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第十六回「紅の挑戦者」(その4)(2016年2月号より本文のみ再録)

 これまで3回に渡って取り上げてきた『紅の挑戦者』。ラストでは、ついに主人公・紅闘志也の運命を変えた男、タイ式ボクシングの王・ガルーダとのタイトルマッチが描かれる。青春のすべてをこの一戦に賭けて挑む闘志也の宿願の結末を、高森朝雄(=梶原一騎)はどう描いたのか。また、そこにどのようなメッセージを込めたのだろうか。

※『紅の挑戦者』の作品データとあらすじ


闘志也VSガルーダ戦に込められた想い

 前回説明したとおり、闘志也はガルーダとの対戦に際し新必殺技を編み出すのではなく、正攻法での戦いで挑むことを決意する。そして梶原の原作は第1ラウンド開始から力と力、技と技でぶつかり合う両者の一進一退の攻防を丹念に描写していく。
 「いわゆるけばけばしい必殺技などというものは しょせん二流の相手だけに通用するものなのですな!「いま ここにこそ キックの真髄あり‼︎」
 
序盤から白熱する試合展開に興奮した解説者の言葉だが、この台詞には梶原がこれまで手がけてきたスポーツ・格闘マンガに対する本音が表れているように筆者には思えてならない。
 確かに魔球・必殺技の類は少年誌におけるスポーツ・格闘技マンガでは展開上不可欠な要素であり、梶原自身も出世作『巨人の星』で大リーグボールを登場させることでライバルとの対決をよりドラマティックに盛り上げた。しかし、若い頃より力道山や大山倍達とも親交のあった梶原は、数多くのスポーツマンや格闘家の戦う姿やその舞台裏を知り尽くしている。だからプロの作家として読者を引きつけるために魔球・必殺技を登場させる一方で、その展開に少なからず不満を感じていたのではあるまいか?そう考えると、クライマックスにおいて闘志也とガルーダの戦いを正攻法にした理由も理解できるのである。梶原は、戦い合う者同士が互いの持つ力と技術を激しくぶつけあう姿こそ崇高なものと考え、その美しさを描くことで『紅の挑戦者』を締めくくりたかったのではないだろうか。
 だが、試合は事前の予想どおり闘志也にとって厳しい展開となる。それはかつて共にガルーダ打倒を誓い闘志也を厳しく育て鍛えた師・大利根一鬼でさえも、ガルーダの桁外れのパワーに徐々に痛めつけられてゆく闘志也の身を心配し棄権を提案する。しかも試合を止めさせようと意図的な反則行為までしてしまうほどであった。しかし闘志也は一切承知しない。そして彼には試合中に気づいたある勝算があった。
 「ガルーダは...ガルーダに弱い‼︎」
 長きに渡りタイ国の王者として君臨してきたガルーダの胸に彫られた伝説の鳥・ガルーダの紋章。その胸の下には数多くの死闘によって手術不能なほど複雑に折れた骨があり、強打されれば激しい苦痛を受ける唯一の弱点だったのだ。必殺技を排除した梶原が仕掛けた意外な設定を軸に、両者の形勢を五分と五分としてクライマックスに突入した。だがついにむかえた最終回では勝敗の行方も、どちらが勝利の女神とキスをして死神のキスを受けたのかも明らかにはされなかった。正確に言えば闘志也が勝利判定を受ける場面はないし、そういう場面が“描かれていなかった”のだ。
 両者が渾身の一撃を相手に浴びせてダブルノックダウン。ガルーダの異変に気づいたレフリーのカウントは中断され、場面は唐突に数時間後の誰もいないリングに移る。ガルーダに兄を殺され、闘志也を愛した女性・美湖が1人残った観客席でつぶやくモノローグで『紅の挑戦者』は完結したのである。
 この物語の最大の山場であり、主人公の宿願の一戦の勝敗をあえて描かなかった梶原の狙いとは何なのか?その答えを探す上で他作品の最終回を思い返すうち、意外な共通点の存在に気づかされた。

梶原作品と最終回 そのメッセージとは?

 たとえば『巨人の星』。星飛雄馬の完全試合達成の有無は提訴され未解決(※1)のまま終わった。『柔道一直線』は一条直也とかつての師が育てた強敵・ゴードンとの試合直前で完結(※2)している。さらに『あしたのジョー』の矢吹丈、『愛と誠』の太賀誠などはラストで生死を明らかにしていない。梶原作品の最終回は、いずれも伏線を完全回収しハッキリと物語を終わらせるのではなく、読者に想像をゆだねる部分を残した結末が大きな特徴である。結果として、このゆだねた部分(=あえて描かなかった部分)がどこか余韻を感じさせていることは間違いない。しかし逆に考えてみるとどうだろう?作中で描かないということは、作者が重要性を感じていないとも考えられるのではないか?
 その仮説に立ち、梶原が真に重要性を感じているのは何か考えた時、思い出す言葉がある。本連載において『巨人の星』を取り上げた時に紹介した「男の条件とはなにか」という一文(※3)である。それは「胸に星を抱くこと」「理想の星に向かって、ひたすらに歩み続けること」。つまり梶原が物語を描く上で最も大切にしていたのは、物語の行方や結末ではなく、主人公の理想の星=目的に向かって精進してゆく過程にある。だからたとえ主人公が目的に到達したとしても、それ自体の正否や勝敗についてはさして問題ではないと考えている...そういった仮説が成り立つのではないだろうか。
 話を『紅の挑戦者』に戻そう。
 主人公・紅闘志也にとっての目的は、底知れぬ力を持った男・ガルーダとリングの上で戦うことにあり、彼に勝ってチャンピオンになることではなかった。その一戦の実現に向かって、幾多の試練の日々を乗り越える闘志也の姿こそ、梶原のメッセージだと筆者は考える。男なら大きな目標を持て、成るか成らぬかの損得は考えず、その目標に懸命に挑み続けることが大事なのだ、と。闘志也も選手生命を賭けて、ガルーダと相打つギリギリまで挑み続けた。だからその先を読者の想像に委ねる意味で描かなかったのだというのが筆者の推測であるがいかがだろう?
 昔読んだきりでストーリーもおぼろげなアナタ!本棚にコミックスを眠らせているアナタ!そして折に触れ読み返しているアナタ!これを機会に『紅の挑戦者』を一騎に読め!

※1 テレビアニメ版では完全試合は達成されている。
※2 最終回掲載時期はテレビドラマ放送中で人気も高かったことから、数ヶ月後に大完結編が執筆された。
※3 小説『巨人の星』第1巻の序文より

『紅の挑戦者』を読んでみよう!(Amazon kindleへのリンク)

【ミニコラム・その16】

『紅の挑戦者』にプロトタイプがあった⁉︎
 梶原がつのだじろうと組んだマンガ作品に『虹をよぶ拳』(※4)がある。ジャンルは空手なのだが、どこか本作と通じるような点が(特に中盤から後半にかけて)いくつか見受けられるのだ。主人公の能力が極限的な場所で急速に成長を遂げたり、タイ式ボクシングの英雄に挑むという展開、そこで語られる“戦う男の心情”の数々。しかし、連載が始まった時点ではまだテーマに対する結論を導き出せていなかったのか、目指す最終王者との試合を前に物語は完結している。当時描かれなかった最終対決が、数年後に闘志也とガルーダとの戦いで描かれたのではないだろうか、と筆者は推測しているが、さて?

※4 1969年から71年に『冒険王』で連載。『空手バカ一代』に先駆けて極真カラテを取り上げた作品。

第十三回「紅の挑戦者」(その1)を読む!

第十四回「紅の挑戦者」(その2)を読む!

第十五回「紅の挑戦者」(その3)を読む!