2010年代のヴェルディベストイレブンを考えてみた

 長い中断期間、何かネタは無いかと振り絞ってみた。たぶん、どこのメディアでも実施していないであろう10年代のヴェルディベストイレブンを個人成績やクラブへの貢献度などから独断と偏見で考えてみた。とうとう10年間をずっとJ2で過ごしてしまった2010年代。まさに暗黒時代となったこの10年間であるが、それでも印象に残った選手たちを挙げていこうと思う。

GK

柴崎貴弘 在籍9年間(10-12、14-19年)125試合0得点
東京移転した01年に入団も00年代の出場機会はほとんどなく長い下積み時代を経験。本格的に主戦として活躍し始めたのがプロ入り10年目の11年シーズンと遅咲きであった。その後、新加入選手に守護神の座を譲り、ベンチを温める時間もあったが、常に仲間たちを支える献身的な姿勢をサポーターたちは見ている。クラブ史上初のJ1昇格PO進出となった17年には持ち前のシュートストップを発揮して42試合フル出場と大きく貢献する。この10年間で最もクラブ在籍年数が長く、最古参の選手として君臨する。

DF

安西幸輝 在籍4年間(14-17年)150試合6得点
ヴェルディユースからトップ昇格初年度から右SBのレギュラーとして活躍する。4年間で150試合に出場と鉄人ぶりを魅せる。攻撃的なプレースタイルから17年にはロティーナ監督のもとウイングへコンバートされその才能が大きく開花し、J2屈指のサイドアタッカーへ成長。その年の最終節(対徳島)の馬渡とのマッチアップは多くのサポーターの記憶に残る名場面である。18年に鹿島へ移籍し、日本代表へ選出、19年夏にはポルトガルへ移籍と順調にキャリアで歩んでいる。

井林章 在籍7年間(12-18年)227試合11得点
関西学院大学4年生時の12年に特別強化指定選手に登録され、翌13年から正式加入。空中戦の強さを活かし初年度から出場機会を掴みJ2屈指のエアバトラーへ成長し、最終ラインの柱となる。15年からは主将を務め、2年連続でJ1昇格POに進出するクラブを纏め上げた。大のアニメ好きでもあり、フィギュアパートナー契約を結ぶきっかけを作るなどピッチの内外でクラブに貢献。19年に生まれ故郷の広島へ移籍する。10年代で227試合出場は最多記録になる。

土屋征夫 在籍3年間(10-12年)101試合6得点
『バウル』の愛称でお馴染みの鉄人センターバック。97年にヴェルディ川崎へ入団、神戸、柏、大宮を経て07年に当時J2のヴェルディへ復帰する。昇格、降格を経験するも12年までプレーした。対人にめっぽう強くエースキラーとして絶対的な守備の要であり、劣勢時は果敢に攻撃参加するなど印象的なプレーが多かった選手であった。甲府、京都をその後は移籍をして、19年に東京23FCで現役を引退してそのまま監督に就任している。

安在和樹 在籍5年間(13-17年)144試合7得点
13年、ヴェルディユースから昇格。1年目こそ出番にあまり恵まれなかったが着実に力をつけていき2年目からスタメン定着した左サイドバック。ピッチを駆け上がり思いっきりの良いプレー、左足のキックを武器に15年にはJ2ながらU22日本代表へ選出されるなど評価を高める。安西幸輝との両翼”Wアンザイ”として17年のJ1昇格PO進出に貢献した。18年に鳥栖へ移籍して今年は山口へ期限付き移籍中である。

MF

田村直也 在籍6年間(14-19年)156試合3得点
14年に仙台からアカデミー時代まで育ったヴェルディへ加入。いきなり主将を務め、若い選手が多いチームを束ねた。ボランチ、サイドバック、センターバックをこなせるユーティリティ性と戦術理解度の高さを買われて様々な監督のもと、多くのポジションで起用された。経営状況、成績が一番苦しい時期に言葉でアクションでチームを、サポーターを、引っ張った闘将である。19年に現役を引退し、現在は解説業などを行っている。

梶川諒太 在籍5年間(11、12、17-19年)145試合6得点
関西学院大学4年生だった11年に特別強化指定選手として登録され3試合に出場し、翌12年に正式入団。キック精度、縦横無尽にピッチを走り回る運動量を武器に中盤のレギュラーになる。その後、湘南、長崎と渡り歩き、17年に復帰。献身的な守備と戦術理解度の高さからウイング起用されることもあり中盤に前線にチームに欠かせない存在として活躍した。20年に徳島へ移籍してプレーしている。

渡辺皓太 在籍4年間(16-19年)90試合4得点
ヴェルディユース在籍時の高校3年生でトップデビューを飾り11試合に出場。翌17年にトップ昇格を果たし、小柄ながら運動量とフィジカルの強さを武器にメキメキと成長を遂げて瞬く間にレギュラーを獲得。ボックストゥボックスの選手として攻守に渡る活躍でJ2屈指の選手になり、19年には日本代表にヴェルディ所属選手としては08年大黒以来となる選出でコパアメリカへ参加した。その年の途中に横浜FMへ移籍して現在もプレーしている。

FW

ドウグラスヴィエイラ 在籍3年間(16-18年)108試合37得点
16年にブラジルのクラブから加入したセンターフォワード。長身を生かしたポストプレーやヘディングで攻撃のキーマンとして17年18得点、18年13得点と二桁得点を挙げる。得点以外にも献身的な守備でチームプレーにも徹することが出来る優良助っ人として2年連続昇格PO進出に大きく貢献した。18年J1昇格PO2回戦・横浜FC戦での後半ATの決勝点は特に印象深い。19年からは広島へ移籍して、J1の舞台でも得点力、献身的な守備で主戦として活躍している。

阿部拓馬 在籍3年間(10-12年)93試合37得点
10年法政大学から加入。当初は攻撃的MFであったが、思いっきりの良いドリブル突破やシュートで自分のスタイルを築き上げ、2年目からはトップ起用される。2年連続で得点ランキング2位(11年16得点、12年18得点)というリーグ屈指のストライカーへ成長し、当時のチームを牽引した。その後、ドイツ2部、Jリーグ、Kリーグなど様々なクラブを渡り歩き、現在は琉球に所属している。

平本一樹 在籍6年間(10、11、14-17年)118試合19得点
00年代唯一のタイトルである天皇杯制覇に大きく貢献したストライカー。期限付き移籍で多くのクラブを渡り歩くサッカー人生を歩むことになったが最後までヴェルディから籍を外すことがなく現役引退までヴェルディ愛を貫いた。晩年は怪我との戦いに苦しみ、成績では見劣りする部分もあるが、苦楽を共に過ごしサポーターの心の拠り所として愛し、愛された選手であった。17年に現役引退後、現在は町田で強化担当を務めている。

2010年代のヴェルディベストイレブン

あとがき

 イレブンを選出するうえで、10年遡って在籍選手を振り返ってみると高木俊幸、小林祐希、中島翔哉、前田直輝、三竿健斗、畠中槙之輔などヴェルディ育ちで現在は他クラブで活躍している懐かしい選手たちを見つけた。しかし、在籍期間があまりにも短すぎるため今回は選外とした。選出した安西幸輝、安在和樹、渡辺皓太を含めて若くして巣立っていった選手が多い事もこの10年を象徴しているような出来事であった。
 また、外国人選手の当たりが極めて少なかったかなという印象もあった。上述のドウグラスヴィエイラの次点となれば、クラブ歴代でも最長の4年間在籍したアランピニェイロになるだろうか。(平本一樹と迷った部分もある)移籍と補強の成果がなかなか上手く噛み合わなかったことが低迷した理由にもなるだろう。選手への思い入れは人それぞれであろう、皆さんの『10年代、私のヴェルディベストイレブン』も見てみたい。