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「推し、燃ゆ」を読んで

最近、Twitterで大人しいのは最近、読書にハマり中だからである。今手持ちの本を読み返して、太宰に戻り、やっぱ天才ってすげえわ。この退廃をこれだけの文章に落とし込むってすげえわ。と思ってるところ、はて、今の文学ってどんな感じなんやろという疑問を持った。
色々その手の記事など読んでいたら、今話題の書籍「推し、燃ゆ」を見つけた。
芥川賞受賞しており、著者は受賞時二十歳そこそこ。今は24歳。ほお、Z世代か。このタイトルはキャッチーやし、「今時」という感じがする。
まあ、私らも「推し」を推してるオタクやんか。いうたら。だから、なんか共感するもんもあるをちゃうかと思って、早速ブックオフへ行き(ブックオフかよ)行ったら3冊ほどあった。ブックオフは読み捨ての宝箱やー。
帯の無い1番安いやつを買って、早速読みましたわ。
前情報として、結構な酷評を受けつつ受賞した問題作らしい。でも、この作品は後世「推し」という文化を残すのにうってつけというか、ホンマに「今を描いている」という事に関して長けていて、文章がまず抜群らしい。
読み始めると、主人公はJK。もうこの時点で凄く大きな隔たりを感じる。私は今から、この作品に何か心を揺さぶられることはあるんやろうか。
太宰を読んでたら、ただ文字を追ってるだけなのに、ふいに胸を突き抜かれて慟哭する、死にたいという脆い魂に共鳴して酷く怖くなるあの感じを噛み締めて血の味が口内に広がり、腹の底からこの胸糞悪い人生よ、いかに?!的な感じにしんどくなって寝込んだりせんやろかという様々を巡らせて読み進めた。
まあ、文章は前評判通り、抜群。私らオタクが毎日叫んでいる「語彙力!!」をその語彙力でもって、「推しへの想い」ということを全力で言語化してる。
なんか、悔しいな、この若さ、才能、センス。芸術点100みたいな感じ。そら文学ですから。文学とは芸術ですから。
でも、でもと言いますよオバハンは。
「推す」という事に関して、確かに凄く共感するところはある。しかし、「オタク」たらしめるところを描いてるかというと、それは凄く上滑りな感じがした。
グッズを全て買って祭壇にするとか、推しの色の服を着るとか、推す前からの情報を収集しまくるとか、コンサート行くとか、まあ、そんなん基本ですやん。そして、色んなタイプのオタクがおって推し方もそれぞれ違うというのもしっかり描けてる。
でもね、実際にいるオタクのオタク臭さたらしめる本質って、血の滲むようなチケット良席争奪戦であって、TO争いであって、熾烈な同担拒否との戦いであって、泥臭く夜行バスに乗って、全国津々浦々、推しを追いかけ回す執念深さでしょ。リアコでしんどいのよ、そうでしょう。
そんで、この人らめちゃ元気やねん。悩み事は推しのランダムステッカーがなかなか当たらんくて、求求求とツイートして、メルカリ駆けずり回り、ファンサ私だけ貰わんかったとか、そういう、推すことのみに使われる精神構造、例えば普通にウチの旦那みたいな無趣味の人の精神と時の部屋は愛する妻の部屋と仕事の部屋と年老いていく親の部屋とほんの少しの筋トレとジャズの部屋でできてるわけ。
でも私らみたいなオタクはもう推しという部屋だけやねん。仕事も家族もその部屋の片隅に乱雑に積み上げられててさ、気がついた時にちょっと積み替えるだけよ。
その他の事は何も深く考えてないの。仕事なんてさ、推しに捧るためだけの、退屈な作業でしかないわけ。
でも、この作品では、主人公はどこか凄く冷静で、自分という物を真剣に考えて、悩んでるわけ。「推し」を通して自分って何かとか考えたりするわけ。そういう事をオタクは全然せえへんかというと、もちろん、しますよ。しますけど、ここでこの作品が「推し」を描いてる以上、なんか、テーマとこのタイトルが相応しいかというと、じゃあ違うねという感じがする。
ともすると、ホンマに推しを推してる?いや、逆に凄く醒めた目で推しを見てない?とも思えてくる。
作者が描きたかったことは多分それやねんけど、「推し」という文化と少し相性が悪いと思われる。
それなら、作中にある、「現実の男見ないと嫁に行き遅れちゃうよ」とちょっとだけ出てくる言葉の方が、よっぽど現代人にある深い病理のなんたるかへ対してリアル感があって、鬼気迫る物があってなんか深刻な忍び寄る恐怖的な物がある。
そういう意味で言うと、この作品を読んでマジのオタクが共感するかというと、決してそういう作品では無いということを思った。
でも、もしかしたら、Z世代のオタクが読んだら共感して泣くこともあるかも?知らんけど。
でも、ここまで私がウダウダなんか言うということは、この作品が芥川賞取るぐらいのことあるということでしょうな。
この時点で読み返そうと思ってるし。
興味があればどうぞ。という気持ち。

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