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【小説】水族館オリジン 8

chapter VIII:竜宮城

図書館でおはなしかいがありました。
ちいさな子供たちに、おはなしをよんであげるのです。月一回のこの会のためにボランティアの方がどの本にするか吟味します。本は売るほどあるのでどんな本でも選び放題です。

今回のセレクトは意外でした。『星の王子様』です。
なぜ意外かというと、この手の本では古典といえるものだったからです
図書館には毎日新しい本が届きます。絵本や子供のための本もたくさん含まれています。
そのどれもとても素敵だし、どれもいまの子供たちが好きそうなおはなしなのです。
それなのにどうしてボラアンティアさんは『星のお王子様』を選んだのでしょう。

子供達がすきな恐竜や昆虫のおはなし、魔法やタイムトラベルのおはなしはいつも返却待ちがでるほど人気です。
それなのに、どうしてそういう本を選ばなかったのか。
それに『星の王子様』は小さな子供にはすこし難しい気がします。

そうお話しすると本を選んだボランティアは、こうおっしゃいました。

「星の王子様は、どこから来たのだと思いますか。
 私ね、はじめて星のお王子様をよんだときからずっとそのことを
 考えているの。
 さみしい王子様は、なぜ星に一人で住んでいるのか、とか・・・」

そして片目をつぶりました。

『星の王子様』をよんだことはありますか? 有名なお話ですから、
知っている方のほうが多いと思います。
でもちょっと、いつまんでちょっとご説明しますね。
 
主人公は男性です。
子供時代に猛獣を絞め殺して丸呑みしてしまう大蛇、ボアコンストリクターのことを知りとても感動します。恐ろしいそのヘビを自分でも描いてみたくなって象を飲み込んだ大蛇の画を描きます。
しかし出来上がった絵は帽子にしか見えず、だれにもわかってもらえません。
怖くないか尋ねると、なぜ帽子を怖がるんだい?とはんたいに怪訝な顔をされてしまうのです。少年は絵を書くのをやめてしまいます。

おとなになった少年は、飛行機乗りになりました、
そしてあるとき飛行機が故障し砂漠に不時着します。そこで星の王子様に出会います。砂漠の真ん中だというのに立派な服を着ています。しかも飲み水さえなく帰る手段を失っているのにそんなことには構わず絵を描いてと頼むのです。

めんどうに思った飛行機乗りは子供の頃描いたあの絵を描いてやります。
すると王子様は、『象を飲み込んだ蛇の絵なんていらない』というのです。
そして別の絵を描いてとせがむのです。

これまで大蛇の絵だと言い当てた人も、
大蛇が飲み込んだのは象だと説明しても感心してくれた人も
これまで一人もいなかったのに、
一目見ただけで言い当てたことにとても驚きます。
それで仕方なく王子様の相手をしてやるのですが、
王子様は子供なので、話がうまくかみあいません。
そればかりか、飛行機乗りが聞きたかったことの答えを持っていそうにありません。
自分のこまった状況をわすれて王子様に付き合うのですが、
そのうちに王子様がほんとうは小さな星にすんでいること、
そういう星はいくつもあって、その星たちにはそれぞれ変わり者の住民が住んでいることを知るのでした。
そうやって話は不思議な中空感のなか進んでゆきます。

それからこの不思議なお話を書いた人のことも。
サン=テグジュペリという人は、飛行機が大好きでした。
ずっと飛んでいられるのなら、そうしていたでしょう。
燃料がなくなれば補給しなければなりません。
地上には彼の苦手な『生活』がまっていました。
自由のない毎日、人の目にしばられる行動、
地を這う普通の生活は彼にとっては苦痛でしかなく、
そういうものと無縁の世界に生きたかった。
それが飛行だったのです。
星の王子様には、生活でもない飛行でもない世界、
サン=テグジュペリが愛した世界が描かれているのだとわたしは思っています。

わたしもフランスの、考えさせるのに
どこへも導かないこのお話がとても好きです。
どこにも正解はなく、どれも正解の感じが、寝入りばなのトロトロとした甘くて頭の芯がしびれるような無為な時間に似ていて、特に好きなところです。

ですから、
そんなふうに易しい文章だけど、とても考えさせる内容が子供たちには難しいんじゃないかしら。そう思いました。そして

そんなわたしの心配をよそに、おはなしかいにはいつものように沢山のちいさな子供とおかあさんが集まりました。
担当のボランテイアさんは、絵本の中の帽子に間違えられた大蛇の絵と
ほかにも何枚か大切な意味を持つ挿絵を拡大コピーして
用意していました。
わたしは図書館員ですから
著作権的にこういう目的に使うのはいいのかどうかしら、
ちょっと無粋な話をしなくてはいけないわ、
と思っているうちに会がはじまりました。

ちいさな子供はどうやって言葉の意味を知るのでしょう。

子供はおかあさんの鼓動や呼吸、ざわざわした空気感とか、
そういうところから、
自分の周りにある目や耳からはいるものとかさわれるものとかが、
注意が必要なものか、それとも信頼できるものなのか理解するのだと思います。

言葉も同じで、言葉を聞いたお母さんの反応が子供に伝わり、
楽しいとか
悲しいとか
子供なりに察知する。
そういう気持ちのシンクロをくりかえし、
ひとつひとつの言葉が
個別の意味を持つようになる、

そう思っています。

おはなしかいは、だから、
お母さんのお膝の上で聞くきまりになっています。
その日もカンガルー親子のようにお膝の上にちょこんと子供をのせたお母さんたちが背筋を伸ばしてすわっています。小さい子は1歳ぐらいから大きい子は4、5歳でしょうか。みんなお行儀よくお話が始まるのを待っていました。

ボランティアさんはおはなしの部屋に入ると、
みんなをみわたせる前の席にすわりました。
そして挿絵のコピーを紙芝居のように机のうえに立たせました。
すると一瞬で、子供達は釘付けになりました。
ボアコンストリクターにぐるぐる巻きつかれマングースが困った顔をしているところです。
茶色いしたマングースは自分を締め殺そうとしている大蛇を確認しようと
顎を引き目を見開いています。

さあ、始めますよ、とボランティアさんが声をかけると、お母さんたちのおしゃべりが止みました。皆さん一斉にこちらをみます。そしてほんの一瞬の沈黙をまるでシールの端っこをとらえるみたいにつかまえボランティアさんがお話を読み始めました。絶妙なタイミングです。
みんな知っているお話なのにやはり細かいところは忘れてしまうのでしょう、
お母さんたちもかたむけていました。
ボランティアさんはとても上手で、大事なところでは声をおとし聞き耳をたてるように仕向けます。すると、次に放たれる言葉に集中するのです。

そして羊の話になるころには、だれもがボランティアさんの口元をみつめ
次の言葉を待っていたくらいです。膝のうえの子供達も同じ。
お母さんが聞き耳を立てているお話の聞こえて来る方向をじっとみています。
知らないうちにお話にひきこまれ、ボランティアさんは最初に一枚見せたきり残りの挿絵を見せることなく、最後まで読みきりました。
誰もさわいだり、席を立ったりする人はありませんでした。
図書館のおはなしかいでこれは珍しいことです。
寝てしまった小さなお友達がいたけれど、
きっとお母さんが穏やかな気持ちで聞いていたから。

このおはなしかいでわかったことがありました。
読む本はお母さんたちにとってもおもしろいと思えるものであること。
それが大事なようです。

おはなしかいの後、片付けをしていると子供達がボランティアさんのところに寄っていきました。わたしのところにも寄って来てくれたのですが、このときお話をたのしんでくれたか、理解できたか、そういうことを確認するのだそうです。
ボランティアさん達が主催しているので私たちは何も言わないのですが、
どんな読み方が子供達につたわるか、どんなことに興味をもつか、
そういうことに興味があるし、把握したいので参加させてもらっています。

「ねぇねぇ、」

ボランティアさんに話しかける子供の話に耳をそばだてていると
女の子が私のエプロンをひっぱりました。

「おばけなんでしょ、星の王子様って?」

女の子は、私にいいました。
こういう子供の質問には
答えをあたえないで、その子がどう思っているか聞き出してください
と言われていたので、私は

どうしてそう思うの? 

と尋ねました。

すると、女の子は、私の質問には答えず、
こんなことを話しました。

「ゆーちゃんのおじいちゃんねー、死んじゃったの。
おじいちゃんはねー、死んでから竜宮城にいったの。
だからお骨もないのよ」

どうして今、おじいちゃんが死んでしまった話をしているの?
不思議に思いました。
でも自分から話すまで何も言ってはいけない。なにも与えてはいけない。
知恵を与えてしまっては、ゆーちゃんの本当に話したいことはシャボン玉のように
消えてしまいます。

でも言葉がみつからないみたいでしたから、
私はゆーちゃんがゆったとおり

そーなの、竜宮城にいるのねー

と言いました。
するとゆーちゃんは、

そんなことはどうでもいい
いいたいことはそれじゃないの、

という風に、こんなことをおしえてくれました。

「王子様は、ほんとうは、王子様なんかじゃないのよ。
ひとりぼっちで星に住んでいるのよ。
天の神様のところにいかれないし、
おとうさんとおかあさんのところにもいかれないの、死んじゃったから。

でもね、それがわからないの、
だれも教えくれないから。
だってひとりだもの。
王子様の星にはほかにしゃべれる人はだれもいないんだから」

出口あたりを見ながら、一生懸命というわけでもなく淡々とあたりまえのことを、知らない人に教えてあげるみたいにゆーちゃんは話しました。
とてもおもしろいと私は思いました。ゆーちゃんの話してくれたことが、お話に語られていない『なぜ』に全部こたえていたからです。子供は言葉が少ない分、伝えられる内容も少ないです。大人は子供の言葉に知識をつかって想像力で補い理解することが必要です。そうやって子供がなげたヒントの石と石をつないだ時、完璧な石橋や思わぬほど広大な風景がみえてきて驚かされることがあります。その世界は大人の自分が思い描くものと遜色ないのです。
そうなのでしょう?と、質問すれば、ちがうわ、とそっぽをむくに決まっています。でも、きっとそこには真理があるはずです。
私たちが大人になるとき自然と選ばなかった心だけでできている真理の世界。

私は我慢できなくて、

おじいちゃんは竜宮城でなにをしているのかしら? 

と聞いてしまいました。
すると、

「死んだんだから、なにもしていないに決まっているでしょう」

とゆーちゃんはしらっとして言いました。

大人みたいな白けた目です。ゆーちゃんの中で大人と赤ちゃんがころころ入れ替わっているみたいで、気味が悪いです。

今度はこどもっぽいあどけない目に戻って、

「つぎにうまれるまで竜宮城であそんでんだよ」

と言いました。

竜宮城は浦島太郎のお伽話にでてきます。タイやヒラメが舞い踊り、乙姫様が優雅に暮らしていて、浦島太郎のようにときどき海の底におりてくるお客様をもてなすあのお城です。海辺の町には昔からそういうお話がありますが、海の町の暮らしはとても荒々しくて、お城や乙姫さまなど優雅なものから縁遠く、だれも海の底にそんな素敵な場所があるとは考えにくいです。でも、漁に出たご主人や息子がもどってこないとき、おかあちゃんたちは美人の乙姫さんに誘惑されているんだからしかたない、とあきらめます。私ほどいい女は他にいないけれど、乙姫さんなら譲るしかない、そんなふうに考えて悲しみを紛らわします。広い海はつながっています。つながっているから、もしかしたらどこかで生きているかもしれない。そう思うために竜宮城が必要です。ゆーちゃんのおじいちゃんが戻ってこないのは、ここでは決して珍しいことではありません。海岸沿いの漁業の町では悲しいですがよく聞く話です。でも悲しみにとらわれていては一歩も前に進めません。生きている者たちがなにがあっても毎日前にすすめるように、いつのまにか竜宮城は寂しさの置き場所になったのかもしれまえん。

「ゆーちゃんのおじいちゃんは海で死んだから、竜宮城へいったけど。
王子様はお空でしんだからさばくにいったのかな」

ゆーちゃんは出口で待っているお母さんのところへ走って行ってしまいました。

ゆーちゃんはきちんと言わなかったけれど、彼女が描いている世界はきっとこうです。

星の王子様に登場する人たちは、自分が死んだことに気づいていなくて、天国とこの世の中空に浮かぶ小さな星に一人ずつすんでいる。飛行機乗りが不時着した砂漠は特別な場所で、そこから小さな星をもらって、一人で暮らすようになるのか、それともそのちゅうぶらりんな世界から出て行くのか、それは自分次第なのでしょう。だからゆーちゃんは、星の王子様をおばけだと言ったのです。この世界観は彼女が普段の生活からお母さんから感じたとったものなのだと思います。この土地の死の捉え方が3Dの立体の体をもらいゆーちゃんの言葉で目の前に現れた。それに触れた気がしました。

反省会のときこの話をボランティアさんにお話ししました。ボランティアさんが私とゆーちゃんの話を聞いていました。

「そういえば、ここいらには人魚の伝説があるでしょう?」

年配のボランティアさんが言いました。この方は西から引っ越してきました。みんながあたりまえと思っていることを面白いと言って詳しく調べたり、古くから住んでいる人たちに話を聞いたりしている人です。

「昔から目の色が違う子供が生まれることがあるって話、私きいたことがあるのだけど」

そう言って私の方を向くと、さらに続けました。

「人魚っていうのは極端な形容で、いってみれば雪国の雪女とかの恩返しとか、そういう話が海の近いこの町では人魚になっているのじゃないかしら」

古くから小さな集落の中で暮らしている人たち。外界とは接触がすくない世界で、外見の違う子供が生まれた時、その理由を人間じゃないものたちとの交わりで解決する、という考え方です。
人魚ではなくて、ほんとうは私のように片方の目の色や、普通と違う貌の子供をみると、昔はだれもみていないときには半身を魚にかえて海にもどっている、そんなふうに集落の人たちは考えているのではないかとその人は言います。

様子を見にいらしていた館長先生がそのとき口を開きました。

「そういうファンタジックな考え方もあるかもしれませんね。
でもここは外海だから、血が混じることだって十分考えられますよ。
実際、それを推測させる記録ものこっていますから」

ねっ、という風に館長先生はわたしの方を見ました。
あの古い和本のことです。

わたしは
本の中にあった『風体 言葉 見慣れぬ男』が、
本当は、おおきなイルカか、誰も知らない海の生き物で、
助けをもとめるために人の姿にかえたのだ
と想像してみました。
そして
世話をしてくれた娘とむすばれ、
いつか海の生き物の血が、
私の祖先の体にながれました・・・。

背中がザワザワッとしました。
説明できない感覚に苛まれるのが、
そういう理由だとしたら、どうしたらいいのでしょうか。

わかったところで、
日々鋭くなる感覚
重くなる不安
それが軽くなるわけではありません。
どうしようもありません。

自分の出自を知ってどうなるというのでしょう。
普通を知ってそれを真似しても無理です。
今と変わらず、ありのまま、自分の身幅で生きるだけです。

「あら、ごめんなさい」

ボランティアさんは、館長先生が私をきづかっていらっしゃることに気づいたようです。そして恐縮した様子で、特に理由もないのに謝りました。
べつにいいのに。
私の目は、崇くんが言ってくれたように海の色なんですから。

そろそろ波が細かくなる季節です。赤潮がでたと、漁師さんたちが困り顔で言っていました。けさ、漁師さんたちから相談された崇くんは、いつもより早く部屋をでて行きました。そんな大変な時に申し訳ないのだけど、昨晩から夜光虫の波模様が見られます。崇くんに、浜にテーブル出して、夜光虫をみながら漬け丼を食べようと行ったら叱られるかしら。 

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