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無限ループ?

今日は、だいぶ早かったのだけど、お盆のおはかまりに行ってきました。あまり言われることも無くなりましたが、関東、特に東京ではお盆を7月にやっていました。明治の頃に、政府が暦を太陽暦にかえ新暦としたことから、政府のお膝元の関東では7月にやるようになったと、聞いています。それと盂蘭盆経という仏教の考え方があって、それでは7月15日は苦しんでいる亡者を救う行事が行われる日だそうです。

それで、実家では夏休みに入るか入ったかの最初の日曜日に、後楽園ゆうえんちへ行きました。菩提寺が近くにあったのでね、一緒にお墓参りにきたご褒美というわけです。しかしそのおかげで覚えていたわけですから、何が幸いするかわかりません。

一昨年亡くなった母は、この7月のお盆にこだわりを持っていて、いつもお中元を持ってお寺さんにお参りしていたものです。それで私も同じ轍を歩くことにしたのですけど、ちょうどこのところ首が回らないほど凝っておりまして、15日を待たずにお参りすることにしたのです。それに、ま、我が家はせっそうないくらいのせっかちな気性ですから、それもよしとしましょう。肩や首が凝るのは昔からご先祖さまが呼んでるって言われていたので、暫くぶりにご挨拶しようと参ったわけです。

でもねぇ、熱海であんな土砂崩れがあったくらいですから、雨はふるし空は暗いし連絡自動車道は狭いし、どうしてこんな日を選んじゃったんだろうなんて思いましたよ。ほんのはずみだったんです。

先々週、息子が目の不調を訴えて、病院に連れて行ったら結構危ない状況で、たまたまの不都合で家にいたからいいものの、腰の重いところを車を出して連れて行かなかったらどうなっていたか。一週間たってだいぶ良くなって入院やら失明やらの言葉が飛びかうことがなくなって、改めてこの大人になってもどこか抜けてる息子のダメ具合は、初めましてだなと気づいたわけです。子供の頃のことは自分の爪のようによくわかっているのに、大人になった息子という一人の人間については、ズボラだということぐらいしか知らなかったので、ゼロベースで話す必要性を知ったのです。

まあ、以前の感覚だったら、冷蔵庫に食べもん入っているし、勝手に食べてよって感じでしたけど、そう知った後は時間を共有してもいいかなと考えるようになりましたね。他にも、ファーストフードをクーポンでタダで食べるなんてことも、一緒だと否応なしにいろんな話しますしね。

そんな風で一昨日ちょっと声をかけたら来ると言うので、一緒に出かけることにしたんです。運転席と助手席ってベストポジションですね。遠からず近からず、相手の反応をさほど気にしないで勝手に喋れます。同じ方向を見ながら別のことを考えているっているのも心地いいもんです。後部座席にはホームセンターで買った新鮮な菊の切り花と三越の紙袋

前日に、近くの小さな派出所みたいな店舗でお寺さんへのお中元を買いました。お中元って習慣、面倒だなって思っていました。それに中身の感想とか変化とか親が色々話しているのをなんだかさもしい気がして、聞かないふりをしていました。そう感じる人が多数でしょうね。だから簡略化されていったのだと思いますが、今年はちょっと私自身感じ方が違いました。なんだかとっても楽しいんです。何を選ぼうか、定番の美味しいってわかっているものをお贈りするか、格を考えて量より質にしようか、それとも驚いていただくように目新しいものにしようか。などなど、迷うことの楽しいこと。それも、値段も大きな幅のあるものじゃなし。この楽しさの末に選んだものを、先様がどんな顔をするか、想像が尽きません。それだからこそ、包みを開けた時私にはさもしく思えた品物への蘊蓄や評価が飛び出るんだ、とわかりました。贈っていないとその気持ちはわからないものなんですね。そういえば、住職の奥様が帰りがけに小さな半紙の包みをくださったことがありました。中には小布施の栗きんとんが入っていました。缶に入ったそれは高級品の上に保存も効くし、主婦の隠し刀のようなものです。そんなものを頂いたのなら、もう手は抜けません。今回は透明なお饅頭を葛で寄せたゼリーのようなお菓子を選びました。

こういう古めかしことを不思議と息子たちは面白がります。花を抱え、水桶も運んでくれますから、私は本当におばあちゃんになった気分です。住職にご挨拶をしてお墓へ向かうと、息子がもう水を入れ替えていました。

「すぐいっぱいになっちゃうかもしれないけどね」

パラパラと大粒の雨が降っていました。菊はとても水を好む花です。活きがいいので、その方がいいくらいです。

手を合わせていると、ふと華子のことが思い浮かびました。

「もう、華子にはあったかな」

華子は、母の葬式の一週間後に我が家にやってきて、一年と少しいて帰ってゆきました。当初は母と入れ違いのような気がしていました。お盆なら、華子のお墓にも参りもしなくてはならないと思ったのですが、どうも華子はこちらに来ているような気がして仕方ありません。

「そうじゃない?」

「役目が終わったんだよ」

ぽつぽつと脈絡がなく、息子が言いました。ずっと何度も話してきたことです。私はあんまり呆気なくなくなったので、あの激しい痙攣のことも、病院探しで苦労したことも、運んだ時に震えていた華子の重さのことも全部忘れて、ただいなくなっただけのように話すのですが、いつ帰ってくるのだろうととぼけたことなど言っていると不愉快な顔をするのです。

そう考えていたのだと、初めてわかりました。

母もそうです。息子には、いつも裏声でいい顔しか見せなかった母ですが、家の中ではなかなか難しさは知れ渡っていて、でも彼にとっては力強い身内なのですね。ルーツほど、確かで強いものはないんじゃないかって思いました。色々あっても、これは嘘じゃなくてそこにあって、色々は多分こちらの解釈でいくらでも変えることができるのです。神様、仏様は確かに霊力があるかもしれない、窮地から救ってくれるかもしれません。でも、ご先祖みたいに失敗や変な癖を笑って、反面教師にすることもできないし、自分にもおんなじ血が流れているよねって、変な安心材料にすることもできません。だから近いお墓の方が今は自分が元気になれる気がします。ご先祖が大事なのは当然のことで、しかしそれは偉いとか尊いとかいう理由ではなく自分のルーツであるから。それくらいでいいんじゃないでしょうか。生きているだけで十分大変なのですし、その人がいなければ自分も存在しない。それを思い出し、その人たちの失敗を笑い、温かい気持ちになる。亡くなった人のためのお墓じゃなくて、自分のための場所にしてしまえばお墓参りはとてもいい習慣に思います。遠くっても行く理由になりますしね、不思議と心が安らぎます。

たった30分ほどのためですが、来てよかった。ゼロの気持ちになってお墓に向かって話しかけました。息子の目を直してくれたこともお礼しました。頼み事はいけませんが、お礼はいいのです。

車に戻ると、息子が乗る前にタバコを吸っていいか聞きました。

「いいよ。ついでにおじいちゃんに一本あげてきたら?」

ニヤッと笑って息子は再びぬかるみの中を走ってゆきました。チェインスモーカーだったのを知っているみたいですが、父は息子が生まれる前に亡くなりました。それなのに、なんだか全部繋がったみたいな気がしました。この人もきっと、困ったことができるとふらりとお墓を参るようになるのでしょう。

もうすぐ還暦になります。まだ少しありますけど、ようやく、私が私でいられる時間が始まる気がします。それが楽しみです。

五霞の道の駅で美味しいアジフライを食べて、家に着いた頃には肩こりがだいぶ楽になっていました。


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