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日常まで、あと少し

 一昨日は医者に行って痛みを訴えた。と言うより、なんとかしてほしいと頼んだ。
「昨夜、突然くるぶしの辺りが痛くなって救急車を呼ぼうと思いました。」
こう切り出して、痛風ぐらいで救急車を呼ぶのは憚られた話をすると、医者も看護師も笑いをこらえた。大病院で検査しても痛み止めと尿酸値を下げるのと排尿を促す治療ぐらいしかないらしかった。
「今回は体液の酸性を抑える薬も出しておきましょう。」
そして薬の効果を確かめるためとお盆休み中の薬を渡すために2日後にくるように指示した。

 まだ、歩くと痛い。やはり激痛である。
しかし、幾らか優しくなった。
何がかと言えば、歩く時の痛み。
でも、痛いからトイレに立ち上がるのは一大決心が必要になる。まだまだ、歩きたくはない。こんな状況ではあるけれども快方に向かっている確かな手応えが出てきた。
 痛みに耐えている間、原爆や地球温暖化を嘆く気持ちは湧いてこなかった。毎日の酷暑を心配する気持ちさえなく、ただ、痛みに耐えることしかできなかった。エアコンの電気代を節約しようとさえ思わなかった。気づけば、沖縄の慰霊祭、広島の原爆記念日も終わって長崎の原爆記念日にイスラエル大使を招かずパレスチナ代表を招いたニュースに気づいた。この問題について論じるより、足の痛みが和らぎ、いつ痛みが解消されるか気になる。まだまだ、元に戻るには長い時間が必要なことばかりが頭を占領している。
 保守的な老人には批判的だったし、自分は年老いても保守的にはならないと思ってきたし、短い余生は世のために尽くしたいと思ってきた。ところが、自分が老人になってみると、環境が変わっていることに気づく。痛風の発作で痛みつけられて気づいた。体のどこかに激痛が起これば痛みを和らげることしか考えない。そして、老人であるから回復不可能な場合が想像されて不安になる。介助が必要になる。あるいは、私が妻の介助や介護に回る必要が生まれる事が頭を浮かんで、毎日の生存が優先課題となる。激痛の間や介護されている時間に国際社会の将来や地球の未来は頭に浮かばない。
 色々な病を得て一人では生きていけないと実感する機会が何度も訪れると大事なのは自分、妻、家族となる。しかし、それだけでは決して生きていくことはできない。隣近所があって、町があって、市があって、日本があって、世界と地球があって、初めて生きる事ができる。保守とは我が身を守る事である以上、地球上にあるすべてを守るべきであり、身の保全だけを考えていてはいけない。痛みに耐えながらも目は常に世界に向けていなければいけない。

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