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違う生き方、違う食べ方

この二週間、195アトリエに本『食べる私(平松洋子著)』が、目立つように飾ってあった。その間、授業の合間や制作を終えた夜に私が読んでいた。今年一番の面白さだった。

生徒に「先生(私のこと)、食べることに興味持ち始めたのですか?」と、何回も聞かれた。そのくらいみんなが知っているように、私は食べものに興味がない。

この本は、食を中心とした生活文化のエッセイスト、平松洋子さんが記した食べることへのインタビューをまとめたものである。

~食べものについて語れば、人間の核心が見えてくる~と「あとがき」にもあるように、私の「食べものに興味がない」というのは、食べることが嫌いなわけでも、ダイエットしているわけでもなく、『何を、どんな風に、いつ、食べたいのか』という問題が、どうも一般的ではない、というだけなのである。

家族には(特に母)申し訳ないと思っているが、子供の頃から働いて自分の家を持つまでの家族で住んでいたころ、「ごはんの時間よ」と言われるのが本当に嫌だった。(食材と作ってくれた愛情に、本当にごめんなさい)

それは、必ずと言っていいほど、「何かに集中している時間」だったからである。
食べたら集中力が落ちるのに、何で今?と言う感じに。それが一日に三回もあったりすると「早くひとり暮らしがしたい」と思ったものである。最近では、はじめからメニューを渡されないこともあるくらいだ。「想像できない」からである。(そして嫌いなものはない)

しかしそれでも、最近のこの振り切った生き方を始めるまでは、そんな本音はできるだけ知られないようにしていた。「人間失格」にならないように気をつけていたのである。

それがどうだ、このインタビューに登場する方方のなんと自由な食べ方、生き方、こだわり方。自分くらいのことで、気にしていたのが一気に子供に思えた。食べ方への語りが人生のこだわりになり、育った環境への想いとなり、職業や人生の終わり方への愛情や覚悟となっていく。

~食についての思考をめぐらせる言葉はみずからの生の証である(あとがきより)~

第一回のゲストに「食べ物に全く関心のないデーブ・スペクター」氏であることも、この著者がインタビューを通じて知ろうとしている、人間の不思議、みんな違う大切なもの、への賛歌が感じられて、大勢の奇妙で素敵な面面に出逢えたような本でした。

私はこれからも、身体づくりのためと逢いたい人との時間を共有するために、食べる。美味しい時は『美味しい!』って思いっきりその場でいいながら。

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