予想外の出来事を楽しむ?!
【1.本当は今頃。。。?!】
“たられば”は意味がないと分かっていつつも、
もしコロナがなかったら・・・、という思いに埋め尽くされた1年。
もしコロナがなかったら、
12月13日はホノルルでフルマラソンのレースを走り、
3か月遅れの結婚式を挙げ、
今年1年にあったいろんなことを思い出しながら、
ゆったりとリゾート気分を味わっていたはず。。。
今年はコロナばかりではない。
母が元気だったら・・・という思いもよぎった1年。
昨年の12月17日、昼前に受けた父からのメール。
“杏子が倒れた”
いつかこんな日が来ると、ずっと恐れながら、
絶対に見たくない、聞きたくないメッセージを受け取り、
心臓がバクバクする音が自分にも聞こえてくる感覚の中、
父に電話した瞬間を、今でも刻銘に思い出す。
きっと、私に連絡をしてくれたのは、ある程度落ち着いてからで、
朝方に倒れている母を父が発見し、それからのドタバタ劇の後、
ICUに入って・・・
という、一連のことが起こっていたのだろうと想像される。
それから年度末までの3か月は怒涛の如く過ぎ去り、
ストレスも極限状態だった。
私でさえそうなのだから、父はもっと、ストレスを感じていたのだろうな。
よく持ちこたえてくれたなと、今は、ただただ感謝。
【2.悪いことばかりでもなかったかな。】
その一方で、悪いことばかりではなかったかな、とも思う。
両親が元気でいてくれる間は、私は安心して東京で仕事をできていたので、
気持ちはともかく、
物理的な距離が常にあった。
せいぜい、お誕生日や、父の日、母の日などにプレゼントを贈り、
お互いが元気でいることを確認しあって、安心する程度。
これまでの人生、こんなに家族が助け合い、
団結して何かを乗り切るということがあまりなかった。
正確には、私が一方的に助けてもらうばかりで、
私が家族を助けるということは、ほとんどなかったな・・・と。
特に、私が家族と連絡をとるときは、
母が中継地点にいなることが多かったので、
父とこんな風に協力し合って、というスタイルは、ある意味で新鮮。
母が亡くなって以降、父のことが心配だったが、
私よりよほど強く、たくましい。
仏壇の前で、“あんたの分までおれが長生きせなあかんな”
と話しかけていた。
春先から秋口までは、伊賀での滞在日数も増やし、頻繁に里帰り。
日常生活の第二の拠点となり、ランニングで町中を走り回り、
周辺の地理に明るくなり、
両親がお世話になっていた人々のことを知る機会も増えた。
とにかく、家族、親せき、ご近所様たちとのコミュニケーションが増え、
かけていただく言葉、
心配して自宅まで届けていただく野菜やおかず、
皆さんからいただく暖かい気持ちに、
心が潤うことがしばしばあった。
若いころからずっと、“一人でも大丈夫”と思ってきたし、
実際そうだったと思う一方、
それは、家族とのつながりをどこかで感じていられたからだと気づく。
母を亡くす経験をすると、
やはり、これから先、父に何かあった時のことを連想してしまう。
その時、あまりの寂しさに、私は耐えられなくなるのでは・・・
と思ってしまう。
全くの一人で生きていくって、きっと難しい。
つくづく、家族、友人、仲間の存在をありがたく思った1年。
【3.新しい一歩?!】
エジソンがこんな言葉を残している。
~わたしは決して失望などしない。
どんな失敗でも、気持ち次第で
新しい一歩になるのだから。
前を向いて歩いていこう!~
気が付けば、私の人生の岐路になった、2019年12月17日から、
まもなく、まる1年。
退社、独立・起業、結婚、二拠点生活。
もし、母が退院していたら、私は自分の時間を100%、介護に充てていた。
そのために、3月末日で退職する手配をした。
その矢先、3月29日の日曜日の未明、母は他界。
“そんなことしなくてもいいよ。自分の人生を生きなさい”
と言ってくれたとしか思えない。
私がせいいっぱい生きることが、母への恩返し。
絶対に負けない。
肩ひじ張らず、自分のペースで、少しずつでも前進していこう。
【4.おまけ】
私は、エクササイズ・コーチング研究所を主宰しています。
コーチングの冒頭にエクササイズを入れて、
エクササイズによってもたらされる脳や体への影響を最大限に活用しながら
コーチングを実施し、効果を高めようとしています。
ご関心のある方は、ぜひご覧になってみてくださいね!
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