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揶揄(やゆ)・揶揄う(からかう)

中日春秋
天井から大きな金だらいが落ちる。当たった人が目を白黒させる。おなじみのたらいのギャグを考えたのはドリフターズのいかりや長介さんらしい。先輩のクレージーキャッツが洗面器を使っていたのでより大きなたらいにしたそうだ。痛そうだったが、笑わせてもら ったこの手のギャグもテレビから消えるか。 放送倫理・番組向上機構(BPO)の青少年委員会が出演者の痛がる姿を笑いとして見せるバラエティー番組について子どもへの影響に配慮しながら制作するよう求める見解を出した。痛みを笑う演出を子どもがまねして、いじめにつながる可能性があるという。いたずらを仕掛け、人が苦しんでいるのに助けもせずに嘲笑する。 そんなことが日常にあれば、許されることではない。テレビの演出と日常が区 別しにくい子どもへの影響を心配するのはもっともである。やっかいなのは人の痛みと笑いが無関係ではないことか。バナナの皮で滑って転ぶ紳士の古典的なギャグにしても、紳士は痛かろう。他人の失敗や軽い痛みを人は反射的に笑うところがある。こうした笑いを根絶するのは困難だし、息苦しくも ある『トムとジェリー』やコント55 号、ドリフなど痛みを伴う笑いで育った世代の一員だが、その世代がとりわけ乱暴者とは思えない。「あれはテレビだ」「まねすんじゃないよ」と教えた親のおかげもあるか。 2022.4.7
中日新聞 中日春秋

 朝刊にシェアしたい記事があったので「Googl レンズ」で撮影して、トリミングして、テキスト部分をコピーして、「メモ」に貼り付けた。コラム「中日春秋」にある▼の箇所を「。」に変換して、余分に入ってしまった空白を10個ほど削除した。ここまでをiPhoneで行った。次に台所のテーブルにあったiPadを開いて、メモ帳を開くと、すでにiPhoneでコピペした記事が載っている。それを全選択してコピーして、今、使っているブログ「note」に貼り付け、引用ボタンを押すと上の画面になる。
ここまでの所要時間3分。
「いいね」
思わず呟く。

「ああ、しろ。」
「こう、しろ。」
「あれはテレビだ。真似するな。」
子供に教えなくなった。教えることは命じることであるらしい。だから、好ましくない場面や真似される危険性のあるものは見せない。人に命じることの多い大人は口を閉ざす様になった。
 学校も同じで、何事も、考えさせ、話し合わせ、気づかせる方針に変わった。指導から学習に教え方は変わったけれども、目標は以前のまま存在している。ただ、生徒に悪いことは見せない。刺激を与えない。経験させない。こんな風潮ばかりが面立つのが不安になる。
 間違いを犯すのが人間である。失敗して、間違いを指摘されて、指導されたり学習する機会を得て理解、成長する。もし、間違いや失敗のない人間ばかりが集まったらそら恐ろしい。自分一人だけが失敗する訳にはいかない。失敗のない人間世界を目指そうとすると都合の悪いことは隠す様になる。

 「インフルエンザ並み」とまではいかないけれども、コロナ感染症がほとんど気にならなくなった。感染して自宅待機の生徒や教師が常時数名は存在している状況になった。自宅待機生徒へ授業配信するからと頼まれて接続を手伝った。その時、担当の先生が言った。
「生徒の名前が表示されない様にするにはどうしたらいいですか?」
私は咄嗟に聞き返した。
「何故?」
私には名前を隠す必要性が思いつかない。
「だって、他の生徒にコロナだと分かったら困るじゃないですか。」
私は2週間も欠席する生徒の本当の理由を告げない方がおかしいと思う。もし、コロナで感染したり濃厚接触者になった生徒を揶揄(やゆ)する生徒がいたら、
「インフルエンザや風邪で休んでいるのと同じだから,揶揄(からか)うんじゃない。」
「これじゃあ、いけないのか?」
とは言わずに、
「Zoomならば表示名を変える機能がついてますが,授業配信で使っているMeetは、Googleアカウントの名前を変えるか、GooglアカウントからログアウトしてMeetを使えば名前を表示しなくてもすみます。」
こう言ってICT支援員の仕事は済ませた。

 Googlレンズで新聞記事をテキストにしてブログに簡単に掲載できるようになった。欠席者に授業の配信もできるようになった。技術は進歩しているのに、人間同士が付き合う技術は一向に進歩しない。

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