしば見られた意見として、「ワンオクの他にも海外アーティストは観客を煽っていた、ワンオクだけ非難するのはおかしい」というものがあります。確かに、ステージから観客に対し歌唱を要求する場面は多々見られました。その多くが、いや私が観覧した中ではその全てが海外のアーティストだったことも事実です。観客の発声禁止が定められているフェスにおいてこのようなパフォーマンスが散見されたのは、ひとえに運営側の責任であると断言せざるを得ないでしょう。出演するアーティストに対する注意喚起が甘かったことは否めません。

思うに、one ok rockばかりが槍玉に上げられる原因として彼らが日本人であるということがあると思います。彼らを非難する人々の主張としては、日本人が定めたルールについて海外アーティストの理解が浅いことはまだしも、同じ日本人の彼らが十分に理解していない、また理解していながらもそれを犯すとは何事かというものでしょう。日本と海外とでは、その政治や医療体制、また人々の習慣や習性も異なります。何が正しく何が悪いのかはその場所や時代によって様々でしょう。今この時期に日本で行われたイベントについては、この国の諸々の体制をベースとして議論を重ねていくべきであると私は考えます。もちろん、海外のデータやスタンスを研究し国内での様々なコンテンツに取り込んでいくことは賛成です。私の主張は、海外で取られている対応をそのまま鵜呑みにするな、出演者は当然のように自身の公演を行うなということです。one ok rockや多くの海外アーティストにとって、ここは彼らからすれば東の最果てに位置する異国の地であります。そんな彼らが自国で錬成してきた自身のショーを披露してくれるというのは極めて貴重で価値のあるものですが、出演するのであればもう少しこの国やその国民のとるスタンスに近接してくれても良かったのではと感じざるを得ません。

もうひとつ散見された意見として、「感染が怖いならフェスなんか参加するな」というものがありました。これはいったい、なんと浅はかで無礼な主張でしょう。フェスやライブ、音楽という文化のあり方が問い直され、あるいは悪者のような扱いを受けてもなお懸命に争い続け、社会と個人、制約と自由にそれぞれ折り合いをつけた結果が今回のルールです。そもそも感染が怖くない人などいるでしょうか。感染することで、自分のみならず家族や友人、会社や社会などに一切影響を及ぼさない人などいるでしょうか。誰しもこの感染症に対して恐怖を抱くのは至極当然のことであると言えます。しかしそれでも、好きな音楽を体感したい、思い出を分かち合いたい、明日を生きる糧が欲しいと望む人々とそれに応えたい運営、およびアーティストが作り上げたのが今年度のサマーソニックです。にも関わらず、ルールを破ることを正当化しあまつさえ誠実な人々を排すことを良しとするとは、なんと非礼極まりない主張でありましょう。感染に対し恐怖を抱かないなど、責任感の一切ない阿呆であるとしか考えられません。つまり、こんなにも的外れな主張など全くもって意味を成さないと私は考えます。

「音楽鑑賞がしたいなら家でcdでも流せ」との主張も見られました。おそらくこういった主張をする方々は、ライブというものを鑑賞したことがないのでしょう。ブドウ味のガムを噛むのと本物のブドウを食すことは同じことでしょうか。音源とライブは全くもって別物であり、音源には音源の、ライブにはライブの良さやそれにしか味わえない感動があるのです。はっきりいって、易々と変えが効くものではありません。そんなこともわからないとは、悲しきかな今までライブに行ったことがない、もしくは素晴らしいライブを経験したことがないに違いありません。このような方々が一刻も早く自身にとって価値のあると思えるライブ体験ができることを願ってやみません。

「今回のtakaの主張が、日本のライブシーンを一歩前進させるきっかけになった」とtaka氏を称賛するツイートもあります。これは大きな間違いです。先述した通り、サマーソニックは日本で行われた日本のフェスであり、そのルールは日本の現状やスタンスを土台に形成されたものです。taka氏の主張はそのような要素を完全に無視し、いわば自身のわがままを乱暴に突き通したまさに愚の骨頂であります。そもそも、ルールを把握しながらルールを破るとは、大の大人がなすべきことでしょうか。ルールに不満があるならそれを定めた、今回であればクリエイティブマン側に訴えることから始めるべきで、なおもそれが通らないのであれば自身が退くべきなのではないでしょうか。いうことを聞いてくれないから無視して乱暴する、その姿はさながら欲しい欲しいと泣きながらおもちゃ売り場の前で駄々をこねる幼児のようです。全くもってみっともない。

「ルールを破るのがロックだ」との声もあるでしょう。これは半分あっていて半分間違っているように思えます。確かに、既成の概念や要素を打破していくという特徴がロックにはあるかもしれません。しかしロックのみならず、それまでと異なる方法や手段を実行するには責任が伴うのです。上記のように、taka氏は一切の責任を負わないというスタンスをとっています。つまり彼の行っていることはロックなどではなく、ただの自己満足に他ならないのです。大衆を相手にした自慰行為。情けないばかりです。

ここまで様々な意見を取り扱ってきました。結論として私が思うのは、one ok rockをはじめ多くの海外アーティストの対応はこのフェスにとってふさわしいものではなかったということです。今回のような問題を解消するには、やはり政治や医療体制の完全な構築が必須と言えるでしょう。一刻も早くこの感染症に対応するシステムを作り上げることが淀みのないフェス運営に必要であると考えます。これまで我々が体験してきたフェスはもう戻ってこないかもしれません。しかしそれでも、これまでとは形の違う、新たな素晴らしいフェスに出会えることを私は祈っています。


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