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漱石が語る「己を知るのは生涯の大事」

千駄木の仕事場から歩いて20分ほどのところに夏目漱石の旧居跡がある。この地に3年10ヶ月住んだ間に、「倫敦塔』「坊ちゃん』『草枕』などの作品を次々と発表している。そういう意味では作家としてのスタートの場所だ。

旧居跡の塀になぜ猫のオブジェがあるかというと、代表作の『吾輩は猫である』もここを舞台にして書かれたからだ。だから、別名「猫の家」と言われている。実際の旧居は愛知県の明治村に移築保存されているそうだ。

『吾輩は猫である』は漱石が書いた初めての小説だ。手元にあるが、全部は読み切っておらず、ときどき思い出してはページを開く。漱石は多くの作品で痛烈な文明批評や社会批判を展開している。本書にもこんな一文がある。

吾輩は人間と同居して
彼等を観察すればする程、

彼等は我儘なものだと
断言せざるを得ない様になった。

『吾輩は猫である』新調文庫

漱石が『吾輩は猫である』を書いたは1905年(明治38年)、38歳のときだ。120年近く経っても人間の本質は変わらないね。というよりも、「今さえ良ければ、自分さえ良ければ」がどんどん強くなっているように感じる。

人間の本性は我儘(わがまま)だ。それをなんとかしようとしてもうまくいかない。できるのは「我儘な自分を知る」ことだと思う。それを漱石は吾輩という猫を通じてこう語っている。「猫よりも尊敬」が漱石らしい皮肉だ。

人間にせよ、動物にせよ、己を知るのは生涯の大事である。
己を知る事が出来さえすれば人間も人間として猫より尊敬を受けてよろしい。

『吾輩は猫である』新調文庫

「己を知る」・・・頭ではわかるが、なかなか難しい。己の何を知ればいいのか。僕は「自分はいま一時の感情に振り回されていないか」を知ることだと思う。自分の感情を知ることが、他人の感情を知ることにつながる。

シンプルに言えば「自分がやられて、嫌なことは他人にはしない」ことだと思う。「きれいごとを偉そうに」と言う言葉をこれまでに何度も聞いたが、まあ、さらりと流す術は身についているので、それほど気にしない。

わかっているようでいて、わかっていない自分、漱石が言うように「己を知るのは生涯の大事である」、まあ、今年も「自分とは何か、自分の感情とは何か」を考えながら、コツコツとやっていこうと思う新年二日目です。


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