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教育現場の状況 その2

 就職した1970年代、知多半島南にある中学に教師としての知識も心構えもないまま赴任した。ひどい教員で赤面する思い出ばかりだかりだが、その頃の教育現場は現在と随分違っていた。思いつくままに羅列して見る。今なら完全にアウトで懲戒免職だと思われるものもあるが、当時の様子を伝えるために敢えて書くことにする。

  • 土曜日は半日。土曜日の午後に焼肉屋でビールを飲んで飲酒運転をして帰って、職員室で仕事を続けた覚えが何度かある。

  • 部活はあったが顧問は常に付き添わず、職員室での仕事の合間に顔を出した。

  • 清掃指導も終了する時間に点検に行くだけだった。

  • 男子の髪の毛を検査して長くて一向に散髪してこない生徒はバリカンで丸刈りにしていた先輩を見た覚えがある。

  • 遅刻指導で女子のスカート丈を床から物差しで測り、ロングスカートを短くさせるのが私の仕事だった。

  • コンピュータを目にしたのは1980年代に入ってからである。ガリ版刷りの新任研修さえあった。

  • 教育用16mm映画フィルムが知多郡を巡回して映写機の検定試験があった。

  • セコムはなく、宿直当番があった。

  • 授業は黒板とチョークで行ない、ピクチャーカードも使ったことがなかった。

  • 家庭訪問で保護者から挨拶がわりに「お願いします」とお金を渡されることが何回もあった。

  • 教師は保護者から感謝・尊敬される立場だった。

  • PTAとのバスでの研修旅行が年1回、日曜日にあった。

  • 生徒は卒業後、漁師になったり、工場で働く者が2・3割はいたように思う。

  • 週案を書いた覚えがない。あったかもしれないが、苦しんだ印象がないから負担ではなかったと思われる。

  • 入学式の後、学年職員うち揃って、近くの公園に花見に出かけた。

  • 遠足や修学旅行で職員がレストランに集まってビールを飲んだ覚えがある。

  • 給料は安かったが、夏休みの部活指導は概ね7月で終わり、8月はのんびりと生活はできた。長期休業で仕事によるストレスが十分発散できた。

  • ノイローゼやうつ症状で教師をやめる話は聞かなかった。

  • 学校行事を負担に感じたことはない。運動会や文化祭の出し物は型通りだったし、キャンプもオリエンテーション合宿も宿泊研修もなかった。

  • 小学校に転勤して指導要録の所見欄に一言「グズ」とあるのを見たときはさすがに驚いたが、管理職による点検はいい加減だった。何より管理職よりヒラの方が威張っていた。

  • 薄給だった頃に就職し、田中角栄が総理大臣になり、好景気が訪れ、教員の給料が上がり始めたと記憶している。

  • やがて、世の中が好景気になると、教員の給料は一般会社の給料に差をつけられ、会社員のボーナスを聞いて寂しい思いをした。

  • 90年代にバブル経済が崩壊し始めて、安定した教員に対する風当たりがやたら厳しくなった。

  • 年休や代休の時、校区内を歩くと白い目で見られたり、根も葉もない噂を立てられるようになった。

  • 夜勤明けの住民から蝉の声がやかましいくて眠れないから「学校の木を全部、切れ」なんて非常識な電話を受けるようになった。

  • 体罰が禁止になり、飲酒運転が懲戒免職になり、校内での喫煙ができなくなり、教員による盗撮事件や18歳未満児童との性的関係が新聞で取り上げられるようになった。

 昔を思い出すと楽しくなって色々書いたが、教育現場は確実に世知辛く、ギスギスしたものになった。通知表や指導要録に記入するコメントはマイナス表現ができなくなった。クレームのこない、教師の主観ではなく、具体的根拠を伴う、当たり障りのない表現にするよう求められ、分厚い解説本が配布され、熟読するように命じられる。それを読んで下書きを書き、4役に提出する。しばらくすると付箋が何十枚とつけられて戻って、修正して再提出する。指導要録の所見で一言「グズ」では「どうか?」と思うが、現在のように4役の点検を受けた所見は読んでも、誰について書いた所見かが分からない。とにかく、生徒や保護者からのクレームをゼロにするための苦労は大変である。
 親も子も成績にシビアになった。。高校進学がほぼ100パーセントになれば学歴が大きな比重を占める。これは入学する高校によって生徒が格付けされ、一生を左右されると思うようになったからである。昔のように就職する者が肩身の狭い思いをしない状況で中学の成績とそれに連なる小学校の成績はさほど問題にはならなかった。経済が豊かになり進学率が上がり国民はいくつかの層に分断された。その根拠となるものは収入であり職業であり学歴である。我が子が人生最初の選別にかけられる高校入試と入試に使われる中学校での評定に神経質になるのは当然かもしれない。
 現在の成績は3観点から評定54321をつける。3観点とは「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習 に取り組む態度」である。その判定方法が実に面倒である。例えば、あるテストで80点以上を2点とし、50点までを1点、それ以下を0点とする。小テストなども含めて全てのテストで2点、1点、0点に換算する。技能面なら「立体を正確に描くことができれば」2点、描く手順を「間違えずに描ければ」1点、「描くことができなければ」0点などと換算する。態度は「授業中に何度発言をしたか」とか、「ノートが綺麗か」とか、「提出物を忘れない」とかを2点、1点、0点でつける。膨大な各観点項目の点数が出揃ったら3観点ごと全項目の平均点を出して3観点のABCをつける。3観点の平均点を足して3で割る、つまり、平均の平均点で54321をつける。私は非常勤講師でICT支援員でしかないので、細かいところは正確ではないかもしれないけれども、教務主任から指示された評定の出し方はこんなところである。全ては成績の根拠が欲しいからである。なぜ根拠が欲しいかといえば生徒や親からクレームがきたときのためである。
 非常勤講師である私は「ズル」をして成績を出している。指導項目は書き出すが、それぞれについて2点、1点、0点をつけない。流石に定期テストは採点するが、何しろ特別支援学級の1クラスは10名に満たない。1学期間、生徒を見ていれば誰と誰の評定が3で、誰それの評定が4であるぐらいは、たとえテストをしなくても判定できる。私は5段階の評定をつけた後で3観点各項目の点数を操作して、平均点が最初につけた5段階に合うようにしている。私以外の教師はこんな「ズル」はしていない。カニングアウトをした私は今年度いっぱいで教師という仕事を辞める。私のような奴は今すぐ辞めるべきだとの意見があれば、いつでも辞めるつもりです。

 教師が生徒40人〜200人の評価をすれば、それは教師の主観であって正確な評価ではないからクレームがくる。クレームのない成績を出すためにはテストだけで評価するしかない。理想を目指した観点別評価は教育現場を混乱させるだけである。

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