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矢吹丈をリングへ導く財閥令嬢 白木葉子 (「昭和40年男」2021年4月号・特集“俺たちをゾクゾクさせたカッコいい女たち”より)

 カッコいい女はエイジレスだ。誕生から半世紀を越えて語り続けられる白木葉子。作中で貫かれた彼女の生き方は単なるヒロインの枠を越えて、主人公の命運を握る重要人物として我々に強烈な印象を残した。

 1980年3月、昭和40年男が中学2年の春休みに劇場版「あしたのジョー」が公開。映画のヒットやテレビアニメ再放送の高視聴率を受けて10月からは新番組『あしたのジョー2』が放送。翌年7月には劇場版第2弾も公開されるなど、80年代の初め、巷は“第二次『あしたのジョー』ブーム”でにぎわっていた。ボクシングに懸けた青春を完全燃焼させようと戦う矢吹丈のカッコよさを再認識する一方で、異性への多感な感情が芽生えるこの時期、あらためてその魅力に気づかされたキャラクターが白木葉子だ。特にライバル・力石徹の死後、祖父で白木財閥の会長でもある白木幹之介が興したボクシングジムを受け継いでからの彼女の行動は、ジョーの運命を左右するほどの重要な鍵となっていた。そんな葉子を評したジョーのセリフ。
 「ときどき思いもかけないような運命の曲がり角に待ち伏せしていて、ふいに俺を引きずり込む…まるで悪魔みたいな女だぜ」
 創造主である原作者・高森朝雄(=梶原一騎)が実際に出会った令嬢たちをモデルに、自身の理想を重ねて作ったキャラクター、それが白木葉子である。従来の少年マンガ誌にあった、主人公に守られるためだけのひ弱で可憐なヒロインではなく、自らの意思で行動し、想いを貫いたクールビューティー・白木葉子のカッコよさについて語ってみよう。


ジムの会長職就任と一世一代の賭け⁉︎

 ジョーが企てた詐欺事件の被害者として初登場して以降、力石の死までの葉子はジョーに反発する金持ちの嫌味なお嬢様的役割で、カッコよさを見せた場面は決して多くはない。強いて挙げるとすれば、過酷な減量に挫けそうになった力石のために、ジムの水道の蛇口に針金を巻いて縛ったり、コップに注いだ白湯を差し出したあの有名な場面だろうか。しかし、彼女の真のカッコよさが発揮されるのは力石が死んで以降の、白木ジムの会長に就任してからなのだ!そもそも葉子は白木財閥の令嬢として何ひとつ不自由のない境遇になりながら、なぜ男社会のヒエラルキーが根強いボクシングの世界に身を投じたのか…。その真意は葉子自身の口から決して詳しく語られてはいない。しかし、作品を最後まで通して読めば(観れば)、彼女の行動のすべてはジョーという一人のボクサーのためだけにあったことは十分に理解できるだろう。会長就任後は同業である海千山千のベテランを見事に欺き、自らが招聘した世界ランカーとの試合を次々にマッチメイクさせてしまう手腕の巧妙さ。策略に気づいたベテランの猛抗議も契約書を盾ににべもなく退けてつぶやくセリフの妖しさ。
 「いよいよはじまるわ…。白木葉子一世一代の賭けが….」
  彼女の言う“賭け”とは、力石の死に苦しみもがくジョーを自らの手腕で完全再起させることだ。その起爆剤として同じ野生の匂いをもつ世界ランカー、カーロス・リベラを招聘した人選は見事というほかない。本物の男を見極める眼をもつ女、それが白木葉子なのだ。筆者が思うに、ズブの素人の彼女がボクシングの会長職やプロモーター業に即座に適応できたのも、一代で白井財閥を築き上げた祖父・幹之介の血と才能を受け継ぎ、その手腕を間近で見続けてきたからであろう。
 過去に惨敗させられた相手とカーロスを闘わせて、狡猾なテクニックで次々とKOしていくことでジョーをじわじわと挑発する葉子。幾度かの試合を経て、ジョーとカーロスは大観衆が見守るなかで最後の闘いを繰り広げた。互いにもてる力を出し尽くして殴り合い、見事にジョーはボクサーとして完全復活を果たす。それは葉子にとって女性プロモーターとして興行の成功よりも価値のある、自らが挑んだ一世一代の賭けに勝てた無上の喜びであったはずである。

愛する男の宿願を叶える行動が抱える矛盾に苦悩

 ジョーの復活により自身の役割を果たしたはずの葉子。しかし、ホセ・メンドーサという世界チャンピオンの登場が彼女に新たな生きがいを作らせる結果となる。それは「世界一の男とリングで闘いたい」と言うジョーの宿願を成就させることだが、そこへ踏み込むことに葉子の迷いがなかったわけではない。成長過程にあるジョーがウエイト維持に苦しむ姿にかつての力石の死が重なってしまい、これ以上リングで闘わせることに疑問を抱いていたからだ。しかしジョーの常軌を逸した行動で過酷な減量を克服し、圧倒的不利な状況のなかで東洋チャンピオン・金竜飛を逆転KOしたのを見て彼女の決意は固まる。ジョーを支援するテレビ局を出し抜き、ハワイで静養中のホセと直接交渉の末に日本での世界戦の興行契約を結んでしまう。一度覚悟を決めれば、即座に実行に移る行動力。カーロスの時はベテランのジムの会長を、そして今度はテレビ局を相手にプロモーターとして鮮やかな手腕を見せてくれた葉子は実にカッコいい。だがしかし!俗世間にまみれ野性味を失いつつあるジョーのために苦心して獲得した世界戦の興行権をあっさり手放し、代わりにマレージアから発掘したハリマオとの防衛戦を仕掛ける葉子はもっとカッコいいのだ!その突飛な行動に「ブルジョワ令嬢の気まぐれ」とマスコミ関係者からは陰口を叩かれ、ジョーにさえも試合の真意を理解されない寂しさを、決して他人に見せることなく、孤独のなかでただひとり自らの想いを貫くために行動を続ける葉子。世界一の男と存分に戦うためにも、かつて力石と闘った時のような野性味を再び取り戻してほしかった…。ジョーに挑みかかる野生児ハリマオは、葉子のそんな想いの分身とも言えるのではないだろうか。彼女の目論見は功を奏し、見事ハリマオをKOしたジョーのファイティングスタイルは完成に近づく。しかし反面、彼が重度のパンチドランカーではないかと言う疑念が確証に変わってしまったことに葉子は初めて激しい動揺を見せる。ジョーの宿願であったホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチ開催が迫るなかで、葉子は試合の中止させるべく行動に出た。一方的に無視され続けてもなお、ジョーへのコンタクトを取り続ける健気な葉子の姿は、それまでの冷静で心の内を決して明かさない彼女のクールさからはとても想像がつかないことだ。もはやジョーを愛する一人の女として行動するその姿にも、我々はゾクゾクさせられた。

ジョーに見せた生身の弱さと立ち直りの潔さ

 「すきなのよ 矢吹くん あなたが‼︎ すきだったのよ…最近まで気がつかなかったけど…」
 「おねがい…わたしのためにリングへあがらないで…」
 「この世でいちばん愛する人を…廃人となる運命の待つリングへあげることはぜったいにできない‼︎」
 
試合直前の控え室でジョーに告白した葉子の言葉は、我々の胸にも悲痛な叫びとして響く。それまで深層の令嬢である葉子の行動を理解できず嫌な女だとさえ思いながら描いていたちばてつやが、ようやく彼女の気持ちに同化して描くことができた語った、俗っぽい表現を使うならば理知的で勝気な葉子との“ギャップ萌え”が味わえるジョー&葉子ファンに人気の高い名場面だ。そして本作のクライマックス。パンチドランカー症状を自覚しながらリングに上がったジョーはホセを相手にまるで歯が立たない。葉子は、愛する男がリング上で叩きのめされ傷ついてゆく様子に耐え切れず試合会場からついに逃げ出してしまった。並の女なら十分にあり得る行動だが、決してありふれた女に成り下がったままにはならないところに、白木葉子の白木葉子たるカッコよさがある。今自分がするべきこと、ジョーへの愛を貫くこと、それは彼が立派に闘い抜くのを目を背けずに最後まで見届けることだと気づいた葉子は再びリングサイドに戻る。ジョーをボクサーとして見出し、今日まで共に歩んできた師・丹下段平でさえも試合を棄権させようとする孤立無縁な闘いのなかで、葉子の声援だけがジョーの心情を理解し励ました。
 「そう 立つのよ‼︎ 今までのように‼︎ 何度も何度も」
  ジョーがリングで闘う限り共に生き、生命を燃焼させようとするする葉子。このひたむきでカッコいい姿こそ『あしたのジョー』におけるベストシーンではないだろうか。真っ白な灰になって燃え尽きたジョーの満足げな笑みを。葉子はどんな思いで見続けたのか…。試合後、ジョーが葉子に渡す血まみれのグラブは愛の告白の返事ではなく、自分の想いを最後まで理解し見守ってくれた感謝の気持ちだと筆者は解釈している。
  以上『あしたのジョー』後半の物語をおさらいしつつ白木葉子のカッコよさについて語ってみた。物語のなかの彼女にはかわいらしさや美しさと言う表現は似合わない。常に激しさと情熱をもってジョーと対峙する葉子は、ヒロインであり、力石やカーロスらと同じライバルであったのではないだろうか…。“愛とは戦いである”という二人の関係性はこの時期の原作者にとって重要なテーマだったのか、連載終了と同時期に始まった『愛と誠』にも引き続き描かれていくことになる。
 少年誌登場から半世紀を越えて、作品を含めて今なお我々の記憶に残るキャラクター・白木葉子。巨万の富に恵まれビジネスの才覚をもち、男性社会とも五分に張り合える度胸をもちながらも、反面古風な女らしさも兼ね備えたスーパーレディ。彼女は従来のヒロインという枠組みには収まらない稀有なキャラクターなのだ。

作品考察:第二十一回「愛と誠」その1 を読む!

作品考察:第二十九回「あしたのジョー」その1 を読む!