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沈思黙読会⑪から。「猫の集会」の楽しさについて

2024年9月21日(土曜日)、神保町expressionで行われた沈思黙読会、第11回目に参加された方々のご感想を公開します!(順不同です) 

●Aさん
5回目の参加です。スマホを切るということにもすっかり慣れて、ひたすら読書と向き合う時間になりました。「猫の会議」というキーワード、改めて良いなと思いました。イメージしやすいし、この言葉でピンと来て集まった人たちというのも安心できる要素の一つだと思います。

ランチの時に、参加者の方と近い話題になり、「斎藤さんというボス猫」と表現されていてまさに!と衝撃でした。伝説の猫がいるから安心して思い思いの読書ができる空間になっているのだと感じました。
斎藤さんもお話の中で「ここが読書のストレッチの場になれば良い」ということも言われていてしっくりくる表現でした。

今回は積読していた『少年が来る』一冊だけ、半分ちょっと読めました。ハン・ガンが書く光州民主化運動の小説というだけで覚悟がいるというか、なかなか読めずにいましたが、光州ビエンナーレに行く機会があるので、ここでストレッチとして読書できて良かったです。

●Bさん
いつもと違う人との距離での読書は、話はしないけど、ちょっと本を小声で見せあったり、靴を脱ぐタイミングが同じで「そうなんだよ、疲れる時間ですよね」と思ったり、気を使うほどではないけど、気配を感じないように工夫をしたり、より猫の集会感があって楽しかったです。

ほぼ1年、ここで何読んだか、ちゃんとは記録してないんですけど、読みすすんでたどった思考が、ある程度納得できような答えに辿り着いた感じが今回ありました。

最後の斎藤さんのお話で、引き出される読書と引き出す読書があって、確かに、ここはその真ん中のようだというのが、皆さんの感想を聞いていても感じました。ちょうど今回小説を読んでいる最中も、そんな時間が交互でやってきたので、印象に残りました。私は、本屋(特に古書店)でも美術館でもその両方を行き来してる気がします。

●梶浦珠代さん
普段はネット検索などの情報収集と処理に追われて、じっくり物事を考えていないことに危機感を持っていました。今回、数十年ぶりに存分に本を読んで考える、よい機会になりました。これからも考える時間を何とか増やそうと思います。

偶然にも斎藤先生と同時期にソウルに住んでいたと分かり、もしかしたら市庁前のバス停で、トークンを握りしめながらすれ違ったかも、と考えるだけで楽しく、当時のソウルが頭の中によみがえりました。
一方で、自分は文章の上っ面を追うだけの浅い読み方をしていると気づいた時間でもありました。
皆さんの本を巡るお話も興味深かったです。

斎藤先生、スタッフの皆さま、とても豊かな一日を過ごさせていただき、ありがとうございました。

●OKSUSさん
今回初参加できました!スマホを切って同じ空間で本を読むために集まった人たちと、ただ一緒に本を読む。想像していた以上に心地よく穏やかな時間でした。読みたい本がありすぎてリュックにつめて行きました。

斎藤真理子さんの「隣の国の人々と出会う」、 <2章「」文、文字 マルは話され、聞かれるもの。そしてクルは書かれ、読まれるもの。マルとクルが呼吸をあわせて、人は自分の胸の内を表すことが出来る。>という文章に繋がるような本の、それぞれ気になるページを読みながら書いた人の胸の内を想像しつつ「本に入る」時間を持てたと感じました。

途中わからない言葉が出たら何度もスマホを探す自分がいて思う以上にスマホありきの暮らしをしていることを実感した時間でした。ありがとうございました。

●umimiさん
次回が最後かと思うと、とにかくなにか惜しいちうか、残念です。

斎藤さんが「ストレッチ」とおっしゃっていましたが、まさに月1ストレッチで、同じような空間、時間はなかなか望めないまでも、機会が作れないものかなぁ、と思ったりしています。
他の方が読む本が興味深く、次々と読みたい本が増える一方ですが、やっぱり時間に追われて切ないです……。

今日読んだ『隣の国の人々と出会う』から沢山メモをとりました。中でも「歴史を知ることは、不発に終わった夢のコレクションでもある」、そして、「일본에 살지 못하는 비행기가 있지요?」(「日本に“生きられない飛行機”があったでしょう?」という意味。「隣の国の人々と出会う」148頁参照)は衝撃でした。

ソリはマルより体に近いで引用されている小倉先生の「韓くにのひととびのぬくもりは深いが、なによりもまずわたしはそのひとたちの声の深さを想い起こす」というところを読んで、冬ソナを吹き替えてでなく、韓国語バージョンで初めて聞いた時の驚きとショックを思い出しました! 

まとまってないけど、今回の感想です。

●まかさん
3回目の参加ですが、あっという間に過ぎました。今思うとそれだけ没入していたから時間が早かったのかなと思います。楽しい時間は早い。

本屋がどんどん閉店しているという話がありましたが、SNSとかでもよく閉店のお知らせが流れてくるのでさびしいです。
その一方で独立系の個人書店が増えているのがまた救いかもしれないです。でも、大型書店でないどこの町にもあるような書店がなくなるのは恐ろしいなと思います。読書のために電車を乗り継いでくるという非日常が楽しいです。

読書はほぼ毎日するので、日常の行為を非日常化すると、いつもと違う読書体験になるのがおもしろいです。そこでスマホを切って日常を切り離す感じが良いですね。またこういった機会を持てるといいなと思っています。

●Dさん
前回は1日で1冊を読了するとことができ、謎の達成感がありました。しかしこれには後日談があって、肩も腕も頭もバリバリに凝ってしまい、目まいまでしてきて、家に着くなり早々に布団に潜り込みました。本当に本を読むことは体力が求められます。

今回はやや二日酔いの頭で活字を追えるのかと大いに不安でしたが、意外にも難解と予想していたペ・スア 著、斎藤さん翻訳の「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」をすんなり読み進めることができました。

満席というお知らせに読書空間に変化はあるだろうかと、やや不安でしたが、今日もとても快適でした。一区切りつく10月の回には、何を読もうかと今から考えています。そもそも、何を読もうかとワクワクして一ヶ月を過ごすこの時間が、すでに読書体験だと思っています。


Bさんは、ボックス席で、対面に人がいる状態での読書をチャレンジされました。

いつもと違う人との距離での読書は、話はしないけど、ちょっと本を小声で見せあったり、靴を脱ぐタイミングが同じで「そうなんだよ、疲れる時間ですよね」と思ったり、気を使うほどではないけど、気配を感じないように工夫をしたり、より猫の集会感があって楽しかったです。

と書かれたのは、その際のご感想です。

回を重ねる毎に、読書とはなにか、場を共有する形での読書会とは何か、ずいぶんと考えが深まったように思っています。まさに「猫の集会」で、各自思い思いにくつろいで本を読んでいる、それは一人でくつろいで読む読書とは違う。カフェで読むのとも違う。同じ本を読んで語り合う一般的な読書会とも違う。それはやはり斎藤さんがボス猫としておられる、もちろん別にみんなを監視しているわけはなく、ただ編み物をするように読書しているだけなのですが、どこかその場で本を読んでいる人たちをコズミックにつなげているような感じがあり、それをEXPRESSIONというある程度広い空間が保証している、、、まだ言葉が足らないですが、そんなように思っています。


最終回となる、次回の沈思黙読会(第12回)は、10月19日(土)ですが、すでに満員となり、お申し込みは締め切っております。


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