見出し画像

「こはだ」が食べたい!

こんにちは、アクセスバスターです。

鮨が美味しいと感じるのは、口に入れた時の魚と酢飯と少量の醤油、わさびが醸し出すハーモニーが、過去の体験を引っ張り出してきて、もうなんとも言えない状態になるからと思う。

生まれも育ちも、小田急線と京王線が交差する街あの「下北沢」である。
昭和35年頃の事を話したい。その頃、わが家は、そろばん塾を営んでいた。屋号は「東京第一珠算塾」父親は、珠算の使い方の手ほどきしていた。

自宅に風呂がなく、夜は、銭湯に浸かり、ぶらぶら歩いて、下北沢駅の北口にある、魚屋が趣味でやっている、立ち食いで4人程度で満員になる鮨屋で、こはだ一貫、かっぱ手巻き一貫を食べてから帰宅するという生活をしていた。小学生の頃だから、そんな粋な生活を楽しめる訳ではない。フルーツ牛乳とか、コーヒー牛乳とか飲んでいる友人が羨ましかった。そういう生活も父親の足の怪我からギブスを装着する事になった。結果、外出ができなくなり、家風呂を作ってからは、「こはだ」「かっぱ巻」とはお別れになってしまった。

時は二十年程流れて、香港に移住した時に、鮨を食べて、そのクオリティの高さにびっくりした。1980年頃の香港で提供される鮨は美味かった。もちろん、高価で、金田中で「トロ」を注文した時に香港人スタッフが、「この位の価格だが大丈夫?」と聞かれたのは、みすぼらしい格好していたからだと思う。日本人スタッフが飛んできて、失礼な対応を詫びてくれた。貧乏なのは事実で、ちゃんと金が払えるかどうか確かめるスタッフさんはちゃんと自分の仕事をしてくれたのだ。

今回の写真は、すし廣時代の鈴木さんに握っていただいた、「こはだ」である。鈴木さんの「こはだ」は前日の午後に仕込む、すごく手の込んだ「こはだ」である。下北沢の幼少期に食べた「こはだ」を思い出させてくれる。
一通りネタを食べて最後にもう一貫食べる「こはだ」が喉を通る時が一番の至福の時なのだ。

もちろん、トロもマグロも食べるに決まっている。しかし、心の何処かで「こはだ」を熱望しているのだ。「こはだ」好きは一生続くだろう。