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脱亜入欧

 綺麗だと感じる髪の長い女子生徒を見ることは稀だ。多くは長いだけで何の魅力も感じないし、暑苦しくさえ感じる。こんなことを言えば、「大きなお世話」だし、髪型は彼女たちの自由で、私などに注意する資格など無いことは十分承知しているが、感じるままを表現する。
 目を覆う前髪が醜いと思う。左右に異様に伸びる横髪は何だろうと感じて妻に聞く。
「小顔に見せるためだって。」
小顔に見えないし、綺麗にも可愛くも見えない。電車内に座った女子高生が例外なく同じ髪型をしているのを異様に感じる。それでも個性やファッションだと聞けば考えるのをやめるしかない。
「もし、彼女たちの親や教師だったら、どうするだろう?」
「みっともないから、やめなさい。」
「果たして、親は注意できるだろうか?」
娘の反発が怖くて、言えないし、仮に注意しても直らないことは容易に想像できる。
 私の経験を話そう。20代前半の大学時代、パンチパーマやアフロヘアにしたことさえあった。それでも教師として就職するときは短髪で、今風の表現ならリクルートカットにした。しかも、勤務した時、内心は「生徒の自由だ」と思いながら、髪の毛の長い生徒を取り締まった。大きな矛盾の中で仕事に励んだ経験が数年続いた。この矛盾が解消されたのは結婚して子供ができてからである。泣き叫ぶ我が子に対する妻の容赦ない歯磨きを「赤ん坊の自由」か「親の責任」かを考えた。やがて、我が子が成長して中学生になった時、我が子には髪を短く衛生的にしてほしいと思ったし、学生服のボタンさえ外してほしくはなかった。だから、仕事場では率先して生徒に注意した。学校が荒れて不良が授業を妨害するようになり、彼らの服装は「自由」と「人権」を根拠に、より奇抜なものになっていった。不良グループが増殖する過程を見ていると、服装の乱れた者からグループに引き込まれたから、一般の生徒に対しての指導には人権を無視するようになった。
 親と子の立場の違いもあれば、その時代の人権意識もあり、世代の違いもある。そして、私には西洋的な価値観と東洋的な価値観の違いが潜んでいるように思えてならない。
 韓国の人気DJが胸を触られたとする被害ニュース映像を見れば、露出し過ぎで触られても仕方がないと思う。それ以前に、あの服装は注目を引くためのものであり、DJ本来の才能とは無縁だと考える。そして、どんな服装をしてもセクハラは成立するとの見解には簡単に承服できない。
 明治以来「脱亜入欧」を目指して近代化を推し進めてきたけれども、日本には最後まで家族観や親子関係だけ東洋的なものが残っていた。けれども、核家族化が進行して親戚との繋がりが薄くなり、最近は、インターネットの普及もあって、息子夫婦は昔からの親の知識を必要としなくなった。家族・親族の結びつきが希薄になって随分と西洋化されてきた。韓国の家族観は日本以上に親を大切にしていると思っていた。家族を大切にするから「個人の自由」は日本以上に東洋的かと思っていたので、今回のDJのセクハラ騒動が印象に残った。どんな格好をしていてもセクハラは犯罪と考える。この根拠は水着で海岸を散歩している女性を触ってはいけないのと同じだとする西洋的な考えであり、東洋的な考えでは淫らな格好をしてはいけない。水着で肌を晒すべきでないとの考え方だ。まだ、日本では東洋的で親の権威主義から西洋的な個人主義への移行期なのではないかと思う。いずれ、東洋的な考えは全て崩壊していくことでしょう。
 要するにポニーテールや丸刈りの強要はあと少し待てば無くなる運命です。そして、私が教師をしている間、生徒は古い道徳観念を押し付けられてきたことになる。
「あの時はそれが大前提だった。」
こんな風に叫ぶと、何やら第二次世界大戦を戦った軍国主義者のようです。これからは、韓国のDJの言い分が正しい。

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