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隣組と班

 私は◯◯市に住んでいる。東西南北に走る道路に挟まれたブロックごとに◯◯町◯丁目◯番地と設定している。その区切りを町内会では「◯◯町◯◯丁目の◯班」としている。17年前に亡くなった母親は戦中の思い出が濃かったようで「班」と言わず、いつも「隣組」だと言った。隣組で誰かが亡くなると各家で女性が一人ずつ葬儀のお手伝いに行く。30年前に亡くなった父の葬儀では隣組の人達が集まって飲食の世話をした。また、隣組に転居してくると班長(隣組の組長さん)に手土産をもって挨拶に行くのが決まりであった。
 そんな風習も徐々に廃れ、コロナを経て完全に消滅してしまった。最近は隣組で亡くなっても葬儀に呼ばれないし、亡くなったことを知らずにいる場合が多い。町内に転居しても町内会に入らず、世帯主が亡くなって代替わりすると町内会を抜ける家も多い。そんな風潮に乗って、ある日突然、町内会を脱会する人も出てきて、町内会の組織率は50%にまで落ち込んでいる。
 班長になると町内会費などの集金をしなければならない。現金ではなく銀行振込の市もあると聞くが、我が市はそこまで進んでいないし、たとえ振り込みになっても広報の配布や回覧板の管理など班長の仕事はなくならない。班長の仕事が嫌で町内会に入らなかったり辞めたりする。理事や町内会役員の仕事も回ってくる。町内会長をやっていた時、そんな状況を憂う気持ちになったものである。今は責任感から解放されて客観的に考えることができるようになったお陰で、これも世の中の流れだと納得している。
 8年前、私の班に建売住宅が8軒できて14軒に増えた。家が増えると班長の仕事が増える。
「新しくできた家の集金は大変。」
班長の時、集金の仕事は妻がしていた。理由を尋ねた。
「いつ、行っても留守なんだもの。」
ちょうど私が町内会長をしていた時なので班を二つに分けることにした。一方的に決めたわけではない。各家にアンケートを実施してその結果をもとに古い住民と新しい住民を分けることに納得してもらった。
 8年経過して古い住人のグループは様変わりした。隣組の付き合いは完全に消滅した。何より住人の数が減った。まず、ご主人が亡くなり息子さんの代になって町内会を脱会した家が一つ。二つ目は奥さんがなくなり、しばらくしてご主人も亡くなり、家は取り壊されて更地になった。三つめはご主人が亡くなり奥さんが実家に戻って家が売りに出された。新しく家が立って住人が増えても町内会には入らない。四つめと五つめは共に奥さんが亡くなりご主人だけの独居老人世帯になった。
 軒数が8軒から5軒に減った。子供は成人して家を継がずに独立する。我が家も同じで、残っている家も似たり寄ったりの状況である。結局は老人世帯ばかりで、町内会組織と家自体が同様にいつ消滅してもおかしくはない状況になった。
 そして、気がつけば隣組の中で我々夫婦が最年長である。

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