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【不機嫌日記】かるかんと『書かんと』

ここ数週間の不調は、どうやら気候の変わり目などという安易な理由ではない模様。たまの休日の夫をつかまえ、茨城県鉾田の牧場の訪問に同乗し苺農家のハウスが立ち並ぶ茨城・千葉の県境界隈をドライブして潮来と香取市神崎の道の駅をはしごし、地魚がめっぽう美味しい食事処でご馳走されるも、翌朝からマンネリで腐りそうな倦怠感に朝から襲われる。小林製薬さんのお世話になりたくても、頭痛も起きない歳なれば、なんのお薬をいただけば良いのかと思案に困る始末。

何がそんなに私の不機嫌スイッチを執拗に押すのか自己分析を試みるも、思い当たるのは過去の後悔と苦労と、これからの不安。どちらも蜃気楼みたい。確かにあるし、あったものだが、今時点の私の立ち位置に何か障りがあるわけじゃない。今の自由時間に『全集中』して楽しめばいいのに、それができないのだ。食べ物の味もしない。いくら食べても満腹感がない。どこかへ逃げたいけどコロナゆえそういうわけにも行かない。しかし、その逃避欲求もつもりつもって宇宙への片道切符程度の途方なさでしか贖えないほどにふくらんでいることは、八年前パリへ旅行した時痛感した。

しかたないのだ。いつまでも逃げたいと思っている。それでも逃げずにやってきて成果はある程度、結果も評価ももらっているのに、自分の居場所はここじゃないと逃げたい気持ちは歳を取らない。主婦なんてものは、専業・掛け持ち問わずいつも動きっぱなしの電動歩道の上を歩いている気分がつきまとう。十数年間何よりも優先してきた子供がらみの責任感は不要になっても、なかなか、ユニクロのダウンベストほど簡単には着脱ぎができない。

そういえば、先だって夫の厩舎ベストに採用していたユニクロベストが、スタンダードプードル二歳の華子に愛された挙句、ジッパーのプラーがとれてしまった。島津藩の丸に十の家紋を拝借したマークがちょうど紋付と同じ背中のところについている。小さな部品だのに、コイル状に外れただけでもう使い物にならない。なんとか直らないかとためつすがめつ眺めみて、はじめて内側のちょうど外ポケットと同じ位置に内ポケットのあることを発見した。構造からみてポケットの内布の裾をベストの縁取りの際に一緒に縫いつけた簡単なものなのだが非常に便利だ。家にある他の、同様のベストを確認したが、内ポケットという気の利いた細工があるものは他にない。聞くところによれば、ユニクロはヒット商品でも毎年進化させているらしく、レディースのダウンベストは襟元をVに留められるようスナップがついているとか。いいねぇ、うちの家族たちも、こんな小さなものでよろしいから進化してくれないかしらと、

話がそれが、つまりは、いつも思考の延長線上には家族がいて、家庭があって、具体的には家の外壁のヒビとか、もらってまだ定植していないルッコラとかが、ひっかかってくる。

「あれなんじゃない? やっぱ、コロナ疲れってやつでさ」

息子が言った。そういうことか。こういう性格だから、そのときどきの自分の機嫌のハンドリング方法を用意しているが、それが今回はことごとく効かない。少し前に見つけた自分なりの真理は、『心の中で嵐が吹き荒れようと、不安であろうと、夫の些細な言葉が棘のようにいたんでも、前向きのお体裁さえ言えれば大丈夫』だったが、今は頭のどこをひっくり返してもそんなのひとかけらも出てきませーん、という状態だ。

でもねぇ、やっぱり人ってもんは、習慣に助けられるもの。週一の厩舎のお茶菓子作りは今や大事な気分転換になっている。

と、長い前書きになってしまったが、かるかんを作った。長芋をたくさんいただいていた。だいぶいただいて、残りはわずか。そろそろ違う味で食べたいとまたもYouTubeを検索していたら、かるかんに行きあたった。

鹿児島出身の夫には愛着のあるお菓子だ。空港の土産物でも一番人気だろう。あれもあんこ入りが好きな方と、あんこのないのが好きな方に別れる。さて鹿児島県人はどうなの?と尋ねると、住んでいるとあんまり食べないなと気のない返事。在外日本人のお節料理みたいに、離れているからこそありがたいお菓子なのかもしれない。近所の鹿児島出身の方には、あんこなしが特に喜ばれた記憶がある。

さて、動画を見ながらトライするも、一度目は膨らまずカルカンではなく名古屋名物『ういろう』みたいなことになってしまった。二度目のトライでようやく土産物屋で食べた鬆の入った蒸し菓子になった。優しい甘味があとを引く。皆が心配なく手を伸ばせるように一枚ずつセロファンの袋に入れる。

膨らまなかった一本は食べる羽目に。

全部出来上がったあとで、息子に味見を頼むと「カルカンというより、お米の蒸し菓子だね」と言われてしまった。でも美味しいよ、と二口で平らげたので味は保証済みと、胸を撫で下ろす。

機嫌のハンドリングについて、少し前に気づいたことはもう一つあった。読む方にはご迷惑かもしれないけれど、毎日何かしらを書き出すこと、それが自分にはバランスをとる上で重要だ。「なんのバランス?」と息子が訊いたが、知らないふりをした。若者にはわからない熟年の処方箋だ。

それに加えてもう一つ。やっぱり決めたことはやり続けること。それが誰かを巻き込むことなら効果は大だ。




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