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【小説】水族館オリジン 7-II

chapter VII: 翁撫村 ②

ところが夏休みのある日、
南の方で台風が発生して海はとても荒れました。
わたしはラジオ体操がおわっても家に帰らず
本を持って海岸にでました。
あの人達はもう来ています。
いつもの様に頭のてっぺんだけをみせて
地下の洞窟へ下りていきました。

ときおり強い風が吹いていました。
でも台風はさほど近くにいなくて
威力もそれほど強くなくて、海の水の上澄みをかき混ぜるだけ。
わたしのところからは
泡立った海水が沖のほうから風にながされてくるのが見えました。
それでも洞窟からも篠竹の出口からもずんと離れていて、
まだ心配いらないと思っていました。

なぜでしょう。
どうしてわたしはいかなかったのでしょう。
空の色は鈍く、空気はしめっていました。
居つづければ、びしょぬれになったかもしれないのに。
心は本の上をすべり、ぜんぜん集中できません。
それでも、わたしはそこにい続けました。
虫が知らせたのかも知れません。

小一時間たった頃、いつものように崖の穴の
その奥からいろんな声が聞こえて来ます。
あの人たちが戻って来ました。
全身が見える所まで坂を登ってくると、
リーダーの男の子がくるりと背中をむけました。
なにか下の子たちに言っているみたいです。
注意しているみたいにもみえました。
命令しているみたいにもみえました。
みんなはおしゃべりをやめました。
しん として風が耳元の髪を揺らすだけ。

リーダーが、ほかに誰もいないのを確かめるそぶりをしました。
小さな子たちがリーダーを見上げます
そして、こちらには聞こえないひくい声でなにかを言いました。
それから、みんなは それぞれ 自分の入り口から バラバラ
帰ってゆきました。

わたしの耳の産毛を、かきまぜるように、風が吹いていました。
耳孔の洞窟に吹きつける風も
ちいさく音をたてていました。

それなのに、なぜわたしは、そんなことがわかったのでしょう。
そして、なぜはじまりからずっとみていたのでしょう。

むかしからそうです。
けっしてそう願っているわけじゃないのに、
おかしな事が起こる時わたしはその場に居合わせます。
居合わせるからそうなるのか、
そうなることが分かるから、そこにいるのか。
どっちかわかりません。

あの人たちがここにいるのを知っているのはきみだけだよ
虫はそうわたしに言っていたのかもしれません。

リーダーが声をひそめたあたりから、
よくないことが起きている気がしました。
みつからないように頭を低くしてずっと観ました。
そして、あの人たちが帰ってくると、
ひとりひとり消えてゆくのを確かめながら、人数を数えたのです。

すると来た時よりも一人足りません。
一人たりないと数ではわかるのに、誰がいないのか、
最初、それがわかりませんでした。
いなくても気がつかない子、目立たない子。
小さい子かもしれません。
それなら、わたしが見落としただけかもしれない。

わたしは頭の中をぐるりと見渡しました。
いつも集まるメンバーの中に、小さな男の子はいなかったか。

ああ、いました。
いつもリーダーの後ろを追いかけるようについてくる子。影のようにいつもくっついている子。
今朝もいました、たしかに。
今日はなぜだか、洞窟におりる坂道でリーダーは振り返りました。
そのとき小さな子はそこにいました。
振り返ったリーダーがその子のシャツを掴んでいたから、覚えています。
そして、あれっと、思ったから確かです。

あの子です。
あの子がいません。
私は崖の下まで走りました。
満潮までにはまだ間がありましたが、波は少しずつ茂みに迫って来ていました。
さっきあの人たちがつけていった足跡はもう、水の下です。
もしいつもどおりならあの人たちは洞窟のなかの潮溜まりに潜っていたはずです。
あの子は洞窟のどこかに残されているかもしれません。

だれかが、
洞窟の中の潮溜まりは深いところで海につながっている、
と言っていました。

下の方はもっと広くて、
早い海流がながれていて
それに乗ったら外海まで
あっとゆうまにながされとうよ

近所のオバアは、
わたしの左目をみるたびに、洞窟にはいっちゃなんねえよ、
と耳打ちします。

「あんたはもどってこれなくなるからね」

「それに、べつだん用もないっしょ」

そう言われ続けてきたので、小さい頃から洞窟には近づかないようにしていました。
どうしてわたしにだけ言うのか、それも小さな声でいうのか。
怖くてだれにも確かめることはできませんでした。
だから、あのときも、そして今日まで、洞窟にはいりませんでした。

あのとき、恐怖がわたしの足を留めました。
篠竹の茂みの、砂地にぽっかり開いた穴にはもう、潮がはいりこんでいたのでしょう。
耳にとどくのは、チャプチャプという、海水が岩を叩く波と、
岩壁に反響する音だけ。

弱虫のわたしは穴の手前で耳をすましました。
それだけが、わたしにできることだと思って、それはそれは一生懸命に。

ここで誰かを呼んで穴の中をちゃんと調べてもらうべきでした。
そうじゃなかったら、あの子達に事情を聞いて
もっとちゃんと明らかにしてもらえば良かったのです。

十七年経った今でも、あの子がどこへ行ったのか、わかりません。

夏休みがあけると、はじめから小さな仲間などいなかった様に、あの人たちは海岸にあつまって遊んでいました。
いくら時間がたっても騒ぎにはなりませんでした。

そしてあの子が、村の親戚にあずけられていたのだという噂を耳にしました。
とても縁の遠い人の子供で、ひょいとあらわれ子供をあずけたら、そのまま長いこと顔を見せることがなかったそうです。

子供達はどんな約束事をしたのでしょう。
今思えば、
高学年の子供達がとても落ち着いていて、
いつものようにワイワイ騒いでいたり、
そうかと思えばとつぜんあたりを気にして声をひそめたり、
不自然なところはいくつもありました。
わたしも子供でしたが、
なんだか運動会みたいと思ったのでした。
そして男の子が一人いなくなった。

あの夏休みの日、何があったか。
それがわかったのはわたしが中学生のときでした。
リーダーの男の子は同級生です。
男の子は親を探しにいった、のだそうです。

計画は同級生のお兄ちゃんがたてました。
騒ぎにしなくてはならなかったから、
『まるで潮にながされたようにこつ然と消える』必要がありました。
少年がいなくなったことに気づいた大人たちが大騒ぎして、離れて暮らす親に連絡をして、親が少年を迎えにくる。
そういう筋立てだったようです。

でも、男の子は、隠れているように言われた場所からいなくなってしまいました。
そう同級生が話してくれたので本当だと思います。

計画では竹林のなかを迷走する通路をぐるぐる回り、
それぞれがスリリングな計画に胸をふくらませ砂浜に出る。
リーダーは茂みの入り口まで男の子を戻らせて待たせます。
そして服を脱がし、男の子が付いてきているみたいに服をひらつかせ
地下洞窟のある穴へ入る。
いなくなったと言って騒ぎを起こす。
それから隠れている男の子を離れにつれてきて夏休みの間一緒に暮らす。

そういう計画だったようです。
ところが男の子は本当にいなくなってしまいました。

「彼はきっと行ってしまったんだ」

同級生はそう思いました。
そうじゃない、とわかっていました。でもしようがありません。
そう考えて心を癒やすしかありませんでした。
ちょうどお彼岸の頃でした。
きっとご先祖様が、ずっと会いに来なかった親を改心させて、
あの篠竹の茂みにつれてきてくれた。
そう信じました。
だから彼の兄が、約束通りにやって来たお兄さんにも
そう説明しました。

お兄さんはチッと舌打ちしてつまらなそうでした。
でも、仕方ありません。
それに親がむかえに来たなんて、なによりじゃぁないですか。
めでたし、めでたし。

洋服は、洞窟の流れの中に投げ込みました。

「それが失敗だったな」
と同級生は話してくれました。

中学生のわたしは、あまり友達と遊んだり話をしたりする子ではありませんでしたが、彼とはこのときから友だちになりました。
真っ黒に日焼けし、腕の筋肉がなんでも解決してくれると信じているような少年でした。
それがとても羨ましかった。

その彼は中学を出ると南の国へ渡りました。遠洋船で働くため漁業会社の研修をうけに行ったのです。
そして、いまでも数少ないわたしの友人の一人です。
もしわたしが真剣にきかなかったら誰にも話さなかったでしょう。
わたしも彼とは一生口を聞かなかったと思います。
自分ももうすぐ外国へゆくというとき、
彼は男の子がたった一人で親戚の家に預けられていた心細さを思い
こう言いました。

「つらかったろうなぁ〜」

きっと彼自身が感じていたことだったのでしょう。
そういった彼の目が明るかったのは、あの男の子が親といっしょにいるか、
あるいはあの時よりもずっと良い環境で暮らしていると信じていたからです。
これから、
これから人生の海原に漕ぎ出そうとしているリーダーは、
ずっと先の漁師として独り立ちした自分に話してかけていた
のだとおもいます。
今だけ我慢すれば、きっと未来はひらける、という風に。

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