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東日本大震災を忘れない(30)-岩手県遠野市から大槌町へ。<その2>

こんばんは。今日もお疲れ様です。

最初に、大震災で亡くなられた19,729名の方々に対し、心より哀悼の意を
表するとともに、ご冥福をお祈りします。

そして、とうとう行方がわからないままにしてしまった5,229名の方々に、
心からお詫び申し上げます。

(数字は、いずれも以下の今年3月10日現在の緊急災害対策本部の最新情報
です。)


http://www.bousai.go.jp/2011daishinsai/pdf/torimatome20200310.pdf


昨日の日記の続きになります。2011年10月29日(土)の朝の話です。

高速道路を降りたところで、午前6時前に朝食を済ませます。
いつもなら、その2時間前には現地に着いてるところですが、さすが
岩手県は東京からは遠い。

Pascoのコッペパン。画像はうっかり撮影しませんでした。

午前6時50分に遠野市のボランティアセンターに到着します。

画像1

ここから、作業現場となる釜石市大槌町の赤浜地区はまだかなり距離がありますが、こちらが担当しているセンターになりますので、こちらの指示を
受けます。

トップ画像は、大槌町ではなく遠野市の画像です。

午前7時から、ラジオ体操をやるのでそこから参加して欲しいと、事前に
要請を受けてました。

通常、ボランティアセンターの受付は朝9時くらいなので、ちょっと珍しいな、と思いました。
まぁ、そこから隣の市までバスで移動するのですから、妥当な時間割り付けでしょう。

来てみて初めて知ったのですが、このセンターには、現在80名程の長期
ボランティアが全国から集まり、泊まり込みで作業を続けてくれているそうなんです。

極めて異例ですが、凄いことです。

どうしてそんな体制を取らなくてはいけなくなってきたかは、後でだんだん判ってきました。

のぞえらの様な、その日に帰るグループ単位で参加のボランティアも
加わり、総勢210名が集結しました。

ラジオ体操、なんか数年ぶりにやった気がしまする。

体操の後、全体を取り仕切る三好さん(68)という方が挨拶に立たれます。

年齢とかは後で休憩時間に詳しく聞いたのですが、4月から5度目の遠野
入りだそうです。

もともとは大阪の方で、毎回2週間滞在してるそうです。

歩いて日本中回ってて、三陸沿いは思い出の場所だったので、震災後は
ちょくちょく来ることにしたそうです。

これから向かう大槌町は、震災・津波の後、4か月もボランティアの応援がなく、家財の運び出しも全部地元住民で細々と進めていた地域だと、三好
さんのお話しで判りました。

4か月も経ってから来た最初のボランティア達は、
お前ら何をいまさらやって来た」と白い目で見られたそうです。

お話を伺って、緊張が走りました。

東京から一番遠い被災地では、そのような状況になっていたのでした。

各地の被災地でも、「ここは自分が助けなきゃいけない」と思って長期に
泊まり込んで、作業を続けてくれている人達が、被災地全体でも相当の数に上ります。

でも、遠野だけで80人もそうした人が居る、というのは圧倒的に数が違い
ます。

遠野が担当している釜石などの地域を見て、「ここは自分が」と思って
くれた人が、全国で一番多い地区です。

のぞえらも、礼を尽くして、作業を遂行するのみです。

なお、阪神大震災でも、取材中の記者が石を投げられて死亡しているとの
話も聞きました。

それはそうです。

だから、マスコミは社員を被災地には派遣出来ないのですから。

でも、当日集まってきたボランティアに、その話をしても意味があるのかな...?

きちんと、ボランティアセンターに登録された人間であることを示すため、全員上着の上からこれを着用するよう指示されます。

画像2

岩手県共通の、腕章も。

画像3

自分の名前の後に、現地では書いてて日記では伏せた文字があるのですが、9年前のことですので、何を書いてたかは覚えておりません。
当日の役職名、かなと思いますが。

当初、瓦礫処理をすると聞いて来ましたが、ボランティアセンターの当日の人員配置の都合で、のぞえらのグループは、側溝の汚泥除去作業を行うことになりました。

どちらもあちこちで経験してきた作業、のつもりでした。

たまたま、三好さんが同行することになりました。

ボランティアセンターの人達が、三好さんの事を「隊長」と呼んでましたので、これからは「三好隊長」と呼びます。

長い一日の始まりです。

ボランティアセンターへの寄贈物資を先に降ろしてから、出発です。

道案内を努めてくれる筈の三好隊長が、うちのリーダーと話し込んでて、
近道を運転手さんに指示するのを失念してしまい、バスは山の中のルートを少し急ぎ気味に進みます。

おいおい。

釜石市に入ると、立体道路の建設も急ピッチで進む中、瓦礫を綺麗に取り
払われた被災箇所が延々と続いていました...。

画像4

海外沿いの地域は、宮城や福島よりも被害状況は軽微かな、と一瞬思いかけましたが違ってました。

三陸リアス式海岸の箇所では、3月11日の津波は全く違う被害をもたらしていたのでした。

陸前高田のように、大量の波が、谷間では鉄砲水となり、川岸の家々を吹き飛ばして行ったのです。

半年経った今では、河川に沿って進む道は、既に取り片づけられた家々の
土台だけが残され、それが延々と続いていました。

もう、被災地には10回以上入ってるのぞえですが、さすがにこの光景には
ショックを受けました。

すみませんが、その画像はありません。

釜石港沿いの海岸の道に入ります。

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持ち主が連絡とれないなど、瓦礫が片付けきれない箇所がまだ残っていました。

画像6

こちらは、理由は判りませんが、瓦礫をわざと堤防の外側に積んでありました。

画像7

バスを降りてからは撮影禁止ですので、作業が終わるまで画像はありません。

作業場所に到着です。

予想気温は17℃、作業に適当な温度です。

遠野は10月だというのに朝5℃だったので、寒かったです。

いくつかのボランティア団体が、某大学が提供してくれている施設に
集まり、再度ミーティングです。

作業をする上での注意を、改めて聞かされました。

初めて参加する人達も若干居ましたので、必要な作業ではありますが、そうした人達には、実際に現場で説明した方が判り易いのですけどね。


ミーティングの前に、他のボランティアリーダーから、のぞえの装備に
ついて、クレームがついたようです。


スニーカー等では、作業現場で釘を踏み抜いたりする人が続出してるので、ボランティアの募集では長靴着用が原則です。

もちろん、のぞえも長靴が必要アイテムに入ってるのは百も承知ですが、
履き慣れない靴で作業する方がむしろ動きにくいのと、これまでの現場では、作業時間の4~6時間の間、班長としてずっとタタタタ走り回っていましたので、ここまでのボランティア活動は、ずっと同じスニーカーで作業してきました。

それを今更指摘されても。

「で、どうしろと? 作業せずに帰ればいいんですかね?」

指摘を伝え聞いてくれた同僚が、「まぁまぁ、そこまでは彼らも言って
ませんから」

要請事項を無視してもしも怪我でもしたら、それはすべてのぞえの責任ですが、指摘だけしておくというのは、「こちらには非がない」ということを
言っておきたいだけだったのでしょうか。

でも、我々の民主党ボランティア隊と同じく、どこから来てくれたのかは
存じ上げませんが、当日の朝到着して、よそのボランティア隊にケチ
つけて、何か有益なことがある訳ありませんけど。

議論している時間がもったいないので、こちらからは反論もなにもせず、
作業場所に向かいます。

直接言われれば、「あぁ本当すみません」と(場を和ませるために)ちゃんと言っておくのですが。

何かを管理しなければならないとき、例外を認めてしまうとその先どうしていいか判らなくなるのが日本人ですからね。

ちなみに、ボランティアセンターに帰りがけにもう一度寄ったのですが、
使われてない長靴が玄関の横に結構並んでました。

文句言うのは勝手ですが、それならそれを貸してくれてればよかったのにね。

そして、今振り返って思うのですが、長靴よりも安全靴を推奨すべきでしたね。

安全靴というのは、フォークリフトが走り回っている作業場とか、出荷用の荷物を作成している現場とか、流通業の出荷センターとかで、万一足の上にとてつもなく重い荷物等が乗っかってしまっても、足の指先が潰れてしまうことを防ぐために、指先の周りが金属で囲まれている靴のことです。

のぞえも、議員秘書を辞めてからしばらく定職に就けない時期があり、
安全靴を買わされて、それで解体現場とか工事現場で働いたことが
あります。
某EC業者の出荷センターでも、安全靴を履いて作業している大勢の派遣の
人達を見かけました。

そういう人達のノウハウって、結局被災地では全く活かされていないの
でした。
被災地の運送業の人達が、多くボランティア活動に駆り出されてましたが、地域的な分断があったのでしょう。


側溝さて、側溝の清掃作業は、実は結構大変です。

コンクリートの蓋を引き抜いて行く作業は、専用の梃(てこ)が必要ですが、こちらには運び込まれてないようです。

そういう基本的なことが準備できておらず、気合いでカバーしているの
でした。

外す作業も大変ですが、汚泥を掻き出した後、蓋を閉めるときに、よく指詰めをしたりしてしまいます。

のぞえらのグループでも、一人指詰めをした人が居ました。

また、今回は歩道のない車道での作業となるため、腰がふらついたりすると、通りがかった車に接触する可能性もあります。

三好隊長が、道の反対側に立って、声掛けをしてくれます。

のぞえはグループの中に割って入り、三好隊長が声を上げると、作業して
いる人が飛び出したりしないよう、両手を広げて「上から軽トラック~!」「下から自家用車来ました~!」と声を上げます。

こう言ってしまってはなんですが、私の声は倍位の大きさで、作業現場に
響き渡っておりました。
議員秘書やっててあちこちの選挙や駅前でのビラ配り、たまに演説しているから、声、でかくなります。(笑)

お昼は、近くの小学校に行き、その裏手の公民館でトイレを借りることが
できました。

小学校といっても、今学期は通う児童は居ません...。

女性が長い列を作ってるので、男性陣は遠慮します。

午前中、一緒に作業してくれた人は、のぞえらのグループではなく自主参加してくれた人で、コンビニで買って来たパンを食べながら、いろいろ話を
しました。

自分の車で運転してきて、正直往復が大変だ、とおっしゃるので、のぞえらのグループへの参加方法を教えました。

事情があって公募はしてないのですが、その人には通じました。

「地元に帰ったら、確認してみます」

あ、読者の方でも参加に興味があれば、のぞえにメールかツイッターのDMくださいね。

説明させて頂きます。

と、当時の日記には書いたのですが、結局連絡はありませんでした。


三好隊長が、リーダーだけを集めて再度ミーティングです。

あいにく、メンバーにわざわざ伝達するような話はなかったので、長期に
活動しているボランティアさんに対して、のぞえらのグループの経験と
実績を、もう少し伝える必要があるなと認識しました。

午後の作業、再開です。

今回のボランティア派遣は、大学生と年配の参加者とで、層が二分されて
ました。

インドネシアから留学しているAxx君が、軍服姿で目を惹きます。

でも、その恰好は日本の某ディスカウントショップで購入したものだった
そうです。

日本の学生より、よく走り廻って動いてくれるので、あまり頑張り過ぎないよう時々指示を出します。


そろそろ(当時の日記で)5,000文字制限いっぱいですので、続きはまた次回に。


以下は、当時の日記に寄せて頂いた、レビュアー仲間と飲食店さんからの
コメントです。

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ホワイトオニオン さん
11/27/2011 16:58:12
のぞえさん!

ボランティア、ありがとうございます。

少し前になりますが、遠野では、

すべてのことが不足しているため、

復旧の遅れが著しいとTVで見ました。

のぞえさんグループの経験と実績で

さらによろしくお願いします。


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ぴーころ さん
11/27/2011 22:29:02
のぞえさん、お疲れ様です。

長靴ですか。あれって、ずっと履いていると蒸れて酷いんですよね。

自己責任でスニーカーで、全然問題ないと思いますよ。(=^▽^=)

でも、指詰めは痛いよね。労災出ないでしょ?

厚手のゴム手袋などがあると、かなり安全性もあがるのでしょうが・・・


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中国飯店 代官山 花壇 ホールスタッフ ゆう さん
11/27/2011 23:51:48
今回もお疲れ様です!!
いろいろな事がおこりますね、、、


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のぞえ 返信
11/30/2011 12:41:45
◆ホワイトオニオンさん^^

別な報道では、長期に泊まり込むボランティアで街は空前の活況を呈して
いるともありました。

中心になって動く人が居ないか、足りないか、ちゃんと機能してないか、
いずれにせよここもきちんと復興してこそ復興です。

応援は頑張って続けます☆

◆ぴーころさん^^

ボランティアで働いてくれる人は、労災対象外ですが福祉協議会が全員
ボランティア保険に入るよう手続きしてくれてます。

のぞえも4月に手続きしてくれて、カードもって現地入りしてます。

厚手のゴム手袋は、これも蒸れて大変ですが、必須ですね。

◆ゆうさん^^

まだまだ、事件が起こっちゃいました(>_<)。

続きをアップしましたので、どぞ。


コメントは、以上になります。

では、また明日。

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