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2年間の怒り

 普通2年で終える氏子委員を私だけが 4年も務めた。今日はその4年間に及ぶ氏子委員が終わってほっとしている。
 高浜市の高浜地区には町内会が7つあり、7町内に住む住民はすべて氏子になり、その各町内会から1名ずつ氏子委員が選ばれる。氏子委員は名誉職でボランティア、まあ、町内会長と同じだ。
 ボランティアであっても神道信奉者ならまだしも、私のような無心論者がなりたい訳はない。町内会長を務め終えた者が自動的に2年間氏子委員を勤める慣例であることを知らなかったことが氏子委員を引き受けた理由である。
 町内会長は知り合いに頼まれて仕方なく引き受けた。しかし、町内会長が終わって氏子委員を2年勤めるなんて事は誰も教えてくれなかった。引き受けてから騙されたと知っても辞めるなんて言いづらい。そこをつかれたという感じだった。
 町内会長の前に副会長を1年勤め、町内会長の仕事内容を理解してから会長、そして氏子委員と進む。私の場合、副会長が終わろうとしている頃、突然「2年後は氏子委員をやってもらう」と言われ、騙されたことを理解したが後の祭りでだった。確かに騙されたが、今となって考えると、神社や神道の存在を考える機会を得ることができ、それなりに意義があった。

(そうだ。作文している間に怒りが蘇ってきた。)

 しかし、私の次の次に町内会長を引き受けた人物が氏子委員になる直前「氏子委員はやらない」と言い出した。彼の場合は町内会長を引き受ける前から氏子委員になる慣例を知っていながら突然氏子委員を蹴ってしまった。ボランティア精神とその人物に対する怒りも手伝って3年目と4年目の氏子委員を引き受けた。
 彼の代わりに勤めた余分の氏子委員2年間は怒りがおさまらない。だが、私も神道や神社についてはある種、否定的な考えを持っている訳だから、氏子委員を引き受けることが分かっていれば町内会長を受けなかったかもしれない。そう考えると、町内会長と氏子委員を抱き合わせる制度自体が理不尽なのだ。しかし、そんな制度でないと引き受け手が出ないから仕方がない。この理不尽な皺寄せを私が被ったことになる。冷静な目で見れば、近所付き合いだけでなく住民意識や氏子意識が希薄になって、自分の生活しか考えない人ばかりになった、その皺寄せである。
 4年間を終えて、あの怒りの正体が見えてきた。私自身が近所付き合いを嫌い、住民や氏子のために尽くそうと考える意識が皆無であるのにも関わらず、知り合いに頼まれて会長や氏子委員になって町内のために働き始めたことに由来している。私ではなく、私以外の誰かに町内会や神社の祭りの仕事をやらせればいいと思っていたから怒りが生じた。また、町内の美化や安全や伝統や文化を他人に押し付けて自分だけ快適に暮らしたい。そう思っているから怒りが生まれる。突然に氏子委員を蹴るのも、はなから町内会長を引き受けないのも、個人的な恨みを晴らすのも自分勝手な気持ちから発している。
 2年の歳月を使って考えると、他人に向けた怒りは自分自身にも向けられていた。それがわかっただけでも良かったと思うことにしよう。
 写真は氏子委員を勤め上げたお礼に神社からいただいた。

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