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東日本大震災を忘れない(10)-仙台から気仙沼、そして相馬の避難所へ

こんばんは。今日もお疲れ様です。

2011年のゴールデンウィークに、自分の車で福島と仙台に行き、支援物資を運んだ話の続きです。

最初に、大震災で亡くなられた方々に対し、心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。

上の画像は、復興のシンボルになった気仙沼の龍の松です。
気仙沼に何度か行きましたが、これは見る機会がありませんでした。

今回は最終的に、この荷物を被災者の方に渡したかったです。

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当初、同行したカツオ君の目論見として、岩手の盛岡の支援物資集積場所に持って行くつもりでしたが、その前に、ものは試しと気仙沼に運ぶことにしました。

道中、北上川の雄大さに感銘を受けました。

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感銘受けたなら、河原にでも降りて撮影すべきですよね。(汗

でも、この日はどこにも宿泊予約してなかったので、時間が読めない日程でした。

この北上川の西の方に、伊豆沼と内沼があるのですが、そこはラムサール条約登録湿地で、日本一の渡り鳥の飛来地だそうです。

県道346号を通って、気仙沼を目指します。

途中、南三陸町の手前で、山あいの道の駅、林林館に立ち寄ります。

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東京のお土産に、葱とほうれん草を買いました。
帰宅した途端に味噌汁の具にしてしまい、写真はありません(笑)。

次の道の駅では、状況が一変していました。

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林林館でもらったパンフレットには、こちらのホテルのような立派な建物の写真が載ってましたが、それが見る影もありません。

仮設小屋が建ってましたが、元の建物は津波にもろにやられて本復旧のめどは立たないそうです。

道の駅の隣の郵便局も、自家用車がありえない角度で突っ込んでます。

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建物の内部も、滅茶苦茶でした。

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当地の名物鱶鰭スープを売ってました。

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聞くと、製造元が倒産してしまい、従業員に退職金を払うために販売しているとのこと...。

裏手の鉄道の駅も、瓦礫が積んだままでしたが、ホームの上に、ぬいぐるみが座布団を敷いて乗せられてあり、傍らには空のお酒の瓶が添えられていました...。

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道路の開通を優先させたため、瓦礫が積み上げられてました。

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のぞえらが通ったときも、瓦礫撤去作業は続いてました。

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大谷海岸を抜け、気仙沼に向かう途中が一番被害状況が甚大でした。

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神社に上る階段の手すりが、5mの高さまでひしゃげていました。

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その高さまで、ありとあらゆるものが押し流され、そして手すりを破壊したのでしょう。

こちらは、帰りに同じ場所を撮影したものです。

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ガソリンスタンドも、滅茶滅茶でした。

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気仙沼駅に着きました。

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駅前の案内所に市の職員の方が出向しておられ、ボランティアの集合場所案内をしてました。

支援物資の集荷場所も教えてくれましたので、そちらに向かいます。

が、その前に少し早い食事にしますた。

今ではもう閉店しちゃってます。。。

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実は、私の日記に外食でラーメンが登場するのは確率的に極めて稀ですが、被災地行っててそんな贅沢も言ってられません。

おまけに名物のフカヒレラーメンも、気仙沼ラーメンも、食材が入らないため食べることができませんでした。

スタミナラーメン700円を頂きます。

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お肉もニラもたっぷりでした。

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スープは、ちょっとそこまでくどくしなくても、って味でした(笑)
ま、好きな人は好きなのでしょう。
この後、石巻には何度もボランティア作業で入り、体を激しく使った後なら、これは大変ありがたいのですが、なかなかうまくいきません。

食後に、ヤクルトをくれるんです。

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気仙沼市の支援物資集荷場所は、青果市場でした。

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つまり、青果市場が本来の機能では使われてない、ということですが...。

受付の人に相談してみたのですが、倉庫が満杯で、現在は食料しか受け入れしてないそうです。

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確かに、裏手の倉庫は満杯でした。

満杯でも食料なら受け入れられる、というのは矛盾してるようですが、食料ならどんな量でも炊き出し隊に提供したり、避難所で等分に分けられるので、最低量が柔軟に対応できるのでしょう。

衣料等は、特定の避難所だけに配布する、という訳にはいきません。

所管の避難所に居る人全員に行き渡らないものは、受付られないのです。

のぞえらのように、これ受け取れますか?と聞くのはましで、中には使用済みの下着を数着送りつけるような人も居るそうです。

そんな時、ようやく相馬の避難所でボランティアをしてる、カツオ君の会社の同僚と連絡が着きました。

のぞえらの持ってる量の衣料なら、公平に分配できるとのことです。

特定の避難所だけに配布することになりますが、もともとのぞえらが運んできたのはそれだけですから、やむをえません。

もともとは、盛岡の支援物資センターまで運ぶ予定でしたが、そこに運んでも、数が揃わない限り、避難所へは出荷されないと判断されました。

また、支援物資をどうやって運ぶか、という問題が依然残されてます。

気仙沼の青果市場に、宅配便の会社のトラックが止まってましたが、彼らも会社から派遣されたボランティアだそうです。

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震災で、一般の運搬需要も低下してますからね。

大型トラックを運転できる人が揃わないと、物資も満足に運べません。

頑張ってるのは、自衛隊や警察だけじゃないと認識しましたが、同時に、必要なものを、必要な人に今届けるには、自分達で運ぶしかないとも認識しました。


では、一転、福島県相馬市に向かいます。

一度も訪れたことのない岩手県は、県道346号を進む間に一瞬かすりましたが、また来る機会もあることでしょう、と思っていたところ、後日実現しました。

続きます。


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