沈思黙読会⑧で読んだ本!
沈思黙読会もついに8回目。皆さんが持参されたのは、こんな本でした。
斎藤さんの「仕事としての読書とただの読書の違いを実感した2冊」
「母(エミ)」尹 興吉(新潮社)
「門」夏目漱石(岩波書店)
午前中は仕事としての読書で「母」を読んだんですが、これがとても激しい小説で、情報を取るためだけに読んでいるのに、むちゃくちゃ疲れました。でも、こういうものがかつて韓国の中堅作家から日本人に向けて書かれたというのはすごく大事なことだと思います。
一方、午後は前回に引き続き「門」を。漱石の小説というのは多くの場合、ほんのちょっとですけれども、その時代の日本がやっている戦争のこととか、日本が持っている植民地のことがチラッと影として落ちている。正面からそれをテーマにするんじゃないんだけど、斜めから暗い影が刺さるようにして入ってきますよね。例えば「三四郎」でも、最初に汽車で上京して来るときに、乗り合わせた人たちと日露戦争に関係する話をしながら東京に近づいてくるじゃないですか。ああいうやり方で、日本が日本の外でしていたことが、ほんの少しずつ物語に入ってくる。作為的というよりは、当時の日本の庶民が感じていた分量と同じくらいの感じで、微量の毒が入ってくる感じがさすがだなと思います。そしてそれは、やっぱり「門」で一番クライマックスに達していると思うんです。自分たちにとっての暗い過去を知っている男が、今、満州にいるというのがすごくリアル。結局、その人とは実際に顔を合わせることはなく、すれ違ったまま別れていくにもかかわらず、主人公は大打撃を受けるわけですよね。そのために禅寺の門をくぐらなければいけないと思うぐらいに、満州帰りの男というのが影を落とすことになる。そういうのは、高校生ぐらいで初めて読んだときには全然わからなかったんですよね。後ろ暗い恋愛をするとつらいんだな、くらいな感じで読んでいたと思うんですけれども、大人になってみると読むたびに日本の歴史の、少し後ろぐらいところを影として描く絶妙さみたいなことを、本当に強く感じます。
Aさんの「フィクションとノンフィクションの間を行き来する3冊」
「別れを告げない」ハン・ガン:著/斎藤真理子:訳(白水社)
「あなたのことが知りたくて 小説集 韓国・フェミニズム・日本」(河出文庫)
「橋本治「再読」ノート」仲俣暁生:著(破船房)
私は今回が2回目の参加です。前回は初めてだったこともあり、パブリックスペースにいる自分、みたいなことをちょっと意識していたんですが、今回は本当にリラックスして、集中して読むことができました。
今日はこの3冊のうち、主に「別れを告げない」を読んで、他の2冊は気分転換に、というつもりでいましたが、結果は逆で、「別れを〜」が手付かずになってしまいました。
午前中に「あなたのことが知りたくて〜」を読み始めたら、これが面白くて。気になっている韓国の作家さんの短編がいくつも入っているので、『なるほど、この人はこういう感じの小説を書かれる方なのか』というように、サンプラーとして読むと面白かったです。
午後は「橋本治「再読」ノート」を読んでみたんですが、文章としてはそんなに複雑なことは書かれていないのに、ちょっと頭に入ってこなかった。私は読書するときに、フィクションが馴染むときと、ノンフィクションの方が馴染むときというように、自分なりの周期があるんですが、今日はフィクションの方だったみたいです。
Bさんの「わからない言葉はわからないまま読んだ2冊」
「方舟を燃やす」角田光代:著(新潮社)
「台湾漫遊鉄道のふたり」:楊 双子著/三浦裕子:訳(中央公論新社)
私は仕事で日本語から英語への小説の翻訳をしているのですが、第一言語が英語で、日本語の方をがんばらないと読めないんです。しかも翻訳をするにあたっては、わからない言葉がひとつも許されない。漢字とか方言とか地名や食べ物の名前とか、いろんな言葉が出てきても「わからない」で済ませることができないので、仕事の合間の息抜きの読書でも、「わからない」が出てくると気になって没頭できないんです。
角田光代さんは大好きで、新刊が出ると必ず読むんですが、この「方舟を燃やす」は冒頭から鳥取弁が出てきて、しかもかなり分厚いので、これは普段の読書方法ではなかなか入っていけないな、と。「台湾漫遊鉄道のふたり」も、最初に昔の日本語で書かれた新聞記事という設定のページがあって、知らない漢字もあるし読めない……と。なので、どちらも今日ここで読もうと決めていました。午前、午後とそれぞれ読み始めたんですが、仕事とは関係なくどっぷり集中できて、しかもわからないところはわからないままでいいと割り切れるので、するする読めるし物語も頭に入ってくる。今日、ようやくスタートが切れたので、明日からはどちらも隙間時間で読めるかな、と思っています。
集中して読める環境と時間さえあれば入り込んで楽しめることはわかっているのに、日常生活の中でそういう環境を生み出す力がなかなかなくて。前回参加したときに、ここはそういう本が読める場だと思ったんです。今日は個人的にはとてもうまく読書の時間をデザインできたような気がします。
Cさんの「タフさを求められる本とお守りの2冊」
「母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅」サイディヤ・ハートマン:著/榎本空:訳(晶文社)
「塩を食う女たち――聞書・北米の黒人女性」藤本和子:著(岩波現代文庫)
先月、なかなか読めなかったハン・ガンの「別れを告げない」を、ここで読み終えられたので、それはなぜだろうと考えながら、今日は「母を失うこと」を読み進めました。私は、読み手にタフであることを要求する本ってあるなあと思っていて、ハン・ガンさんの本もそうだし、この本もそうだなと思いながら読んでいたんですが、この場所はそういうタイプの本と向き合える場所なのかなという気がしました。前回参加したときに、皆さんが自分なりに読書との距離を測りながら読んでらっしゃっていて、それぞれの読書との距離感に自分も支えられながら読めたように思います。
サイディヤ・ハートマンは、いろいろな人の声を引き受けながら書く人だなという印象で、さらに徹底的に悲観的というか、安易に希望を持たない書き方なので、足腰が鍛えられるような読書でした。もう一冊の「塩を食う女たち」は、もう何度も読んでいる本で、「母を〜」がタフな読書になりそうなので、お守りのように使えたら、と思って持ってきました。
Dさんの「馴染みと初体験の2冊」
「三四郎」夏目漱石:著(新潮文庫)
「マクベス」シェイクスピア:著/福田恆存:訳(新潮文庫)
2月、4月と今回で3回目の参加ですが、今日は全体に集中していつもより読めたな、という印象です。前回のnoteの記事で、斎藤さんが「門」を読んでらっしゃったということで、私も夏目漱石を一時期けっこう読んでいたので、久しぶりに読もうかなと思って「三四郎」を持ってきました。今回はじめて、自分が50ページ読むのにどのぐらいかかるかを測ってみたんですが、私は大体50ページ読むのに1時間20分ぐらいかかりました。
午前中に60ページちょっとぐらい読んで、午後はまったく違う「マクベス」を。戯曲はほとんど読んだことがないんですが、映画や舞台の方にちょっと興味があって、今後見てみたいと思っているので、どんなものかなと思って読んでみました。ここでなら集中して読めるかなと思ったんですが、なかなか頭に入ってこず……。外国の名前がややこしいというのもあるのかなと思います。こちらも50ページをどれくらいで読めたか測ってみたんですが、すごく混乱しながら読んでいたのにも関わらず、意外と「三四郎」と変わらず1時間半くらいだったんです。すごく読むのに時間がかかっている気がしていたので、ちょっと不思議な感じでした。読書の時間の自在に伸縮する感覚を味わえたような気がします。
Eさんの「積読からの1冊 +α」
「それで君の声はどこにあるんだ? 黒人神学から学んだこと」榎本空:著(岩波書店)
今日、初めての参加です。1回目の時から情報は知っていて、絶対に行きたいと思いつつ、なかなか予定があわずに、ようやく初めて来られました。最初の頃から絶対行きたいと思ったのは、ちょうどその頃から家の本棚の一掃整理を始めていて、かなり丁寧に選び抜いて、最終的に積読本が9割くらいの本棚が出来あがってしまったんです。それで今年はこれを消費することだけに集中して、新しい本は買わずにいようと決めていて、そのためには集中して読む時間が必要だった。ですから、ここに参加する時は、絶対に積読の中から持ってこようと思っていました。
今日持ってきたのは先ほど紹介された「母を失うこと」を翻訳された榎本空さんの本です。榎本さんが黒人神学を学びにNYのユニオン神学校へ留学していた頃の話を書かれたエッセイで、本当にタイトルそのままに「自分とは何か」を突き詰めている本でした。普段、小説とかを読むときには全然メモを取らないんですけど、この本は、榎本さんが聞いてきた先生たちの言葉がとても具体的に書いてあるので、自分も授業を受けているような感じでメモを取りながら読みました。
それと一緒に持ってきたのは、GWに長崎旅行をしたときに博物館などでもらってきたパンフレットです。もらったきり読んでいなかったので、黒人神学とキリシタンという意味で繋がっているところもあるかもと思ってパッと鞄に入れてきました。結果的には本の方に集中できたのでほとんど読めなかったんですが、ちょっと目を通してみようと本からパンフレットに目を移した時に、「色がすごいな」と思って。白黒の文字の世界に集中していると、こんなに色が鮮やかに見えてくるんだな、と感じたのがとても不思議な体験でした。
Fさんの「雑談とシンクロした1冊」
「バベルをこえて/多言語習得の達人をめぐる旅」マイケル・エラード:著/竹内理:訳(松柏社)
今日は初めての参加で、皆さんがいるところでちょっと人目も気にしながら、でも自分の読みたい本を読むというのはなかなか面白い体験で、とても貴重な時間だったなと思います。私が読んだのは「バベルをこえて」というタイトルのノンフィクションで、著者が超多言語習得者をたずね歩くという本です。
お昼の時間に橋本治展の話になって、「最近は橋本さんのように、広い興味範囲を持っていて、その各分野に造詣が深く、しかも誰もが知っている存在がいない」というお話がありました。この本の中にも、言語に対してはすごい集中力で取り組んで、複数言語を話したり翻訳できたりする人たちのことが書かれているんですが、彼らの興味は言語だけに絞られていて、単語の文字の並び方とか構成だけに興味を示すけれど、もっと広い範囲に興味を示したり集中する人は現代にはいない、みたいなことが書いてあったので、お昼に話したこととシンクロするようで、午後は個人的にすごく盛り上がって読みました。
ちなみに超多言語は「6つ以上」と定義されていて、ちょっとした会話が続けられるぐらいだと、20ヶ国語とか40ヶ国語という数字も出てきています。まだ途中なんですが、とても興味深いです。
Gさんの「パレスチナとイスラエルに関わる2冊」
「パレスチナ解放闘争史 1916-2024」重信房子:著(作品社)
「NHKこころの時代 宗教・人生 ヴィクトール・フランクル それでも人生には意味がある」勝田茅生:著(NHK出版)
今日で4回目の参加です。先日、NHKの「こころの時代」という番組でヴィクトール・フランクルのことをやっていたので、あっと思って「夜と霧」を本屋さんで探したんですが、5軒回って5軒ともなくて。絶版ではないと思うんですけど、どの店にも在庫なしだったんですね。それで、このテキストがあったので買ったんですが、その時にたまたま見つけたのが重信房子さんの「パレスチナ解放闘争史」でした。
午前中は「パレスチナ解放闘争史」を読みましたが、重信さん自身がパレスチナに行って
運動に加わっていたこともあり、とても詳しく書かれていました。ただ、とても分厚くて字も細かくて。午前中、2時間ほど読んで42ページしか進みませんでした。ただ、私のようにパレスチナに関して何の知識もない人間でもすんなり入ってくるような書き方をされていて、とても分かりやすかったです。
その後、午後からはヴィクトール・フランクルについてのテキストを読んだんですが、こちらはユダヤ人の方で、イスラエルと関わりがある。ただ、先にパレスチナの本を読んでいたせいか、ヴィクトール・フランクルの言葉がまったく頭に入ってこなくて。ユダヤ人の虐殺や迫害があったことを受け止めきれなくなってしまったなと思って、そこから読み進められなくなりました。
皆さんのお話を聞いていて、読む本の組み合わせを考えるのがデザインなんだなと、今日あらためて思ったんです。自分の気持ちの流れをうまくコントロールするというか、一番楽しめるようにデザインをしているんだなと。そういう意味で、今日の私のデザインは、失敗ではないけど成功でもなかったです。
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今回もまた沈思黙読の場には、いろいろな本といろいろな読み方がありました。次回も参加者の皆さんがどんな本を持参され、どんな読書時間をデザインするのか、楽しみです。
ちなみに今回、会場に並べた本のテーマは「庭・自然」でした。
次回の沈思黙読会(第9回)は、7月20日(土)、詳細はこちら。
基本的に月1で、第3土曜日に神保町EXPRESSIONで行われます。
(斎藤さんのご都合で第三土曜日でない月もあります)
学割(U30)有。オンライン配信はありません。
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