10月4日 いばりたい
ずいぶん前、ポッドキャストを聴いていたらこんなことを話していた。
「そうー。それでね、夫の持ち物はそっと廊下とか部屋の隅とかに移動しておくのね。そうして、数週間まちます。それでも部屋に持って行かないものは、黙って捨てます」
「私もおんなじです。もう、結婚した時に決めたのになかなか守ってくれななくてほんと困っちゃう。古民家に引っ越したら絶対守ってもらわなくちゃ。だって古い造りだから収納が限られてるから・・・」
「そういうのはやっぱり、訓練だと思うのね。新しいものをお迎えするとき古いものは同じだけ捨てる。(中略)・・・・色々工夫が必要なのよ」
「なるほど、そうすれば確認する手間が省けますね。私たちはそうやって進化しているのにどうして夫はダメなのかしら。変わろうとしない。結婚前、それも学生時代に先輩からもらったジャージまだ持っているんですよ」
「だめですよ、うちの夫も。最近、五年目にやっと捨てられていることに気づきました。変えたいと思ってもこっちの思惑を知ってかしらずか」
「ほんと、変わってほしいです」
パーソナリティーは丁寧に生きることをテーマに、毎週自宅で録音したつぶやきを投稿している方。相手はパーソナリティーのシンパで自身も番組を持っている女性。
お二人に同感である。
私にも似た経験があった。
夫はマイペースな人だ。苦労人で自分の強い考えがあるから他人の言葉に耳を傾けない。傾けたとしても自分の中に築き上げたふるいにかけるから時々齟齬が起きた。経営者にはそういう強さが不可欠だけど家族にとっては難しいところがある。というか、あった。昨年夫は脳幹梗塞を患った。今はすっかり回復し、仕事にも完全復帰した。だから毒も吐けるのだが。その中で経験したことがある。リハビリ病院の主治医にこの病に付き物の性格の変化を指摘さるた。
「怒りっぽくなったり、癇癪を起こしたり、知っている人格と変わったと感じることがあるかもしれません」
夫は命の危険は回避。円滑な会社復帰するためのアイドリング状態のときだった。同席していた息子たちは、それまで職業人として尊敬していたが、時々話が通じなかった父親を前にその言葉に失笑した。大丈夫、今までだってワンマンなところがあったんだから・・・そんな気持ちだったと思う。
それまでの生活空間の決まり事は変えざるを得なくなった。我が家もポッドキャストの女性のリビング同様、私物のストックはさせない。結婚来その環境はできあがっていて夫の持ち物は有無を言わさず彼の部屋へ。それは私が自主的にやってきた。言い換えれば、しゃかりきになってやっていたのは私だけだったかもしれない。
ところが彼の持ち物何一つないリビングは、病み上がりがいる家庭には不便な場所だった。いちいち取りに行かなくてはならないし、持って来たものを保管しておく場所もない。
でもそれは自分の蒔いた種である。そもそもは私自身の心の安寧のためだった。とはいえ、家をワークスペースとしている女性は誰でも同じだと思う。自分のいる環境を自分が気持ちいいと思う状態にしたいというのはあたりまえの感情だ。でも病人がいては仕方ない。三途の川を渡らず引き返してきてくれたんだから。そう感謝するから、リビングに長々と寝そべっている見慣れない風景を目にしても、見ないふりで寛容に受け止めた。
しかし有難い事に、夫は医師が言ったのとは反対方向に変わった。
家族の反応をとても気にするようになった。これまでの当たり前がそうでなければ誰でもそうなる。それだけのことなのに、夫はひどく私の顔色を気にするようになった。
これは夫婦の話し合いのチャンスだった。これまで話し合いのテーブルに上げる事もなく溜め込んでいたこと、倒れてからのこちらの気苦労、伝えたいことは山ほどあった。極力、彼を傷つけないように説明した。それは貴重な時間だった。
だけどその状態に慣れてくると、今度は私のそれまでの癖が出た。それもまた夫が治ってきた証拠なのだけど、片付け至上主義は厄介だった。ありがたさもどこへやら。目の前に広がる荒れ放題のリビング。持ち主ばらばらの私物が散らかっている。おまけに長々と寝そべる夫君。当たり前じゃなかった風景に、私は理性を無くした。
久しぶりにみる取り乱した妻の姿に、夫は慌てた。そしてその時のベストを尽くして、
捩れた絨毯を直し、
脱ぎっぱなしの服を畳み、
仕事帰りの荷物を、放り投げられる前に自室へ運んだ。そしてこちらを振り返りにんまり笑ってみせた。
こうなると文句を言うことができなかった。いろいろわかっちゃいるけど、イラつきは収まらない。挙げ句の果て、私はこう叫んでいた。
「私はね、いばりたいのよ」
私は、威張りたかった、らしい。仕事で与えられる努力の延長線上の成功や名誉じゃなく、ただ私だからという理由で多少横柄にあれこれ命令しても受け入れられる権限。言葉にしたらそういうことになるだろうか、。それが欲しく、そして行使したかったらしい。
気づいてしまうと、つまらないものにこだわっていたなと可笑しくなった。家の中が片付いたって誰かが気分が悪ければ途端に悪い電波が出てしまう。綺麗な部屋がいいのならホテルへ行けばいい。片付いた部屋に誰が価値を見出すだろう。私が?そう、それなら私が気にいるように機嫌よく片付ければいい。
夫の病に付き合っていて、ものの見方が変わった一つの例。
まあ、女は威張りたいんです、きっと。ホルモンの起こす化学反応なんでしょうけどね。 男が威張ったら、わかりやすく反対されて潰されるだけですもんね。そもそもそういう性質じゃないのかもしれない。普通に思っている威張る男っていうのはステレオタイプであって、実態は反対かもしれない。そうされていることの裏返しとか。
例としてどうかわからんけど、カブトムシって、兜着てるけど、
中はソフトで潰れたら骨も何もないのよ。内包する黒い闇を硬い鎧で守っている。
男って結構そんなふうかもしれない。
だからね、片付けてって命令できるのは、それが正義であるから。でも威張りたければ、威張りたいのよって、言ってしまった方が簡単かもしれません。私は朝早起きしてあなたたちのお弁当作っているのよ、って威張るより、ありがとうって言ってちょうだいって、言ってみるとか。もう、さっさと寝ないと明日の仕事に差し支えるでしょって、威張るんじゃなくて、「大好きよ、大好きよ、大好きよ」って言ってみる。全ての心配と不安と夢とそういうものの一番の根源の、Knotになっている、自分でも違う言葉でいつもは翻訳しているその気持ちを、ダイレクトに行ってみたらどう? 自分でも間違えるくらいに。
それだけが大事な気がする。
いばりたい、あなたがいるから。
大好きな、あなたがいるから。