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第十七回「新巨人の星」(その1)(2016年4月号より本文のみ再録)

 あの『巨人の星』の続きが読める!星飛雄馬に再び会える!それは昭和40年男にとっても壮大な“祭り”になるはず、であった…。
 今回から取り上げる『新巨人の星』が連載を始めたのは1976年のこと。奇しくも『巨人の星』が『週刊少年マガジン』で連載を開始してからちょうど10年の節目に当たる年であった(※)。本連載でも何度か触れているとおり、我々は前作に対してリアルタイムで触れた記憶は薄く、その連載終了からは6年の時間が経過していた。にも関わらず、上の世代と同様、僕らが冒頭のように歓喜したのはなぜか?それを解くカギは76年という時代にあった。
 その年、世間は長嶋茂雄率いる巨人軍による、いうなれば“ジャイアンツハイ”の状態だった。2年前の劇的な現役引退から監督に就任するも、その翌年は球団史上初となる屈辱の最下位を喫した。だが、76年は苦汁をなめた長嶋巨人が優勝奪回に向けて目覚ましい躍進を遂げつつあった。つまりミスタージャイアンツの描く2年越しのドラマが、この年まさにピークを迎えていたというわけだ。世間やマスコミは連日大騒ぎ状態であった。
 こうした状況下にあった僕らが、テレビアニメの再放送やコミックスをキッカケに『巨人の星』に触れれば、夢中になるのは当然の流れといえよう。昭和40年男にとってはこの時代こそが『巨人の星』体験の原点であり、星飛雄馬は現在進行形のヒーローだった。そんな感動の最終回の余韻も覚めやらぬ頃に届いた、続編登場のニュース。僕らがどれほど多大な期待を寄せたかおわかりだろう。
 しかし、本作は結果的に読者の期待に応えられぬまま連載は中途半端な形で終了してしまう。そして今日まで“失敗作”の烙印を押され、再評価の俎上にもあげられないままとなっている。
 筆者は考えてみたい。『新巨人の星』はなぜ失敗してしまったのか。梶原が作品に込めた思いとは何であったのかを…。

※1 今年(2016年)は『巨人の星』連載開始50年のメモリアルイヤーである。

※『新巨人の星』の作品データとあらすじ


『新巨人の星』誕生への紆余曲折

 『新巨人の星』の企画は、掲載誌である『週刊読売』から持ちかけられたとされている。それまで同誌にマンガ作品が連載されたという記録はなく、初めての取り組みだったと推察される。硬派な記事が多かったためか、新聞社系の週刊誌としてはマイナーな存在だった同誌。そこには上記で述べたように前年の最下位から一転、V1目指して躍進中だった長嶋巨人との相乗効果で、雑誌の売上を伸ばそうという目論見が見て取れた。
 この時期、梶原一騎は、かなり多くの連載本数を抱えてはいたものの、掲載誌の看板となるようなヒット作を生み出せてはいなかった。かつては世間にスポ根ブームを巻き起こした人気劇画作家が迎えた斜陽の時代の始まり…だからこそ自身の出世作の続編には盤石の態勢で挑んだはずだった。
 続編を依頼された時の心境について、梶原はこう語っている。
「憚りながら、かつての評判作の続編をムリにでっちあげて急場をしのぐほど、まだネタ切れはしていない。(中略)ヘタすると、せっかくの往年の評価も壊しかねない。むしろ作者としては起ちたくない冒険である。ひどく慎重にもなる。」(「新巨人の星新連載にあたり、その構想を語る」週刊読売1976年9/25号より)
 初めは難色を示した梶原を何とか口説き落とした『週刊読売』だったが、コンビを組んでいた川崎のぼるの方も抵抗を感じていたようだ。『いきなり最終回PART4』(JICC出版局刊)にて「僕のなかではもう終わっている」「前作で書き尽くした」との考えを吐露しており、幾度も断っていたという。現実問題としても、当時『フットボール鷹』(週刊少年マガジン)『ムサシ』(週刊少年サンデー)の2本の連載を抱えていた川崎には、スケジュール的に引き受ける余裕もなかったのだ。
 やむを得ず何人かのマンガ家に交渉を持ちかけるも、名作の続編という重大なプレッシャーもあってか次々と断られてしまい、結果的には梶原の熱意に押し切られるカタチで川崎が引き受けることになる。
 マンガに初めて取り組む週刊誌、大御所となった原作者、複数の連載を抱える多忙なマンガ家。前作とは大きく異なる制作体制のなかで「青年、成人向けの豪華巨編劇画であり、(中略)力あり、恋あり、人生一大叙事詩ともいうべき圧倒的な名作となる」(「新巨人の星新連載にあたり、その構想を語る」週刊読売1976年9/25号より)新連載が幕を開けたのだ。

飛雄馬ふたたび!作者が込めた想い

 多くの読者は飛雄馬が右投手としてカムバックする展開を予想していた。だがそれはずいぶん後の話。連載開始当初、飛雄馬自身はまだその可能性に気づかず、代打専門で巨人復帰に挑む草野球の有料助っ人バッターとして我々の前に再び姿を現した。そして誌面での再会に喜ぶ読者の気持ちとは対照的に、歳月を重ねた姿で再登場した父・一徹も、義理の兄となった花形も、その妻である明子も飛雄馬の巨人復帰の意志を認めようとしない。当人の飛雄馬でさえ自身の行動にどこか自虐的で「人生にケジメがないと見苦しい(中略)なのに おれはケジメの枠外でいまだに未練がましくもがいている 生き恥の醜態とはこれだ!」と語る始末だ。
 祝福を受けての華々しい復活、ライバルとの新たな戦い、前作のような活躍を期待する多くの読者は、75年の長嶋巨人同様、どん底の状態から這い上がろうと無様にもがく飛雄馬の姿に困惑した。
 しかし、梶原の当時の状況を思い浮かべると筆者には、“ふたたび”の情熱に燃えながらも悩み苦しむ飛雄馬に自己を投影していたのではないか?と思えてくる。『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』…。長期に渡って連載を続けてきたヒット作が次々と終了に、『愛と誠』も完結間近に迫っていた。新たにスタートさせた新連載は、どれもかつての勢いを出せない。そうした状況下で、梶原自身も本作を足がかりに“ふたたび”劇画原作者としての勢いを取り戻したいと思っていたのは間違いない。もしも『新巨人の星』が読者の支持を集めることができたなら、劇画原作者としての後半生はもっと充実したものになっていたのではないか?そうであれば、映画製作や格闘技興行に進出することなく、劇画原作に意欲を燃やし続けたかもしれない。後に経営者ゆえの多忙が作家としての活動の幅を狭めてしまったことを考えると、そう思わずにおれない。
 しかし、飛雄馬を再起へと決意させた長嶋茂雄という国民的英雄が描く現実のドラマが、『新巨人の星』の後の展開に大きな影響を及ぼすことになってゆくのである。

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【ミニコラム・その17】

番場蛮な星飛雄馬⁉︎
 
前作同様にテレビアニメも放送された本作は、プロモーション展開として児童誌『テレビマガジン』で約1年間に渡ってコミカライズもなされた。その画を担当したのが、かつて『侍ジャイアンツ』でコンビを組んだ井上コオ。その時の主人公の絵柄はどう見ても星飛雄馬というよりも番場蛮であった(笑)。当時小学6年生から中学1年生だった昭和40年男たちにとって継続購読していたならば思い出深い作品であろうが、この手の児童誌を既に卒業する年齢と想定されるので、その存在を知っている者は多くはないだろう。ストーリーはアニメをベースに、児童向けにアレンジされたオリジナルで未刊行本化作品だ。

第十八回「新巨人の星」(その2)を読む

第十九回「新巨人の星」(その3)を読む

第二十回「新巨人の星」(その4)を読む