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ストラスブールのベアショルダー               40年前の自分へ(4)

 昨日のあまりの暑さに、自室の模様替えをしました。絨毯をかたづけ押し入れに入れます。終の住処と決めた我が家では、ストレージの管理がだいぶ重要です。近年は体調不良も相まって洋服の断捨離も進みませんが、コロナ直前の2019年に処分したシャネルタイプのスーツなんか、とっておいたらよかった・・・と少々残念な気持ちになります。片付けのスペースをもとめ衣装ケースを開けるとすこし黄ばんだ木綿のワンピースが出てきました。数度の断捨離をかいくぐり最後の最後ゴミ袋に入ったにもかかわらず衣装ケースに保留中。捨てられず戻ってきた服には思い出が詰まっておりました。

 約40年前日本でタバコは150円だったころ、西ドイツでは5マルク、だいたい500円ぐらいの感覚です。関係なさそうですが、実は、タイトルにあるストラスブールはフランス、私たちが参加したその日のツアーは国境をこえて安いタバコを買うドイツ人でいっぱいだったのでした。

 フランクフルトでの仕事になれ半年ほど経って、考えすぎの自分にもどっていた私は急に先輩に旅行にさそわれました。住む場所も環境もかえても自分のコアは変わらないんだな、と残念な気持ちでした。あのころに書いたメモにはそんな自分の審美眼をとおした目の前の世界や不思議におもったことが書かれています。40年前の自分に伝える術があれば、私はいってやりたいです。どんなに感覚の皮を厚くしても、感じてしまうことはやめられない。だからできるだけたくさん見て、感じて、経験値を上げて、悲しくなる自分を許してと。そうしたって友達みたいに明るく笑うことはできないし、後悔することも止まないけれど、それもあなたが自分を守るために必要なことだから抗ってはいけないと。

 そのときは、先輩の誘いに喜んでついていきました。旅行は一番の気分転換でしたから。当初は、数名いた同期の中でどうして私がさそわれたんだろう、と不思議でした。その後この先輩にはフランクフルトからロンドンまでバスツアーに誘われました。それもドーバーをフェリーフライトで飛び、その先は再びバス。それで往復二万円程度でした。宿泊は自分達でBBを毎晩探すのです。朝と晩と食事だけ一緒で、あとは自由行動というシステムです。きっと自分で行動できると認めていただいたんでしょうね。光栄なことです。

 しかし、初めて誘われたストラスブールでは、免税価格の激安たばこ購入の大人のドイツ人たちに混じってなんとも場違いな気持ちでした。車中、はじめて現地ではばらばらに行動するよ、といわれてさらにショックというか、茫然自失の状態だったのを思い出します。バスを降りて、先輩はスタスタと目的の観光地へと行ってしまいました。残された私は、しかたなく遠巻きにドイツ人の大人のグループと同じルートを辿ることにしました。しかし彼らは広場ちかくのスーパーへ一目散。一人暮らしのノンスモーカーにはあまり縁のない場所です。集合場所も同じ広場の前と聞いたので、しかたなく私は古い街並みのほそい路地をうろうろすることにしました。誘っていただいたときには予想しなかったことです。きっと一緒に回るのだろうとおもっていたので下調べもしていませんでした。

 ストラスブールはドイツとの国境にちかい古い街で、大学や大聖堂が有名です。街並みはドイツのロマンチック街道上のロートテンブルクにも似ていますが、白い壁に木のビームの色が薄い感じがしました。そして窓から見える室内が、ドイツとはすこしちがって華やかでした。似ているけれど少し違う、フランスの路地をふらふら歩いているとき道の先に黒く聳えるカテドラルがみえました。長い年月で暗色に変化した壁の威圧感にすっかり打ちのめされてしまいました。そして仕方なく路地を戻ることにしたのです。すっきりとした路地の左右に立て込んだ石造り建築。その一部に、ぽっかりドアが開いている場所がありました。観光客も立ち寄らない細い路地です。飾り気もない路地ですが、そこから明るい色のサンドレスを着たマダムが出てきました。そこは住人むけのブティックだったのです。

 すっかり暗い気分だったのですがつられるように店にはいりました。そこは色があふれていました。柔らかい色、柔らかい生地、柔らかい曲線の服やスカーフやサンダル、麦わら帽子・・・。マダムは黒みがかった茶色のふわふわの髪で、忙しげに動いています。ネックレスも印象的でした。ドイツでもきっとそういうマダムはいたのでしょうけれど、目に入りませんでした。

 そのときは、そのブティックがそしてマダムが善の象徴のように見えました。ふと、レジ脇に、マダムの着ているドレスと同じものがあるのにきづきました。マダムはちかづいてきて、それ気に入った?と聞きました。フランス語でしたから、わかりませんがきっとそうだと思います。答えられないでいると、そのドレスのハンガーにかかっている共布のベルトをはずすと首にかけてもいいし、ほら私みたいに腰に巻いてもいいのよ、といって見せてくれました。もう、買うしかありませんでした。

 そのあとはもう何もすることがなく、早々に出発場所の広場にもどって時間を潰すしかありませんでした。3時間ばかりの自由時間後、スーパーへ行ったはずのドイツ人たちはびっくりするくらいに真っ赤に日焼けして帰ってきました。先輩も、来た時とは打って変わって満足げな顔で帰ってきました。自分だけ時間を無駄にしたようで残念でしたが、膝の上に土産物店のではなくブティックのショッピングバッグを抱え、これでいいんだと帳尻を合わせた気でいました。それがちょうど約40年まえの誕生日の出来事でした。

 ドレスは、両肩に太めのストラップがついていますがベアトップです。両肩の骨がでるところがおしゃれです。その時の私は素敵すぎて、なんども着ようと思うのですが、結局着られず箪笥の肥やしになっていました。歳をとったら、シワもシミも気にならないくらい歳をとったら、きっと着られるようになるだろうなんて思ったりしていました。

 人間は、残念ながら、物より長生きしないものですね。断捨離は思い出まですてることになってしまいますから用心が必要です。そういう私も、ことしこそ捨てようと思ったのですから。でも、(1)からずっとお話してきた面倒臭い自分がいて、その自分が40年たってもまだ生きていてあの暗黒気分だった時代に、懸命に自分を奮い立たせて買ったワンピースが手元にあるというのはとっても感慨深いです。

 物は物。といいますが、物は自分のそれぞれの時代を象徴してくれるような気がします。好きだったものや、音楽のレコードやそういったものが、記憶の端っこにおいやっていたあの頃の自分の中心を思い出させてくれます。

 いまも、あのころのまま、私は考えすぎです。一人なら自分のことだけ悩んでいれば、ってご勝手にって感じですが、家族ができて子供いると状況はもっと大変です。そして山もあるし谷底もある。だから、大丈夫とはいえないけれど、生きていれば絶対いまの直面していることはちゃんと通り過ぎます。

 これをつたえられたらいいのに、と思います。でもおそらく、それをしったところで、あのころの私は笑おうとも楽しもうともしないでしょう。本当に面白いと思えば笑うだろうし、楽しくないのに楽しいと思えるはずもない、と考えるに決まっています。

 でもそれがわかるのも、あのころが残念だったと思うのも、今の年取った私だからです。他人が見てどう感じるかじゃなく、私が時間をかけて到達した自分がいるのを感じます。


 大人になった同級生がつながっていたSNSで昔、あのころの自分にいってやりと書いていた友人がいました。ふわりとあの頃の自分の部屋に飛んでいって、人生最大のトラブルにいた時の自分に”大丈夫だよ”って言いたいって。

 そういう感じです。今の私をみている、未来の私がいるかもしれない。そう思うと、背筋が伸びます。まだ生きなくてはいけません。これからは、あの頃の私みたいな、気持ちが不安定な人に自信をもって話を聞いてあげられます。大丈夫、ちゃんと生きていれば、きっとちゃんと納得できると。

 ストラスブールで買ったベアショルダーのワンピースは、今も成長過程の私に過去をもういちどみせてくれました。という話でした。

 息子たちが帰ってきたら、40年越しにこれをきて庭でバーベキューでもしましょう。



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