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亡霊

花見に行かずとも庭を見て、
豪華な食事でなくとも、
アルコールも少なくても、
それでいい。
妻がいて、
健康であれば楽しい。

定年して65歳頃、よく思ったものです。
「いつ死んでもいい。」
「何なら、自殺してもいい。」
何もできなくなって、生を貪(むさぼ)るくらいなら死んだ方がマシだなんて。
最近、気持ちに変化が生まれました。

夜中に目が覚めます。
いろんなことが頭に浮かんで、しばらく眠れません。
老人だから当たり前ですが、
父は肝臓がんで、母は腎臓機能が低下して亡くなりました。
義母は脳を悪くして亡くなり、義父は長く寝たきりの生活をした後で息をひき取りました。
ミイラのようになった病室の叔父を見て、這々(ほうほう)の体で逃げ出したことが思い出されます。
大学時代の悪友が膵臓がんで突然亡くなって、死をとても身近に感じました。
氏子委員で一緒に苦労して仲良くなったSさんは前立腺がんで体中がむくんで、それでも神事に出席した後で亡くなりました。
葬式で棺桶の中にいた幼馴染みの従兄弟の顔は、叔父と同じでした。
最近、立て続けに二人の知人が脳梗塞に、もう一人は胃がんで入院しました。
一人は余命宣告を受けました。
死ぬのは「怖い」と思うようになりました。
死んでも「いい」なんて思えません。

夜、トイレで起きると直ぐには寝れません。
やがて顔が浮かびます。
父であったり、母であったり、義父であったり、義母であったりします。
彼らの臨終に立ち会いました。
叔父であったり、従兄弟であったりします。
葬式で棺桶の中の顔が思い浮かびます。
悪友であったり、Sさんの元気な頃の顔を思い出します。

「亡霊が出た。」
妻に話すと、
「それは、あなたを呼んでいるのと違うかな?」
なるほどと思います。私が叫びます。
「いつでも迎えに来て下さい。」
死は怖いけれども覚悟はできています。
「ダメよ。私が先でないと困るわ。」

息子が生後間もない頃、一緒に入った風呂にウンチが浮かんだことがありました。
あの頃、我が家にはウンチにも必要性と存在感がありました。
最近は、「死」にも必要性と存在感があります。

追伸
新学期になり5日続けて仕事に行って、年度更新作業が一段落して、仕事を続ける気力が戻りました。
元気で働けるうち「死」は遠い存在だからでしょう。
作文の雰囲気が明るくなりました。

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