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沈思黙読会:斎藤真理子さんのお話

2024年3月23日(土)に神保町EXPRESSIONで行われた、沈思黙読会の第5回目に斎藤さんがお話しになったことを一部、ご紹介します。

沈思黙読会も5回目。前回からこの日までの一ヶ月間、沈思黙読会について話したり書いたりする機会が結構ありました。なかでも印象的だったのが、書評家の倉本さおりさんとのトークイベント。

この会で参加者の皆さんのお話を聞いて「本の読み方は人それぞれ」ということは十分わかっているつもりでしたが、それでも倉本さんの読み方には驚きました。

倉本さんは、何か食べたり飲んだりしながらは絶対に本が読めないんですって。彼女が言うには、「自分は物をのみくだす嚥下機能と読む機能が連動しづらいから、読みながら何かを飲みこもうとするとむせてしまってだめなんです」と。私はたいてい何か食べたり飲んだりしながら読んでいるので、その話を聞いてびっくりしたんです。反対に、キムチチゲからコーヒーまで何でも食べたり飲んだりしながら読みますよ、という私の話に倉本さんは、そんな奴がいるのか、みたいな感じで目を丸くしていました。

この話を聞いて強烈に思ったのは、読むというのは脳だけを使っている行為じゃないんだなということでした。沈思黙読会でこれまで何度も話が出ている「脳内音読」——1行1行全部の言葉を口に出すように頭の中で再現しながら読むという読み方ですが、これって多分、声帯にも関係があるんですよ。実は私、一度、疲労が溜まりすぎたせいか声が出なくなったことがありまして、お医者さんに2〜3ヶ月ぐらい通ったんです。そのときに「頭の中で音読的に文字情報を再現しようとするだけでも、声帯はわずかに響きます」って言われて、すごく驚いたんですね。文字情報を見て、その内容を頭で咀嚼しているだけのつもりでも、実際には身体にも影響がある。だから飲食しながら読めない、ということもあるのでしょう。

とにかく、あらためて一人一人読み方というのは違うんだなあと実感しましたし、あれだけたくさんの本を読んでいる倉本さんでも、読むという“行為”について話す機会はあまりないんだなということも感じました。そう考えると、この沈思黙読会は読書会ではありますが、同時に “読むという行為”に関する一種のワークショップでもあるのではないかと思います。ある種、読書をする身体についての新しいメソッドを編み出すためのワークショップである、くらいの大風呂敷を、ちょっとだけ広げてもいいのかな、と。

また、皆さんのお手元に配られているかと思いますが、先日、新潟日報という地方紙に沈思黙読会のことを書きました。念のため、東京だけでやっているイベントで配信もないのですが、それでもいいですかと担当の方に聞いてみたら、「スマホを切って本を読むというのはとても興味深いので、どういう感じなのか1回書いてほしい」と言われたんです。沈思黙読会の話を出すと、やっぱり皆さん『スマホを切って読書する』ということに興味を持ってくださるんですよね。スマホの登場とともに、活字の読み方が否応なく変わってしまったけど、何がどう変わったかのかは、まだうまく整理できていない。そういう気持ちをお持ちの方は、本当にたくさんいらっしゃるのだと思います。それで新聞にも書いたんですけれども、こういう場所を作ることも大事ですし、その感覚を身につけてもっと小さいグループで読書会をしたり、1人でもそれができるようにしてみたりしながら、どんな変化があったのか、今後どういう変化を目指したいと思うか、そういったことを考えていけたらいいんじゃないかなと考えています。

その上で、ちょっとヒントになるんじゃないかと思う文章を紹介します。野間秀樹先生という言語学者で美術家で、大変面白い本をたくさん書いていらっしゃる方がいらっしゃるんですが、その方が書かれた『言語 この希望に満ちたもの』(北海道大学出版会)という本をのなかに、こんな文章があるんです。

 人はある〈立ち方〉を以って立っている ——〈読み方〉もそうだ

『言語 この希望に満ちたもの』(北海道大学出版会)より

人はただ地に立っているのではない、誰しもがある立ち方を以って立っているのだと。それと同じように、人はただ読むのではなく、ある〈読み方〉をいつの間にか自分のものとして持っている。ただ、私たちはそのことを知らない、と書かれています。この〈読み方〉というもの、それは「正しい読み方」「悪い読み方」といった区分ではなくて、一種のメソッドというか、〈読み方〉という言葉でくくられる何かがあるということを意識するのはすごく面白いことじゃないかなと思います。

野間先生はこの本の前段の方で、やはり今現在、読むという行為が激しく変わってきていて、今後も変わって行くだろうと書いています。現在はインターネットを通じて、しかもスマートフォンという小さいデバイスを通して活字に触れることが多い。そこで読んでいるのは確かに文字の行列なんだけれど、それはここへ勝手に流れてきたというか、放っておいても来てしまうもので、そういう文字列を受け入れる行為として〈読む〉ことがある。一方、〈本を読む〉という行為は、こちらが出かけていって文字をつかむものなので、同じ〈読む〉行為でもすごく違うんだと。そして今はその違いが交差しているのか、重なっているかわからないけれど、とにかくドラスティックな変化が起きている時代なのだということが、もっとかっこいい文章で書かれています。だからこそ、私たちもただ呆然と立っているんじゃなくて、やっぱり重心のかけ方とか姿勢の保ち方を考えなければいけないんじゃないかなと思うんですね。

今回、参加者の方から「本を読んでいて目が滑ってしまうことがある」というお話が出ましたが、その感覚は私もすごくわかります。目は全ての文字を追ってるんだけど、ツルツル滑って内容が頭に入らない。そういうとき皆さんはどうしますかって聞くと、「前に戻ります」っていう人もいれば、「滑るものは滑るものとして放っておきます」という人もいる。これもやっぱり〈立ち方〉に該当することなんじゃないかと思います。

例えばバレエなんかでは本当に立ち方を重視しますので、自分の重心を意識せざるを得ない。そういった〈立ち方〉に該当するぐらい、自分の〈読み方〉を意識してみるというのも面白いのではないでしょうか。これまでそこにあまり焦点を当ててこなかったからこそ、議論されてこなかった何かがあるんじゃないかと思っています。

次回の沈思黙読会(第6回)は4月27日(土)、詳細はこちら
第7回は5月18日(土)、詳細はこちら
第8回は6月15日(土)、詳細はこちら、を予定しています。
基本的に月1で、第3土曜日に神保町EXPRESSIONで行われます。
(斎藤さんのご都合で第三土曜日でない月もあります)
学割(U30)有。オンライン配信はありません。


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