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銀座東洋物語。5(地下の影の仕事人)

 入社してすぐ配属されたのはテレフォンオペレーターだった。縦長のビルの地下二階だっただろうか、日本料理の老舗と、ホテルのイタリアンレストラン、それからホテルの軽食喫茶の厨房がそれぞれならんだフロアで、オペレーター室は防火扉かと思うほど何気ないドアの奥にあった。電話交換というから、スイッチボードがずらりと並んでいて、そこに女性のオペレーターが何人も座っている絵を想像したが、それは簡単に裏切られた。
 交換台と呼ぶべき、スイッチボードは一台切り。それに二名が座れるようになっている。それにヘッドセットというのだろうか、片耳だけ被せるタイプのヘッドホンがついていた。
 研修は数日、話の仕方とか間の取り方、それに内線番号、そういったことを教わった後、ホテルらしい用語を教わる『RC』はrestricgted call、滞在していることを言わない、電話をとりつがない、そういう扱いの電話にはRCボタンを押す。
 「予約の電話とか、たくさんきたらどうするのですか?二人でやっていけるのでしょうか」
 生意気にも私は40代の先輩オペレータに聞いたことがあった。
 この小柄な先輩は、都内のホテルから交換士の教育係としてヘッドハンティングされたひとで、開業してまもないホテルへのコンタクトに格をあたえていた。
 「大丈夫ですよ。このホテルはたくさんの人をさばくようなところではないんです。少数のごくわずかなお客様を大事にお迎えする場所なんです」

 胸を張って説明するその様子は、この道一筋に会社を信じてあるいてきた彼女が与えられたあらたな道で自分のノウハウを私たちに教えてくれようとする意気込みが感じられた。
 実際、電話はひっきりなしに鳴ることはほとんどなく、かかってくる予約の電話はリザベーションへ繋ぐのだが、それも二人いれば十分に回せるかずだった。予約より多かったのは、滞在客に直接繋ぐように依頼する電話だった気がする。これも前述のように、宿泊客から直接オペレータ室に依頼があることや、黒服を着た部屋付きのコンシェルジュから連絡がくることもあった。いずれにせよ、日本のホテルなのに、最初から英語の電話の対応をすることになったことで自分なりの存在意義をみつけたわけだ。

 このオペレーター室には二ヶ月しかいなかった。しかし、この部屋で出会った人たちには今も特別な愛着を感じている。
 たとえば、オペレータ室長は綺麗な日本語で話した。銀座東洋でございます、と名乗る時の独特な抑揚は、開業準備室で上司と一緒に決めたということだ。お客さまの話をちゃんと聞いて間を取ること、「あいのて」を忘れずにいれること、それを教わった。あいのてを『愛の手』と勘違いされていたのはかわいらしいい間違いだが、そも間違いどおり彼女の『はー』とか『さようでございますか』の合いの手には愛がこもっていたように思う。

 あのころ男女機会均等法はまだ施行されるまえで、ホテルフロントオフィスの男性ナイトマネージャーのデスクへ電話が直接回される時刻、午後8時から9時ごろだったと思うが、女性のわたしたちテレフォンオペレータが交換室に残った。この時間が実は、とても楽しかった。
 企業の迎賓館として開業したから従業員はすべて経験者ばかり、中堅がほとんど。夜の時間の過ごし方もプロだったのだ。そういった先輩たちは夜番のときは大荷物でやってくる。昼に起き、時間をかけて肉じゃがやおにぎり、茄子の煮浸しをつくって、持ってくるのだ。そして交換台にすわらない休憩時間に交代でいただいた。
 「じゃがいもは初めに素揚げしてそれから煮るのよ」
 おいしい肉じゃがの作り方はこの時先輩におそわった。

 制服はピンクのツイードの上質な上下で、ちょっとしたおしゃれ着にみえた。それに着替えるのは同じフロアにある更衣室だったが、そこに黒づくめのスーツで出社してくる先輩がいた。なんと靴まで男性もので揃えていて、革靴は夜なら街灯の光がうつるほど磨き立てられている。髪を垂らしていなかったら男性と間違う服装だった。
 物腰がやわらかく照れたように笑う方だったけれど、あるとき二人だけのときゆっくり話を聞くことができた。優秀なお兄さんがいらしたという。そのお兄さんに会いたい時、男装をして歩くのだという。私にも兄がいる。わからな感情ではなかった。

 オペレーターではないけれど、地下二階でであった人たちにはいつも驚かされた。いまでも付き合いのある人もいる。
 午後三時か四時、中途半端な時間に洗面台で首にナプキンをまいているひとがいた。女子ロッカーの洗面台。コック帽には竹くしがささっている。
 「おはようございます」

 ホテルに勤めて、いつのまにかその日初見の人にあうと、自然とおはようございます、というようになっていた。それは日本語ではこんばんわ、の「Good Night」を「よい晩を」と、夕方に言うのに似ている。

 「あ、おはようございます」

 すこし声を張って、コック服の彼女が答えてくれた。あの時代女性のコックは珍しいだろう。しかも彼女の目はつよくて、きらきらしていて、聡明で、自分を知っている感じがした。

 すこしこっちに視線をおくったあと、彼女はまた鏡の中の自分に目をもどした。耳の上のすこしバラけた髪をきちんと帽子の下におちつかせ、両方の手で自分の頬を二、三度叩いた。
 「じゃ、いってきます」

 覚悟してゆく、っていう感じだった。
 彼女は、料理学校をでたあと、単身イタリアへ修行へ行った。もちろんビザなどない、給料ももらわない。毎週厨房にコントローラーという移民局が調査にくる。それを逃れるために国境を越える。そういうことが当たり前の時代だった。
 そんな話を、仲良くなってから聞かせてくれた。

 このホテルは、ほんとうにたくさんの、いろんな人が、キラキラ仕事をしていた。

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