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日本人の美学

どの時代の日本人にも、美学ってもんがあった気がする。
滅私奉公的な自己犠牲は口に糊するためにしかたないことと思われた。なにかに徹するのが喜びで、日本人のDNAはそれを喜ぶ。

戦後の昭和うまれは、今度はそのDNAに効率と速成を添加した。早く、効率的にすることがなによりも重要で一番よいとされた。その傍らで時間がかかり、目的もできたものも時間の経過とともに変わるものがない頭にされた。

時間は質量があるらしい。時間をかけてできたものはゼロにもどるにも時間がかかる。沸点まで倍時間かかった水は、同じ環境におかれた瞬間湯沸かし器の水より冷めるのがおそい?

まあ、いいたいことは、昭和生まれの私から見た今の経済社会は、皆が同じ方向をみすぎていて怖い。コロナのせいかもしれないけど。四十年前は、A型国家日本の規則づくめの社会において、私みたいな時流にのらない社会的野生児はいた。それがいったん広げた翼をたたみ社会に適応しようとすれば、面白がって話を聞いてくれる上司もいた。学歴や生まれやそういう背景じゃなく、その時の私個人単体を見てくれていた。

いまは残念だな。コンテクスト上の展開をもとめられ、外れれば総スカンを食う。こんな状況で、ポストコロナの突破口をみつけることができるんだろうか。

経済成長のダイナミズムを経験してきた定年まぢか組のはなしも参考にしてほしいものだ、と木蓮の蕾をみながらかんがえる。

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