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東日本大震災を忘れない(21)-宮城県石巻市雄勝町へ。(1)

こんばんは。今日もお疲れ様です。

最初に、大震災で亡くなられた19,729名の方々に対し、心より哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りします。

そして、とうとう行方がわからないままにしてしまった5,229名の方々に、心からお詫び申し上げます。

(数字は、いずれも以下の今年3月10日現在の緊急災害対策本部の最新情報です。)

大震災から、9年と7か月が経過しました。

2011年8月のお盆開けに、宮城県は石巻市の雄勝町に行ってまいりました。
正確には、2011年8月19日の晩に出発しました。

分量的に、おそらく1回では完結しないと思います。

今夜は書けるところまで書いてみまする。

出発の晩、仙台のジネンバー・クッチーナのシェフ穂高さんより、ツイッターでコメント頂きました。

「(ボランティア活動の)お役目ご苦労様」

あ、のぞえはあくまで仕事の範疇外で、自主的に参加しています。

ただ、一般のボランティアツアーを利用すると毎回一人3万円くらいが、高速バス代等の参加費用にかかってしまいますが、それについては全額、民主党から補助を受けていました。

つか、バスのチャーター代全額を、支払い時点では非公開でしたが、民主党が党費から支払ってました。
翌年、収支決算の数字としてこれも公開されましたが、一切報道もされませんでした。
10か月間で100台以上はチャーターしてましたので、かなりの金額だったのですが。

残りは、自分のお金と時間を使って参加しています。

穂高さんが、次の様にもおっしゃってました。

「高潮だけで酷い被害で、政府が見捨ててる場所もあるようですが何とも真相はわかりません。莫大な金がかかるのでわからなくもないですが故郷っちゅーモンをですね...」

いや、もし、官僚がそんな心積りで居るようなら、国会から乗り込んで行って追及します、と当時のオンライン日記に書かせて頂きました。

見捨ててよい場所など、ありません。

状況により、再居住が難しい地域は、あるかも知れませんし、実際ありました。

その場合は、ちゃんと住める設備を別なところ、なるべく元の場所に近いところに用意して、真面目に働けば自活・自立できるようになるまで、支援の手は停めるべきではありません。

役場も消防も警察も津波に流されてしまい機能喪失してしまった自治体もありますが、他県の自治体から応援も行ってますし、

なにより同じ日本人なんです。

阪神大震災の時は、私の子供らも小さくて身動き取れなかったのですが、
2011年時点で子育ても落ち着き、のぞえには自由に使える時間が増えたので。

これから向かう石巻市雄勝町は、石巻市にありながら現地受け入れ状況が整わず、復興が遅れてる状況と聞いてました。

自分の目で確かめてくるために出発です。

美味しい牛たんを食べさせてくれる仙台市内の飲食店の店長ゆさっちからもツイッターで連絡もらいました。

「(雄勝町は)津波でゆさの遠い親戚が亡くなりました。。。のぞえさん、気をつけて行ってきてくださいね!」

ありがとう、ゆさっち。

例によって、金曜日の深夜に東京を出発です。

翌朝、現地に到着し、午後まで作業して東京にトンボ帰りです。

夏休みなので、学生さんの参加が多かったです。

前回、いわき市に一緒に参加して意気投合した人にも案内を転送したのですが、あいにくレスがありませんでした。
いつかまた、再び参加してくれる事を願って...。

東北道を進み、国見SAに午前4:39に到着しました。

出発前にアルコールを少々入れてきたので、熟睡できました。

初めて参加した人が今回も多かったですが、慣れない長距離バスで厳しかったかも知れません。

午前7時前に石巻市に到着しました。

石巻市にボランティアで入るのは、私自身はこれで4度目でした。
グループのリーダークラスの中には、既にその10倍以上来てる人も居ました。

現地の方との集合時間にまだ余裕があり、道の駅で30分ほど休憩です。

「上品の郷」という名称ですが、読み方がわかりません(笑)。
でも、答えは、9年前にこの日記をアップした途端、ゆさっちがコメント欄で教えてくれました。↓ ↓ ↓ 回答は、一番下に。

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千葉県とか、あちこちの自治体で編成したボランティアグループを乗せたバスが集結していました。

毎週土曜日の早朝は、高速道路の込み具合が誰にも予見できませんので、少し早め早めに現地に向かう訳ですが、受付、受け入れをしてくれる協議会の事務所の周囲に、早朝から1,000人以上のボランティアが集まってしまっても、住民の方に騒音を出してしまうのは近所迷惑だし申し訳ない、という学習効果により、こんな集結場面が道の駅で発生するのです。

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このバスの集結ぶりを見るたび、胸がいっぱいになります。

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日本は、まだまだ捨てたもんじゃないと。

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道の駅の隣に、営業再開しているLAWSONを見つけて、関係者で大はしゃぎです。

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帰りにも立ち寄るので、飲料や食料を追加で確保することができます。

でも、朝ご飯は赤坂サカスのセブンイレブンで買っちゃいました。

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今にして思うと、何故自分の職場(=議員会館)の地下にあるセブンイレブンで購入せず、わざわざ往復30分もかかるサカスまで行ったのか、謎ですw

隙間時間に、新店舗=食日記で紹介できる美味しいお店、の開拓でも行ってたのかなw

石巻市中心部から北に向かい、北上川に沿って東に向かいます。

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道の駅に集結していたバスは、ルート的に推測するとおそらく石巻ボランティアセンターを経由せずに石巻市内に行くのだと思います。

のぞえらを乗せたバスは、同じ石巻市でも、一番遠い場所に行きます。

石巻市は、以前からお話ししております通り、現地ボランティアセンターが一番早く立ち上がった自治体のひとつですが、石巻市全体をカバーできている訳ではありません。

これから向かう雄勝町地区は、現地のボランティア受け入れ態勢がこれまで整ってなかったので、遠方からの支援は、これまでほとんどできませんでした。

2011年8月、震災から間もなく半年。

その半年、我が国は何をしていたのか。

行方不明者を、どれだけ発見できたのか。

不幸にして亡くなられた方を、全員手厚く葬れたのか。

被災した方々に、十分な支援はできたのか。

そして、すべての人に、復興への揺るぎなき意志と希求を奮い立たせるビジョンは提案できていたのか。
いや、そもそも何らかのビジョンが提案できていたのか。
政府も、政党も。

・・・批判する事は簡単ですが、ネガティブな批判には全く価値がありません。

どうしたら先に進めるか、それだけを考えていきたいです。

バスは、北上川に沿ったルートを走り始めました。

道は、延々と、保護シートをかけられていました。

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北上川を離れ、もうすぐ雄勝町です。

このあたりから、既に被災地だ、ということが判ります。

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海や川からかなり離れたところまで、船が押し流されてきてました。

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谷間が多い地形だったので、津波による大量の海水が狭い土地に押し寄せ、速度を増し、驚くほどのスピードがついて、根こそぎ押し流してしまったのです。

雄勝町に入ります。

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こちらではありませんが、避難先の選定ミスで避難中の児童の多くが波にのまれた大川小学校は、この隣の釜石山根地区です。

バスの運転手さんが、そちらに立ち寄ってくれました。

さすがに、緊張が走りました。

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2018年に、大川小学校は統合で廃校になりました。

建物の屋上に、大型バスが乗り上げてるのが見えてびっくりです。

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改めて、3月11日の津波の威力を思い知りました。

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報道によると、のぞえが撮影してきたビルの屋上に押し上げられたこのバスは、2012年3月10日、震災から1年を迎える前日に、撤去されたとのことです。

津波が如何に凄かったかを示すモニュメントとして残すべきだ、という意見もあったそうなのですが、「思い出すとつらい」という意見もあり、最終的に撤去となりました。


ここから先は、Softbankのアンテナが全く立たず、作業し終えて道の駅に戻るまで、ツイッターでつぶやくこともメールの送受信もままなりませんでした。

リーダーのDoCoMoはなんとか通じたので、他のグループと連絡が取り合えました。



現地に到着しました。

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メールやTwitterは使えないのに、何故かGoogle Mapだけは正常に動作してくれましたw

作業したのはここではなく、もっと先に行きましたが、現場での撮影はしないように申し合わせてましたので、ここまでとします。

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こうした画像をアップして、当時誤解されやすかったのは、これは片付けが済んで、積み上げたゴミを収集車で運ぶだけになっているのだ、ということがパッと見理解が難しかったことでしょう。

片付けが済んだと言っても、こんな風景を今まで目にしたことがなかった、というのが大半の日本人でしたから。

迎えの人が来てくれて、作業する場所まで案内してくれます。

のぞえは初回に参加できませんでしたが、このグループがこの場所に来るのは2回目です。

「本当に、ここまで来てくれるのは皆さんだけです」

作業するのは、初回に片付け作業をした続きから。

2週間以上、他にはボランティアが来なかったんですね。。。

家と家があったところの間に、洗い場のような場所があります。

牡蠣の貝殻がたくさん積み上げてありました。

若者たちが、そこで何とか作業をしようとしていました。

ははぁ、雄勝町の牡蠣を、ここで出荷処理してたんですねぇ...。

早く、復活するといいなと思いましたが、その後報道で、無事復活したのを知りました。
やった!ですね。

バス2台は、それぞれ受け持ち地区をずらして、作業分担をしました。

作業場所に到着し、まず地形の確認をします。

前回参加したリーダーが、津波がどこまで来たか、聞いてくれてました。

彼の指さす、あそこまで走って逃げれば、万が一の時は同じ規模の津波だったら助かるんだ...。

作業開始です。

今回も約半数居る女性陣には掃除全般と小さなゴミの運搬をやってもらい、男性陣は側溝の蓋をあけて土砂の除去、大きなゴミの運搬、残った壁の解体を行います。


何回も参加してるメンバーは、ますます作業効率が良くなっていて、黙ってても作業を進めてくれます。

初めて参加する人は、無理をしないよう作業してもらい、こまめに飲み物休憩を入れます。

この日も薄曇りで、たまに小雨がぱらつく天気だったので、作業ははかどりました。

お昼休憩を取ったとき、本当に海に近いところで作業してたのを実感しました。

そう言えば、被災地に来るようになって、まだ一度も海の水に触れたことがないと気付き、堤防の階段を下って浪間まで降りて行きました。

8月後半の雄勝湾は、既に冷たくなった海水をたたえていました。

今、振り返ってみると、この頃、2011年の夏までが、ボランティア隊として本当に被災地の活動に役立っていた頃でした。
その後、どうしてその活動が非効率的になっていったか、これから徐々に書いていきます。

続きます。


この日の日記も、当時の皆さんが書いてくれたコメントが残ってましたので、こちらも公開させて頂きます。
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中国飯店 代官山 花壇 ホールスタッフ ゆう さん
09/10/2011 00:57:50
今回もお疲れ様です!!
本当にのぞえさんはすごすぎます、、、

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巴里の恋人 さん
09/10/2011 01:13:39
バスでの長距離移動は現地に着くだけでも大変な事でしょう。
くれぐれもお大事に。


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うまい牛たん東山 仙台中央二丁目店 シェフ 鍋=ゆさっち さん
09/10/2011 02:52:58
「じょうぼうの里」ですよ(^ ^)
ゆさの実家に近いです♪

「雄勝のおんちゃん」と呼んでいた、父方の親戚です。
まだまだ元気だったらしいのに…

のぞえさんが雄勝に行って下さって、うれしいです。

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黒 うさ さん
09/10/2011 09:42:26
月曜日に石巻のお酒を飲みます。 黒うさはまずそこからです。

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ホワイトオニオン さん
09/12/2011 09:30:57
いつもいつもありがとうございます。
のぞえさんチームは、もっともっと遠いところや
報道されないような場所を重点にボランティアされています。
頭が下がります。
参加された皆様、お疲れ様でした。

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のぞえ、の返信コメント
09/14/2011 13:15:28
◆ゆうさん^^

いちいち紹介しませんが、参加してるのはのぞえだけではありませんから(^-^。

◆巴里の恋人さん^^

慣れちゃえば、楽勝ですv(^o^。

◆ゆさっち^^

行ける時にまた行きますv(^-^。

◆黒うささん^^

ぜひ(^o^!

◆ホワイトオニオンさん^^

この週末は、今までで一番遠いところに行く予定です。


コメントは、以上になります。

では、また明日。

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