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ワクチン接種

 前3回は市役所関係の会場で接種したが、4回目はかかりつけ医に行った、そこでの見聞録。

「30分前には、来て、居て、ほしい。」
こう、予約を入れた妻から聞いた伝言より10分早くクリニックに着いた時、立って待っている人は居なかったが,それでも待合室は混んでいた。
「予約券、持ってるかな?」
80を過ぎたと思われるお爺さんに看護婦さんが聞く。どうやら予約券を持たずに来院したらしい。
「家に誰か居る?」
看護婦さんとのやりとりが始まった。
「家の何処にあるか知ってる。」
どうやら予約券の存在を知らないらしい。これを聞き出すために5分ほどかかっている。その間,爺さんの機嫌を害さないように「ごめんね」を繰り返している。
「チョット待っててね。先生に聞いて来るね。」
爺さんは平然として待っている。
 テレビは甲子園大会愛知県大会の名電と東邦の決勝戦が繰り広げている。病人ではない待合室は野球に釘付けである。東邦の反撃で同点になり、次のバッターが倒れてチェンジになった時、看護婦さんが戻って来た。
「ごめんね。予約券がないと打てないんだって。」
爺さんが何か言ってるが、聞こえない。
「家に誰か居ないかなあ?」
「ごめんね」
「ごめんね」
看護婦さんの大きな声は聞こえるが、お爺さんの掠れた声は聞こえない。
 お爺さんが帰った。その後、中待合から出てきたお婆さんはお爺さんの座っていた前の座席に腰掛けた。受付から看護婦さんが出てきた。
「これ、接種証明書ね。」
と言ってお婆さんに渡そうとした時、思いもよらない言葉が出てきた。
「打ってもらってないよ。」
「えっ」
看護婦さんの絶句した声が聞こえた後、お婆さんの腕を確認していた。
担当した看護師が呼ばれてやってきて、
「ちゃんと打ちましたよ。先生も一緒に見てましたから、間違いないですよ。」
「どっちの腕にも打ってない。」
と言い張る。テレビの高校野球より二人のやり取りに注目が集まって、
「こっちに、来てください。」
とお婆さんを連れて行った。先生と一緒に説得するためらしかった。
 高齢者の相手は骨が折れる大変な仕事だと思うが、私の状況も彼等のそれを冷静に批評する資格はない。この日、妻に言われて問診票を書き検温してやってきた。
「この検温は1時間経っていませんか?」
こう聞かれ、1時間以内だと答えれば手間がなくていいけれども、嘘はいけないと思い、口籠った。すかさず、体温計を渡され椅子に座った。しばらくして受付の看護婦さんとの目が合って脇を指差したので、体温計を外して受付に持って行くと目盛がリセットされていた。別の体温計を渡され椅子に戻ると、今度は2分ほどして看護婦さんが出てきた。
「もう出してもいいらしい」
と理解した。無事、36.8を示す体温計を担当の看護婦さんに渡すことができた。補聴器をつけていながら二度も体温計の終了音が聞こえなかった。最初の検温は音が聞こえないばかりか時間が経ち過ぎて検温がリセットされた。
「ふーむ。疲れた。」
色んなことがあったあったが、私は無事にワクチンを打ち終えて、待合室の戻る時、「打ってない」と言い張ったお婆さんは、まだ中待合に座っていた。
 昔、還暦祝いで赤い「ちゃんちゃんこ」を着るのは十干十二支(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸と子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)でひと回り60年経過して、赤ん坊に戻る意味があると言われている。今日、クリニックで見た人たちは私も含めて赤い「ちゃんちゃんこ」がよく似合うようだ。

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