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老いぼれ論2

 在宅のコロナ感染者を見回る医療従事者に頭がさがる。自分の生活を犠牲にして患者の命を守ろうとする姿に心打たれるが、一方、彼らが患者の受け入れ先を探す電話に出る病院の多くは「◯◯だから受け入れられない」などの対応は冷酷に聞こえる。同じ職業でも目指しているものは人により大いに違う。教員でも同じだ。子どものため、生活のため、出世のため、組織のため、目指すものは同じではない。どの職業にも言えることである。ただ、命の危険を目前にした場合は、目指すものを変えるべきだと思う気持ちが怒りを生む。政府や官僚は医療崩壊を防ぐ手立てを打ってきただろうかと考えるとき、これもきっと彼らが目指すものが違っていたらしいことに気付かされる。医療崩壊をきたしている状況下で、そのしわ寄せが命を救うことを第一に考える医師に対する「命の選別」となる。そんな善良な医師達に辛い選択をさせてはいけない。健気な医療従事者と情けない政府を見れば怒りばかりが広がる。しかし、それが全てではなく「死」と「老い」についても考えさせられた。

 祖父母、叔父、叔母、父母、義父母の死を見てきた。病院で看取ることもあれば、葬式で棺桶の故人を拝むだけのこともあった。総じて彼らの死は高齢であったので葬儀で大きな悲しみはなかった。しかし、見舞いに行った叔父がミイラのようにやせ衰えて、それでも死ねないで生きようとしている姿を目にし、90歳を優に超えて老衰に近かったのに臨終に際して息ができずに苦しむ義父の姿が印象深く残っている。半身不随になりながら30年間を立派に生きた恩師がいました。60歳を前にして癌で亡くなった友人の奥方の葬式を見ました。すい臓がんで65歳であっという間に早世した友人がいました。若ければ悲しみが大きく、老いれば悲しみが少なくなるのは人間が等しく死を免れないからだと思う。69歳の私は70が一つの節目のように見えてならない。

 60歳辺りから葬儀や法事、墓参りが増え、死が随分身近なものになりました。死が近づけば死に対するイメージがいくつも湧きます。自分がどれになるかは重大事です。それを選ぶことはできませんから考えても仕方がない。それでも、なおも考え続けると選択できる「自殺」か「安楽死」の行き着きます。個人的には一定の条件下で安楽死を認めることに賛成ですが、これは法律のことだから今の日本では選択できないし、法律で禁じているということは安楽死を支持しない人が多数を占めているということでしょう。また、日本では安楽死についての議論が十分なされていないので仮に法制化されるにしても私の死後になるのは確実でしょうから、この作文で考えを記録に残そうという気力は生まれません。ただ、コロナ感染者の搬送・入院などで医者の判断により「命の選別」が行われるのは当然だと思います。しかし、これはあくまで現実論であって本質的に人の道に外れていると言わざるを得ません。こんな人権を無視する過酷な判断を押し付けない状況を作るべく、政府にお願いしたいものです。

 残るは「自殺」という手段になります。旭川のいじめ事件についてオンラインで話をしていた時、友人に「自殺は殺人」だする考えを教えられました。生きることを願っている人間を殺すことは殺人。殺人を助けた人を殺人幇助といって殺人と同じ罪になる。つまり、いじめた生徒達は殺人罪と同等の罪を犯したことになる。主犯はもちろん本人ですが、自殺しようとする時、死にたくない自分がいるはずだから二人の自分が存在すると考えれば理解できます。自殺にはいろんな理由があります。今私が考えているのは高齢に達して生きる望みと気力をなくした人間が自分の意思で自分自身を殺害しようとする時も、やはり、少しでも生きていたい自分が存在するのでしょうか。自然死する間際になっても生き続けたいと思うのは生き物の本能でしょうが、人生の幕を下ろしたいと考えるもう一人の自分は理性に突き動かされているようにも感じる訳です。本能と理性の格闘を想像してしまいますが、振り返って現実の自分を考えると、まだ社会のために働きたい、妻や家族のために死にたくはない自分がいます。こう考えるが故に、安楽死と同様に自殺の選択はありません。

 ところが、「老いぼれ論」で書いたように私には忍び寄る「老い」の自覚があります。忍び寄る「老い」があるので若い頃と同様に働く訳にはいきません。己を「老いぼれ」と呼ぶのは嫌ですが、この現実から逃れる訳にはいきません。「成るように成る」では希望がありません。実はこの希望を持とうとする気力が少なくなっているのです。何かをしたい気力を振り絞る毎日です。今日は長々と老いぼれの愚痴を書きました。

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