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第七回「巨人の星」(その1)(2014年8月号より本文のみ再録)

 今、『巨人の星』は正しく評価されているだろうか?
劇画原作者・梶原一騎の名を一躍世間に知らしめたといえる本作品を取り上げるにあたり、頭にまず浮かんだのがこの疑問だった。筆者が出した結論を先に言えば❝NO❞だ。
 確かに知名度は高い。2014年の現在も原作マンガは書店に並んでいるし、テレビアニメも地上波や衛星放送で流れている。昨年はアニメ放送45周年を記念してブルーレイボックスが発売され、数年前には携帯電話会社のCMキャラクターにも使われている。オーバーな表現だが、日本に住んでいて『巨人の星』のキャラクターを一度も見たことがない(知らない)という人は一人もいないだろう。
 さかのぼれば、『週刊少年マガジン』での連載開始(1968年)から48年、本作は正しい評価をされないまま、マンガ史に残る名作としてカテゴライズされてしまったのではないだろうか?
 奇しくも星飛雄馬は「越えても越えても試練が降りかかってくる。そういう星のもとに生まれた、悲運を背負った主人公」として創造者たる梶原より描かれた。筆者にはその悲運が呪縛として、作品が終了した現在まで続いているのではないかと思うのである。
 今回より数回に渡り、その疑問について考察するとともに、梶原が込めたであろう作品への想い、昭和40年男たちが受けた影響などについて考えたい。

※『巨人の星』作品データとあらすじ


マガジンと梶原一騎を救った『巨人の星』

 まず、本題に入る前に『巨人の星』が誕生した経緯について簡単に説明しておこう。
 連載が始まる以前、『週刊少年マガジン』はライバル誌に比べ発行部数で苦戦を強いられる一方、梶原一騎もその強気な性格が災いして読み切りや短編しか依頼されておらず、干されているに等しい状態だった。そんななか、マガジン挽回策のひとつとして従来にない大河マンガの連載が企画され、その原作者として白羽の矢が立ったのが梶原だった。
「マガジンの佐藤紅緑(※1)になってください」
 新たに新たに就任した内田勝編集長の言葉に意気を感じた梶原が執筆を引き受けることになるエピソードはファンなら知っている有名な話だ。題材として少年読者になじみのある野球を選び、さらに人気球団・巨人軍を舞台に主人公が活躍するストーリーは、連載を重ねる毎に人気を集め、雑誌の部数も伸びていった。これにテレビアニメの放送が拍車をかけ『巨人の星』は社会現象にまで発展する。
 これにより梶原一騎は時代の寵児となり、次々とヒット作を連発。マガジンは発行部数百万部を突破し、見事ライバル誌を追い抜くこととなった。
 この経緯はスポ根(スポーツ根性)ブームとしてマンガ史に刻まれることになるわけだが、筆者はそれが本作の本来なされるべき評価がされなかった最初の要因であったと考えている。

❝スポ根❞ではない?本作のメインテーマ

 評伝や関係者の著書、インタビュー記事を調べていくと、世間が本作に注目した点は飛雄馬と一徹の親子関係にあったことがわかってくる。
 高度経済成長の当時、流行だったマイホームパパに対するアンチテーゼとして梶原が登場させた厳格な父・星一徹は、読者から意外な支持を集めてしまう。自らが成し遂げられなかった悲願を子に託し、徹底したスパルタ教育で育てる父と、その期待に応えるべく試練に耐える息子。その姿は失われつつあった、かつての日本の親子像への憧憬という❝ないものねだり❞の教育論の俎上に載り、週刊誌やワイドショーの題材にもなる。実際、梶原にはそうしたテーマの講演依頼まできていたというから驚きだ。当時の親なら子供への悪影響の元凶と考えがちだったマンガ作品が、まるで道徳の教科書のように読まれている状況だったのだ。さらに毎週放送されるアニメのオープニング映像の印象も加わり、『巨人の星』といえば汗と涙、努力と根性といったイメージが強く浸透していく。一徹のちゃぶ台返しが実際は1度きりなのに、エンディング映像でくり返されたが故に、頻繁に行なわれていたと長い間誤解されていたのと似ている。
 しかし、梶原が本作で描きたかったテーマは別にある。連載終了後の座談会では「主人公の限りなき前進」であると語り、その1年後に当時を回想した手記(※2)でも「試行錯誤のくり返しの中から磨かれて底光りする真のカッコよさ」にあるとも語っている。梶原はマスコミが付けた❝スポ根❞という名称も否定していた。同書で「それを言うのならドン男路線ーすなわちドン・キホーテ路線とでも願いたい。(中略)はためは滑稽だろうが、バカに見えようが、本人は一生懸命な男の美でありロマンである」と書いている。
 こうした作者の意図とは異なる部分で世間から大きな反響を得たことで、本作がその本質や作品論でなく、あくまで社会現象として、批判的だったり荒唐無稽さを揶揄されて論じられ続けたことが冒頭の疑問に対する答えのひとつといえるだろう。
 メインテーマといえば、本作の小説版(全5巻)には、冒頭に必ず各巻のテーマが語られている。なかでも第1巻は、梶原が後に本作を語る上で引用される重要な名言なので最後にぜひ紹介したい。

 男の条件とはなにか。
 それは、むねに星をいだくことだ。そして、その理想の星に向かって、ひたすらに歩み続けることだ。
 星は遠く、道は苦難に満ちていよう。たとえ道半ばにして力つき、たおれようとも、男として完成された栄光は、彼を包み祝福するだろう。

※1 大衆小説の人気作家だったが、当時まだ地位の低かった少年誌に編集者の熱心なすすめで書いた『あゝ玉杯に花うけて』が思わぬ支持を受け、その後、少年小説の第一人者として活躍した(1949年没)。
※2 「巨人の星」わが告白的男性論(文藝春秋 1971年12月号掲載)。

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【ミニコラム・その7】

『巨人の星』大ブームの頃
 1966年5月、『週刊少年マガジン』で連載が開始された本作は、翌年の甲子園大会のエピソードから人気が上昇していった。そして68年にテレビアニメが放送されると人気は爆発し、世間に❝スポ根ブーム❞を巻き起こした。視聴率は平均で25%を越え、70年1月には最高視聴率36.7%を記録。その原作者である梶原一騎は、時代の寵児としてマスコミにも数多く取り上げられ、その年の高額所得納税者番付にも載るようになった。この後、マンガの小説版が刊行(全5巻で、第1巻は発売3ヶ月で17刷の増刷がかかっている)されると、続いて69年の夏には劇場版映画の公開や、東京・日比谷の芸術座で舞台版も上演される。飛雄馬役に志垣太郎、一徹役に中村吉右衛門がキャスティングされた。さらには『週刊少年マガジン』の誌上で星一徹の人生相談コーナーが設けられ、約一年間読者から寄せられた悩みに答えていた(※文責は梶原一騎本人によるもの)。

第八回「巨人の星」(その2)を読む!

第九回「巨人の星」(その3)を読む!

第八回「巨人の星」(その4)を読む!