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第十五回「紅の挑戦者」(その3)(2015年12月号より本文のみ再録)

タイ式ボクシングの絶対王者・ガルーダとの出会いに運命を変えられた男・紅闘志也。果てなき死闘の道を一途に進む彼の物語を追った本連載もこれで3回目となる。今回は闘志也がとった意外な行動による急展開から、悲願叶ってついに実現するガルーダ戦の直前までを語っていくこととしよう。

※『紅の挑戦者』の作品データとあらすじ

 「ガルーダさん あんたのキックボクサー秘密養成所!“蛇の巣”に入所させてほしい!」
 敵の慢心により、からくも東洋ライト級チャンピオンとなった闘志也。己の実力不足を痛感した彼がとった驚くべき行動とは、ガルーダが私設する養成所で自らを鍛え直すことだった。
 少年マンガの常とはいえ、闘志也の最大の敵・ガルーダは連載を重ねるうちに体格や風貌などが徐々に巨大で強面に描かれ“手強さ”のディテールがインフレを起こしていた。そんなガルーダ相手に、キックボクシング未経験だった主人公がいかにして比肩する実力を身に付けていくのか?その答えとして梶原が用意したのが、前記の展開だった。一歩間違えば命を落としてしまう程の過酷な養成所の日々を経てリングに復帰した闘志也は、驚異的な実力を身に付け連勝街道を驀進してゆく...。なるほど一応の筋は通っているが、筆者はこの展開に疑問を持たざるをえない。なぜなら、梶原のこれまでの作品を通して語られた持論と照らし合わせるならば、真の実力とは一朝一夕にして完成するものではないはず。つまり、日々の鍛錬の積み重ねにより身に付いた強さこそ、ここで描かれるべきもののはず。ゆえに筆者にはこの展開が唐突で安易な強化策に思えてならない。
 なぜ、このような展開がなされたのだろうか?これについて筆者は、思惑どおりの人気が得られなかったことが関係していると考えている。当初『あしたのジョー』を越えるような作品を!と壮大なスケールでスタートした本作だったが、そこまで人気は高まらなかったことから物語を完結させるための準備を始めたのではないか?『ジョー』はもちろん、『週刊少年マガジン』で連載中の他作品に及ばぬこと(※1)を悟った梶原は、言葉は悪いが本作を投げて“投げてしまった”と思われるのだ。そしてそれは、自身のもうひとつの顔である“梶原一騎”の前に、“高森朝雄”が敗北を認めてしまったことを意味する。その差は一体どこにあったのかと考えてみると、実はその要因のひとつが連載当初から存在していたことに気が付く。
 これまでの梶原作品と異なり、本作では序盤から主人公が追い求める具体的な目標としてガルーダを登場させた。この設定は作品のクライマックスが主人公と最強の相手との闘いであることを読者に容易に想定させてしまうことになる。その結果、物語途中に登場するライバルとの闘いに緊張感が生まれにくいばかりか、主人公に倒されるために登場する捨て駒のようにも受け取られ、魅力的な存在とはいえなくなってしまう。特に闘志也が急成長を遂げた蛇の巣卒業以降は、新たなライバル登場→対決→勝利→新たなライバル登場というルーティン展開に陥っている。本作に限らず、一気呵成に展開を進めたがる梶原の原作に関して、『あしたのジョー』の原作を改変したちばてつやが、その理由をこう語っている。
 「試合ばかり続いてしまう展開だけではドラマに緊張しかない。息抜きのような場面も必要ではないか」
 
この判断がドヤ街での子供たちとの交流や、ラストにもつながる有名な紀子と丈のデートシーンを生み出したのだ。一方、『紅の挑戦者』では緩急の“緩”に当たる描写が乏しく、このことから作画の中城は原作に手を加えず忠実に描いていたと推測される。だからこそ『紅の挑戦者』には『あしたのジョー』では描かれることのなかった梶原エッセンスが色濃く現れているともいえる。その意味では『紅の挑戦者』は梶原作品研究素材としての価値は高く評価できる。


有終の美を飾るべく決断した正攻法の戦い

「いわゆる必殺わざにたよりきることは もうやめだ すべてを一発にかけた必殺わざは どうしてもモーションが大きくなるから相手に裏をかかれたり やぶられたらそこでおしまい...つけこまれ おしまくられた にがい体験からの教訓さ!」
 ガルーダとのタイトルマッチを控えた記者会見の席で、普段無口な闘志也が理路整然と語る台詞である。
 これまで梶原自身が手がけたスポーツマンガにおいて、魔球や必殺技は物語展開の上での必須アイテムであった。本作でもここまで3つの必殺技が登場したが、タイトルマッチを前にしてすべて攻略されている。これまでのパターンであれば、最終戦に向けて新必殺技開発の特訓となるのだろうが、梶原はそれをせず、あくまで正攻法での闘いを描くことにした。
 前頁において、筆者は梶原が作品を中盤で“投げた”と解釈した。しかし劇画界にその名を馳せた原作者のプライドとして、最後のケジメだけはつけたかったのか、あるいは本来構想にあった結末は丹念に描きたかったのか。連載週刊誌上で1ヶ月以上に渡って続く闘志也とガルーダの試合は作品のクライマックスに相応しい白眉の展開となる。
 第◯部、〜の章、××編など梶原マンガでは物語がいくつかに章立てされているのが特徴だ(これまであまり語られていないが、いかにも文学志向の強い梶原が作り出したこうした語幹のセンスはもっと評価されるべきだと考えている)。『紅の挑戦者』においては第1部「氷壁のジャガー」、第2部「血で書いたラブレター」、第3部「炎の男のバラード」と続き、最終章の第4部を「女神と死神のキス」とした。ついにガルーダとの戦いを射程距離にとらえたある晩、闘志也が見た不気味な夢。それは勝利の女神と不吉な死神がキスを交わすというもの...。あらかじめ想定されていた試合だが、その結末までは読者にもわからない。それを想像する上でこのタイトルと描写は、さまざまに解釈できる。闘志也が勝利するが、ガルーダが死神となって地獄へ引きずりこむ(=死)のか?それとも闘志也が死神となってガルーダを死へ誘うのか?または第三の女神的な存在の人物が、死神を追い払うのか...。
 その衝撃の結末に込められた作者の想い、何のために戦うのか?について語っていくとしよう。クライマックスの次回・その4を乞うご期待!

※1 『愛と誠』は映画化やテレビドラマ化され、『空手バカ一代』は極真カラテブームを巻き起こした。

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【ミニコラム・その15】

記憶に残るトラウマシーン
 
梶原ファンが本作を語るとき、決して外せないエピソードがある。それは巨大な敵である魔神・ガルーダが自らの過去を語るなかで登場する、彼の運命を変えた姉の悲劇だ。村で評判の美しさ故に、好色な大僧正に目を付けられ妾にされた姉を助けるべく、寺院に乗り込んだ幼いガルーダは、丸裸にされ泣きながら踊らされている姿を見てしまう...。
 当時の少年誌では女性の裸は他作品でもあったしタブーではなかったが、加えて語られる“オトナの世界”的な話がどこか淫靡な雰囲気をまとい、当時少年だった筆者も含めて読むものをモヤモヤさせるのに十分なインパクトを与えたのだ。
 実は梶原は同時期に成人向け週刊誌に『新ボディガード牙 カラテ地獄変』(※2)を連載中で、読者ターゲットに向けたバイオレンス&エロティック描写が受けて人気作となっていた。当初は少年誌と青年誌で描き分けていた原作が、徐々にその境界線が壊れそうになる萌芽がこのエピソードに現れていると筆者は分析している。

※2 1974年から77年に『週刊サンケイ』で連載された。作画は本作と同じ中城健。

第十三回「紅の挑戦者」(その1)を読む!

第十四回「紅の挑戦者」(その2)を読む!

第十六回「紅の挑戦者」(その4)を読む!