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うしのゲップ

SDGsが商材に使われるようになってから、牛のゲップが目の敵にされている。中には、ビーガンの流行を取り込んだプラントミートや人造肉の販売戦略流れもあって、”売らんかな”商法には敏感な自分にとって、しょっちゅう黄色と赤のシグナルが変わりばんこに明滅している状態。そこで、問題はどこなのか考えてみることにした。

まずは、ビーガン。耳にしてはいたけれど、身近かに感じたのは飛行機のスペシャルメニューにビーガン・ベジタリアンメニューを見つけた時。名前の順番からジタリアンの厳しいやつだと思った。ベジタリアンは、もともとインドあたりの宗教的な戒律から来てる。例えばヒンズー教は肉を避けるが乳製品は可、ジャイナ教も肉製品を食べない。さらに卵や野菜も調理の際火を使い虫を殺生する料理は食べないが、乳製品はOK。健康志向や、日本の精進料理もある。健康志向の人がやっていることと思っていたが、元は生きているものを殺さないという決まり事が始まりのはずだ。ビーガンは、だから、それより厳しい戒律を持った宗教の分派のはずと考えていた。

事実は少し違うらしい。

人間はできる限り動物を搾取することなく生きるべきである、と1866年にイギリスの運動家、ヘンリー・ソルトがPlea for Vegitarianism の中で書いたことが始まりだそうだ(Wikipediaより)彼の著書はマハトマ・ガンジーにに影響を与えたから、宗教色を感じるのも無理はない。その後、ソルトの主張は動物福祉から動物の権利へパラダイムシフトし、今の「動物がかわいそうだからお肉を食べない」という今のビーガンの人たちの主張に繋がる。

1944年にヴィーガン協会が設立されたときに、ヴィーガンという単語が共同設立者によって造くられた。エシカル・ヴィーガンは動物由来の製品全ての使用・摂取を拒否するのに対してダイエタリ・ヴィーガンニズムは食品から動物製品を排除するのだそうだ。

なかなかナイーブな戒律の気がする。牧場を訪れた小さな子供が初めて食肉牛の物悲しい運命に気付いてしまうのに似ている。

しかし語られていない部分もあることにも気づかなければならない。

今、世界中にいる牛や豚、そのほか産業動物たちがなぜ存在しているかを知ったら、ナイーブでいられない現実がある。例えば、あした世界中がヴィーガン食しか食べないことを決めたら、そしてそれが長期に渡ったらどうなるだろうか。役割のなくなった動物は行き場をなくし、処分されることになるだろう。世界中というのは極端な話だが、トレンドや流行、流言はあっという間に消費に大きな影響を与えるから、動物が身近にある者としてはとても気になる状況だ。

これに加えて、牛のゲップ問題だ。ゲップに含まれるメタンガスは、農林水産省によれば2019年の温室効果ガス排出量の15.9%にあたると、今朝の毎日新聞にあった。記事は、このゲップのメタンガスについては、農業畜産の研究者の間ではもっと効率良く餌を与えることによって減らせるのではないかという観点から過去に研究され、今まさに二酸化炭素削減の観点から本格的に研究が始まったところだった。

ビーガンの流行とSDGs と地球環境の観点から、牛たちを目の敵にするのは、しかし違う気がして仕方ない。私はむしろ、牛さん達にはメタンガスを発生させてもらって、さらにその落とし物も集め、燃料やエネルギーの原料にし、脱化石燃料世界に役立てたらいいと考えるのだ。

臭い、汚い、残酷だ、と言って脇に押しやるのはビーガンと同じ思想だ。今はその一線を超えて、何からでもエネルギーを作り出すことを考えるべきなのではないかな。

そもそも人間の嗜好が限られた選択肢へ偏るのが原因なのだ。食べ物も衣料品も大量に生産するために材料となるものを飼育、栽培する。そのための場所、圃場の確保に自然が破壊され、生態系が壊れる。壊した末に出来上がった今のサイクルを、元に戻せというのか。

戻すには遅すぎる。森林を伐採し広げた畑は小麦、こめ、とうもろこしが栽培され、より安価に大量の人間を養うことができる穀類が栽培されている。森林伐採により住む場所を失い絶滅した種もある。その反対に栽培された穀物によって家畜が生産される。その命もまた、自然界にある命の間接的犠牲の上に存在している。

ソルトが最初の著作でガンジーの共感を得た頃であれば、自分たちが産業革命によって起こしてきた破壊活動を巻き戻し、復古することで間に合ったかもしれない。しかし今はもう遅い。そして元に戻そうなどというメランコリックな思想は、どんなにメルヘンなのかと疑ってしまう。

話をヴィーガンに戻そう。菜食主義が悪いとは思わない。誰しも一度は抱いた自分の皿の上の肉がどこから来ているか、の疑問にきちんと対応した理想の思想だ。そして菜食が意外にも、運動能力を高める可能性も示唆している。イギリスのヴィーガンは国民の6%にも上り、トップアスリートの多くがヴィーガンだという事実も明らかになっている。

問題は、ヴィーガンと環境問題を絡めて考えることなのだ。ソルトの動物の権利の思想に従い、百年以上前に戻ろうとするのではなく、牛さんのゲップを有効活用する、そんな科学的でエコロジカルで、再生・アップサイクルなやり方をやって欲しいものだ。そうでなければ、人は産業革命の時から自然から搾取してきたばかりで、ちっともおつむは賢くなっていないことになってしまう。

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