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第九回「巨人の星」(その3)(2014年12月号より本文のみ再録)

 悔しいことに、僕ら昭和40年男は『巨人の星』をリアルタイムで目の当たりにしてはいない。雑誌に連載していたのが1歳から5歳に当たる時期(※1)なので、『巨人の星』のマンガは単行本で、テレビアニメは再放送で初めて触れた世代である。
 筆者の場合は、小学校高学年の頃、平日の夕方に再放送されていたアニメを観てすぐに夢中になったあげく、続きを早く知りたくなり翌週まで待ちきれずに単行本を買いそろえたクチである。その波乱万丈な物語のなかで、特に興味を惹かれたのが、主人公・星飛雄馬が投げる数々の魔球=大リーグボールであった。
 もう変身ヒーローや怪獣番組を卒業しつつあったこの時期、飛雄馬の投げる大リーグボールは、かつての“ごっこ遊び”に取り入れていたライダーキックやスペシュウム光線のように、自分が主人公と同化した気分になれるかっこいい必殺技だった。それらの魔球にはどれも、見ると一度は真似したくなる不思議な魅力があった。
 放課後の草野球で相手のバットめがけて当ててみようとしたり(無論当たらず、身体に当ててはけんか騒ぎ)、足の甲に砂を乗せて蹴り上げてみたり(当然頭から砂をかぶるだけ)、親指と人差し指だけでボールをなげようとしたり(もちろん捕手には届かない)したことは、同世代なら誰でも共感できる体験だろう。
 そこで今回は、『巨人の星』に登場した魔球=大リーグボールについて語ってみたい!

※『巨人の星』作品データとあらすじ


人間ドラマにあえて魔球を登場させた狙いとは?

 本誌連載で以前(※2)にも触れたが『巨人の星』は、それまでにないスポーツマンガというジャンルに人間を描く大河ドラマを目指して企画された作品である。だが、読者対象である子供たちに読ませるために工夫が必要だった。
 梶原は後にこう語っている。
「あまりリキむな、と自戒した。所詮はマンガなのだ。クスリでも子供向けは糖衣錠になっている。薬効そのものには責任を持たねばならないが、それをくるんでのませてしまう口当たりの甘さが必要。」(※3)
 この“糖衣”に当たるのが作品の舞台である人気チーム巨人軍であり、長島や王といった実在のスター選手、そして大リーグボールであった。僕らはその糖衣の口当たりに見事に食い付き作品に触れるうち、そこに込められた作者のメッセージにじわじわと気づいていったのだ。この梶原の狙いは見事に的中し『巨人の星』が大ヒット作品となったのは言うまでもない。
 さて作中では飛雄馬が3つの魔球を編み出す。打者の構えたバットに当てて打ち取る大リーグボール1号。ボールが消える魔球、大リーグボール2号。打者のバットをよける、大リーグボール3号。いずれも今日に至る野球マンガ史において多大な影響を及ぼしたが、なかでも筆者が「これぞ梶原イズム!」と特筆したいのが大リーグボール1号である。

大リーグボール1号は、星飛雄馬そのもの

 球質の軽さが災いし、当てるだけで長打にされてしまうという、投手としての致命的欠点を暴かれる星飛雄馬。一度は選手生命を絶たれ、再びマウンドに這い上がるために編み出したのが大リーグボール1号である。それまで野球マンガに登場した魔球誕生のドラマは物語の1エピソードに過ぎなかったが、大リーグボール1号の場合は発見の糸口から検証や特訓、実戦でのライバルとの攻防などを長いスパンをかけ重厚なドラマとして描いている。この魔球をめぐるドラマを読んでいるうちに、筆者などは魔球そのものが主人公自身であるかのようなイメージを抱いてしまったほどだ。
 また梶原は作中の人物たちに「大リーグボール1号は成長する魔球」と評させており、ライバル達に攻略される度に、幾度も工夫や改良を加えることで威力延命に努めている。魔球史上でもバージョンアップするというアイディアは斬新で、他に類を見ないのではないだろうか。
 そんな飛雄馬の投手としての存在意義ともいえた大リーグボール1号だったが、父・一徹&オズマの師弟コンビに完膚なきまでに打ち込まれ、敗北してしまう。その最後の瞬間、飛雄馬の脳裏には大リーグボール1号の生涯ともいえる幾多の場面が浮かぶ。この名場面に梶原が送った最後のはなむけたる珠玉の一文がこれだ。
「人間は 死に際してひじょうに短い時間にその人のたどってきた一生のすべてをあざやかに見るという 飛雄馬も見た! 大リーグボールの血みどろの誕生からいま その死までを!」
 
一つの魔球の誕生から死。このドラマの中から僕らが学ぶべきことはあるだろうか?

己の欠点に勝つとは?一徹に学ぶ名言の数々

 宿命のライバル・花形との初対決での勝利をテレビで観戦した一徹はこう言う。
「欠点を努力によって むしろ長所ならしめる…わが子ながら この人生において これほど美しい勝利はない!」
 
人は自らの欠点を改善したい・なくしてしまいたいという心理が働きがちである。しかし、持って生まれたものはなかなか思うようにならないことは僕らも十分承知している。一徹の台詞には、そこから逃げるのではなく一度受け入れて活かす方法を考えよ、というメッセージとも受け取れる。幼い頃はピンとこなかった台詞も、年を重ねて再読してみると、心に沁み入ってくるものがある。大リーグボールの荒唐無稽さに目を奪われずに、それを通じて語られるメッセージを読み解くと『巨人の星』が我々のなかに今も生きていることが感じられるはずだ。
 読まれてけっこう いや もう一歩進んで読んでもらおう!
 次号で『巨人の星』編は完結する。乞うご期待。

※1 『週刊少年マガジン』にて66年から71年まで4年9ヶ月に渡って連載。
※2 『昭和40年男』2014年8月号
※3 『「巨人の星」わが告白的男性論』(文藝春秋 1971年12月号)より

『巨人の星』を読んでみよう!(Amazon kindleへのリンク)

【ミニコラム・その9】

何日かかった?魔球開発の謎
「ふふふ…そうたやすく魔球だの大リーグボールだのがぽんぽんとび出すものか」。大リーグボール1号の改良に挑む飛雄馬に、すわ新魔球かと喜ぶ親友・伴宙太への返答である。確かに我々のイメージでは、魔球開発にはその威力に相当する、長い期間がかかっているような気がするが、実際はどうなのか?丹念に原作を読んでいくと衝撃の事実がわかった。飛雄馬がデビューした1968年4月の開幕戦でKOされてから、再びマウンドにあがり大リーグボール1号を投げたのが6月中旬。つまり約2ヶ月かかった計算だ。続いて2号が登場するのは翌69年の9月半ば。後に魔球の正体を暴いた花形の弁によれば開発に約1ヶ月しかかかっていないことが判明する。そして3号は、飛雄馬にとってプロ生活最後の在籍年となる70年。自身初のオールスター戦の第2戦開催球場への電車移動から、その夜の登板までのわずか数時間の間に完成させていたのだ!恐るべし星飛雄馬!

第七回「巨人の星」(その1)を読む!

第八回「巨人の星」(その2)を読む!

第八回「巨人の星」(その4)を読む!