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東日本大震災と私2

↑の続き。東日本大震災があった次の日からの記録。
買い物や電気と水が復旧するまでのことなど。
ヘッダーの写真は何を食べてどんなことをしたか毎日記録していたほぼ日手帳の3月12日と13日のページ。普段は一行開けでスカスカなのに、3月12日から22日まではぎっちり詰めて書いていました。(23日からは一行開けに戻した)この年に限って3月下旬まで寒くて26日に雪が3センチ積もっています。この頃もインフルエンザ予防に外に行くときはマスクしてました。
その日記をもとに再構成しました。まずは一週間分。


3月12日(土)8/0℃
水道が止まって買い置きの期限切れの水を沸かして洗い物などに使う。反射式ストーブにも鍋を載せて沸かす。自分の部屋の寝るスペースを確保する。大量の物と埃と一緒に暮らしていた。断捨離を決意する。
近所の小学校に給水車が来て初めて並んでお水をもらう。みんな鍋、やかん、タンク、一升瓶など容器もさまざま。うちは父が飲んだ焼酎のペットボトル。(4リットルくらい?)ちょっとホッとしたけど水のやりくりはけっこうなストレスを感じる。ガスはプロパンなので止まらなくて本当に助かった。都市ガスは復旧にしばらくかかったからね。お昼にパスタを茹でてナポリタン。温かいごはんは元気が出る。
夜に水のいらないシャンプーを使っていくらか気がまぎれる。あたりが暗いので星が本当にきれい。電池で見るポータブルテレビがあるのを夜まで忘れていた。初めて被害のすさまじさを目にして涙が止まらなくなった。

3月13日(日)7/3℃
まだ買い置きの食パンがありほうれん草の炒め物などで朝食。午前中また給水車。ひとり2リットルの制限ができて2回並ぶ。衣装ケース持ってきたひともいて驚く。お風呂にためた水も半分ほどになり不安。お昼は焼き芋鍋でさつまいもを焼いて食べる。ホクホク。
TBCラジオのみ急に受信しなくなる。送信所の自家発電の燃料切れだったということをずいぶん後で知る。テレビがCMを入れなかったように、ラジオはテーマ曲やジングルなどの音楽も自粛していて「〇〇さん無事だったら連絡ください」などの安否を確認するメッセージをずっと読み上げている。
夕方5時前ごろ少しずつ水が出始めて思わずバンザイ。節水を意識しながら使う。夕食はもらった大根といかの煮つけ。こういうときもちゃんとご飯を作ってくれる母に感謝。夜に、庭に置いているソーラーランプを持ってきてみたら意外と明るくてよかった。持ち手が付いているのでトイレに行くときなどに持っていくのにちょうど良い。太陽光で充電できるしこれは重宝した。
昨日まではマグニチュード8.8だったのが9.0に修正される。国内では最大。

3月14日(月)15/3℃
毎日大きめの余震が何度もあってそのたびにビクッとする。晴れて風もあるので母が足踏みで洗濯してる。電気はまだ。私は父と車でヨーカドーへ。そこまで行くとPHSが通じたので職場に電話で無事を伝えた。まだしばらく自宅待機とのこと。上司が「家の手伝いしなさい」と優しく言ってくれる。友達にもメールしまくり無事を確認できた。
1時間ぐらい並んで店内に入っても、普段通り自由に行き来できるわけではなく並んでいるワゴンに沿って順番に見ていくスタイル。何が売られているのか見るまで分からない。ラップ、カセットコンロ用のガスボンベ、チョコ、じゃがいも、ピーマン、ティッシュ、トイレットペーパーを買う。釜揚げうどんとさば缶などでお昼。
14時40分頃急に電気が点いてビックリ!母が慌てて洗濯機を回す。16日からガスが止まるとの情報も。(実際は止まらなかった)3日ぶりでお風呂に入れた。明るい部屋で晩ごはんが食べられる幸せをかみしめる。これって当り前じゃないんだと家族でしみじみ。テレビで仙台駅の新幹線ホームがめちゃくちゃになっている様子を見てショック。

3月15日(火)7/3℃
9時40分頃車でジャスコ(現・イオン)に向かうも昨日から並んでいた人もいて中に入る前に終了。仕方なくSEIYUへ行くとまた長蛇の列。生のパイナップル1個、クッキーやスナックなどのセット、たまご1パック100円を買う。生鮮食品が不足してる。ゆで卵とお菓子類でお昼。
90何時間ぶりに救出された方のニュースに拍手。夕方になってTBCラジオが復活。仙台市中心部のアーケード内の店舗も少しずつ営業再開してるみたい。
父のドコモ携帯は繋がったので伯父夫婦といとこの無事を確認。山形行ったらガソリン普通にあったよとの話。私のPHSはまだ不通。バスも走っているようだけど営業所に電話しても繋がらないので時刻がわからない。

3月16日(水)5/-1℃
朝起きたら湿った雪が積もっていて足元から冷える。ガスは止まらないとの連絡に一安心。朝は久々にご飯を炊く。電話や携帯の繋がりにくさは続いている。ライフライン同様、無駄に使わないようにする。物資の届かない避難所もまだ多いようだ。夕べから朝方にかけて大きな余震が3回ありよく眠れなかったので少しお昼寝。母手作りの焼きおにぎりでお昼。
早めにお風呂に入って豚汁、きゃべつとツナ缶、さば缶で夕食。片付けていたら断水。21時半頃には解消。
バス停に見に行っても張り紙はない。ミニストップで塩むすびを売っているのが見えた。夜また大きめの余震が2回。

3月17日(木)1.7/-2℃
今日は出勤するぞ!と思ってバームクーヘンやお菓子、チキンナゲットなどを食べて父の車で出発したものの、上司からの留守電で今週いっぱいは自宅待機とのことで、急遽ヨーカドーで買い物に変更。8時半の時点ですでに建物を一周するんじゃないかというほどの大行列。時々雪が降って足先が冷える。前に並んでいた女性が傘をさしかけてくれたり、のど飴をくれたりしたのにろくお礼も言えなかった。3時間ぐらい並んでおにぎり(青森・埼玉から)、電池、スープ、ガスボンベ、チョコ、長芋、切干大根、トマト、バナナ、しょうが、カイロを買う。ひとりだけ連絡が来なかった沿岸部に住む友達も無事で安心した。帰ったら家でもPHSが通じるようになった。
ほぼ日で買った本の代金振り込みが遅れる旨メールしたら「ご心配なく」とのお返事がすぐに届いた。esqの三谷泰弘さん、イッセー尾形さんからお見舞いのメッセージ。イッセーさんの仙台公演は中止になったけど心づかいがありがたい。私が当時やっていたブログに、普段は読むだけという方からも安否を気遣うコメントがあって嬉しかった。

3月18日(金)6/-3℃
震災から一週間。パンが売っていないので代わりにクッキーとスナップえんどう、バナナなどで朝食。近所のコープが再開したので母と並ぶ。太いつららがたくさんできていてとても寒い。前後に並ぶ見ず知らずの方に「あそこのAコープにはお米があるよ」などの情報をもらう。列に並びながら店内にいて袋詰めしている人たちが何を買ったのかしげしげと眺める。そんなこと初めてだったけど、店内に入るまで何が買えるのか全く分からないんだもの。2時間並んでレタス、水菜、玉ねぎ、赤ピーマン、パックご飯、ココア、紅茶、海苔、たけのこ水煮を買う。パスタを茹でてナポリタンでお昼。
私のPHSが安定しないので父の携帯を借りて職場に電話。当時はバスと地下鉄を乗り継いで行ってたんだけど、通勤の足がないということでもう一週間自宅待機になった。後で聞いたらほとんどの人が月曜から出勤していたようだ。
ネットはできるのでPCでブログを見るとコメントがさらに増えていた。ありがたく読ませてもらった。
ちょうど11日に仙台に来ていた佐藤竹善さんも13日には帰れたみたい。シングライクもスタレビも昇太師匠も中止。早くライブを楽しめる日が戻ってほしい。


という感じで、毎日余震におびえながら過ごしていました。
水道は2日目、電気は3日目には復旧。ガスもそうですが、他県からもたくさんの方が応援に駆けつけてくださったそうです。どれだけ多くの方が助けてくださったのかわかりませんが、改めて本当にありがとうございました。
続きます。


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