程暁農★米・中新冷戦は始まったのか? 2020年6月3日


 現在の米・中の対立を新たな冷戦とするならば、何度目の冷戦なのか?  中国とアメリカの冷戦で、実際に「最初の一発」を撃ったのは誰なのか? これらの疑問には、過去70年間の米中相互の関係を簡単に振り返ってその答えを見つけたい。

 最近では新冷戦、つまり「第2次冷戦」や「冷戦2.0」がメディアのキーワードになっている。 「冷戦」とは、当初は米・ソ冷戦の名残であるロシアと欧米の対立を指していたが、最近では米・中対立を意味する言葉になった。

★⑴ 新冷戦への予言から新冷戦の始まりまで

 「米・ロ間の新冷戦」という言い方が最初に登場したのは、2014年後半、ロシアがウクライナ東部の住民にロシア編入を促した時だ。米・フロリダ州のルビオ上院議員のコメントに代表される。

 今となっては、そのような言い方は大袈裟と考えるべきだろう。 これとほぼ同時に、新たな冷戦の予言があった。米・中間の冷戦だ。
米ロ間の新たな冷戦は勃発していないが、近年、米・中の新冷戦の話は、ますます増えている。

 昨年6月、ニューヨーク・タイムズ紙は「第2次冷戦を避けるには遅すぎるのか」という記事を掲載した。 そのわずか1年後には、米・中間の新たな冷戦の予言が現実のものとなったようだ。

 欧米のメディアで、米・中間の冷戦について頻繁に取り上げられるだけでなく、今や中国共産党幹部やマスコミでも、米・中新冷戦のという概念が用いられ始めた。

 今年5月26日にフランスの新聞「リベラシオン」に掲載された記事の中で、北京の時事解説者が「新型コロナの流行が国際舞台での北京の孤立を激化させている」と述べたことを伝えた。 国際舞台での北京の孤立は、国家イメージをひどく傷つけ、新たな冷戦の影を落としている。

  米・中新冷戦の可能性は、多くのウォッチャーたちが恐れていることだ。" そして、共産党の公式対外プロパガンダ・メディア「多維ニュースネット」は今年5月23日、「【ホワイトハウスの対中戦略的アプローチ】新冷戦宣言:勢い余って、正当化できず」を掲載した。

  中共の公式見解を示すこの記事は、トランプ政権の5月20日に議会に提出された「中国に対する米国の戦略的アプローチ」と題する報告書は、中国に対する戦略方針であ理、中国への戦略的アプローチであり、事実上の「新冷戦宣言」だとしている。

 実のところ、冷戦の始まりは宣言など必要としない。歴史上の全ての冷戦は宣言で始まったわけではなく、一連の行動から始まる。

 ★⑵ 米・中間の冷戦は、何回目?

 米・中間の新冷戦が第2次冷戦であるという言い方は、過去に冷戦が、米・ソ間での一度だけだったということを前提にしている。 今まではこれが大多数のオブザーバーや学者のコンセンサスだった。

 しかし、この見方は欧米中心の視点であり、アジアの視点に切り替えれば、世界には複数の冷戦があったことがわかる。 むしろ5回あったと言える。そして、5回ともアメリカと中国が関係していたのだ。

 冷戦とは大国間の政治的・軍事的緊張のことで、米ソ冷戦時のNATOとワルシャワ条約諸国の対立(代理戦争を含む)や、アメリカと中国のように、2つの大国間で起きることがある。この種の状況は、米・中間では計5回起きた。

 中国共産党が初めて「冷戦」に突入したのは朝鮮半島だった。1949年に金日成に韓国を攻撃するための主力歩兵部隊を提供し朝鮮戦争が勃発した。 この戦いの中で、中国共産党はソ連の代理人の役割を果たし、アメリカ人を中心とした国連(UN)軍と3年間戦った。 国連軍の司令官である米陸軍のマッカーサー元帥は、軍事的勝利のために中国の北東部への 核兵器攻撃を提唱し、トルーマン大統領に罷免された。

 中共が2度目の冷戦に突入したのは、1958年夏の金門砲撃戦の時で、金門島の国民党支配下の領土を大量に砲撃した。 アメリカ陸軍は、国立陸軍の輸送船を護衛するために第七艦隊を発進させた。 毛沢東は当時、ソ連のフルシチョフ書記長に、米軍の地上部隊を福建省に上陸させるために米艦隊を砲撃することを提案していた。

 中共軍は戦って退却し、米軍を本土内地に引き込んだ後、ソ連が中国に核兵器を持って攻撃して米軍を全滅させることを希望したが、フルシチョフは、これを断った。米・中の軍事衝突が迫っていた当時、米艦隊は米中の交戦を避けるために、陸上慎重に離脱した。

 中共が戦った第3次冷戦は、1965年に南シナ半島の北ベトナム軍を支援して南ベトナムを大規模に攻撃したものだ。北ベトナムは中国共産党の代わりに米軍に挑んだ代理戦争だ。 この戦争では、中共は大規模な工兵隊や高射砲を配備して、北ベトナムの輸送施設を建設し、上空防衛を行い、北ベトナムを爆撃した米軍機の多くを撃墜した。

 4回目の冷戦は、1969年に中国とソ連との間で小国境戦争を行った際に、ソ連側が 戦術核で北京を攻撃しようとした。その時、アメリカは、ソ連を核戦争で脅し、その試みを断念させた。中共にとって、現在の米・中新冷戦は5回目なのだ。

 この5回の米・中冷戦には3つの共通点がある。 第一に、すべて中共が主導した。第二に、すべて米国と関係がある。第三にすべて核戦争を誘発しかねないものであった。 四つの冷戦は毛沢東によって、平均して5年に1回のペースで始められたのだ。

 今回の第5次冷戦は、第4次冷戦とは50年の隔たりがある。だが、中共は最終的に 米国との平和的な競争を、敵対的で冷戦的な関係に変えたのだ。中共は、自ら引き起こした冷戦の数では世界記録を樹立したと言える。

★3 過去70年間の米・中関係の5段階

 21世紀に入って中国が経済のグローバル化に参入して以来、米中関係は、双方の経済的利益を重視したものから、徐々に現在の新冷戦状態の対抗関係に変化してきた。現在の冷戦の対立状態では、国の安全保障問題が米・中関係を支配している。

 この質的変化は偶然か? 中共が米国に対して行ってきた5つの冷戦との関連性は、考えさせられる。一度だけの冷戦なら、意思決定での誤りとみなされるかもしれない。しかし、5度の冷戦を行うことは、もはや意思決定の誤りとは解釈できない。

 では、中共は歴史的に対米関係をどう扱ってきたのか。中共が成立してからの70年間の米・中関係は、大きく分けて次の5段階に分けられる。

 第一段階は、米・中関係樹立の拒否とソ連のへの傾斜だ。 1949年、中共軍の進撃によって、国民党政府はまず広州へ撤退、そして重慶へと撤退し最後は台湾へたどり着いた。 当時、大使館は国民党政府との関係を維持していた。ソ連大使館を含め、国民党政府と一緒に広州に撤退したのだった。これはソ連が国民党政府を支持していたことを意味する。

 しかし、大使館の中にも例外があった。それがアメリカ大使館だったのだ。アメリカ大使館は南京に留まり、人民解放軍が南京を占領した際には、中共との外交協力を協議する準備ができていたのである。 当時の駐中国米国大使は、ジョン・レイトン・スチュアート(宣教師の教育者であり、延慶大学の初代学長であり、後に中国への米国大使)という流暢な中国語を話す人物で、1949年4月下旬から8月上旬まで南京に滞在していた。しかし 中共は一貫して彼との接触を拒否し、その結果、彼はアメリカに帰国するしかなかった。 アメリカはチャンスを失い、中共は米・中関係を壊し、スターリンの抱擁に頭から飛び込んで行ったのだった。

第二段階:ソビエト連邦は蜜月から対立へ。ソ連は中共を核攻撃しようとして、アメリカが中国を助けた。 この段階の20年では、毛沢東は、全世界の共産党の指導者になるために、米英を追い抜く「大躍進」運動を展開した。 その結果、完全に失敗し、数千万人の農民を餓死させ、ソ連との決裂を招き、国境紛争を起こすほど悪化。ソ連は北京に核弾頭を向け、最後には、アメリカがソ連を脅して中共を救ったのだった。

第三段階:中米の蜜月時代、双方がソ連を相手に共同戦線。 この局面もニクソンの訪中からソ連崩壊までの20年。米・中が、暗黙の了解のもとに、同盟国としてソ連を相手にしていた時期。

第四段階:米・中協力の期間、双方の経済関係の深化。 30年近くになるこの局面では、双方が経済パートナーとなり、中国共産党が深入りしたのは 経済交流。中国は巨大な経済と技術の利益を刈り取り、好景気の到来を告げた。

第五段階:米中関係が徐々に悪化し、最終的には対立へ。 この質的変化は、大体2019年の米・中経済・貿易交渉から始まり、最近ではこの質的変化が顕著に。経済的なパートナー関係から、国家安全保障の観点から相互に敵対する関係に変化した。


★⑷ 米・中新冷戦はなぜ起きたのか?

 1949年、米・中関係は崩壊し、国交樹立を待っていたアメリカ大使を追い払ったのは中共側だった。 現在、米・中関係が質的に悪化しているが、その最初の弾を撃ったのは中共側である。 米・中新冷戦の直接的な理由は3つある。

 第一に、中共は20年以上前から米国の技術機密の大規模な盗用を組織的に行ってきたが、それを認めない。いまだに遅れている米・中貿易・経済交渉は、技術機密の盗用という中心的な話題が”陰干し”状態なのだ。 この政府によって組織化された大量犯罪の目的は、米・中貿易・経済交渉で、米国はこの問題を真剣に受け止め始めている。 米中新冷戦への突入は、20年以上前から埋められていた「地雷」とも言える。

 次に、第二に、新型コロナウイルスの流行は、米国の経済と国民生活に大きな損失をもたらし、中共は自らの責任を取ろうとしないだけでなく、流行の責任を米国に押し付けようとした。その上「戦狼」外交を外交交渉の手段としている。 この一連の行動は、米・中当局間の価値観の対立を公にしたことを意味し、中共の行動は、アメリカの最後の信頼と理性の期待を完全にぶち壊したことを意味する。

 最後に、今年の1月下旬、中国共産党の海軍、空軍、ロケット軍、戦略支援部隊がミッドウェー島海域で演習を行うなど、牙を剥くような作戦を展開した。(程暁農★米・中ミッドウェーの海上対決の意味 2020年4月10日参照)

 上記三つの問題について、米国は当初、外交交渉による解決を望んでいたが、中共の行動により、最終的に、米国は 中共がいささかも相互的関係を維持するために自分の企みを放棄しようとしないのなら、中共に対して防衛体制を敷き、国家の安全を図るしかない、という結論に達した。

 先述の「中国に対する米国の戦略的アプローチ」には、「穏やかなが外交手段は無益な徒労に終わった時、米国は中国政府に圧力を強め、必要とあれば、代価を払っても米国の利益を守るだろう」と書いてある。

 米・中関係のハネムーンの日々と同盟関係の形成を思い起こせば、ソ連に核戦争で脅しをかけた時は、アメリカの主導で中共が核兵器で全滅させられる危機から中国は救われた。米・中関係の悪化は中共が始めたことなのだ。 アメリカは、中共が大惨事に直面していた時に助け、経済・貿易協議では外交交渉で解決しようとしてきた。「徳を以って怨に報いた」と言える。

 しかし、中共の行動は、恩を仇で返すもので、一寸をえて更に一尺を望もうとする行為によって、米国を弱体化させ、自分たちが取って代わろうとしてきた。だから、米・中関係は日を追って後退し、1970年から80年にかけてのハネムーンと盟友の関係は、米国がいまだに信頼しようとする経済パートナーへ、さらには、どうにも信用のならない敵、と悪化の一途をたどって、今日の新冷戦状態に立ち至ったのだ。(終わり)

 原文は;中美新冷战正式开始了吗? 

中美新冷战正式开始了吗?
2020年6月4日
如果中美之间的对抗算是新冷战,那目前是中美之间的第几次冷战?中美之间发生了几次冷战,究竟是谁开的“第一枪”?我想通过对中美过去七十年间相互关系的大略回顾来回答这几个问题。

最近,新冷战,或称第二次冷战以及冷战2.0,成了媒体上的热门词语。起初,新冷战指的是俄国和西方之间的对抗,这实际上是美苏冷战的余疑;但是,最近新冷战变成了中美之间对抗的代名词。

一、从新冷战预言到新冷战开始

最早出现的有关美俄新冷战的说法是2014年底俄国鼓励东部乌克兰居民脱乌入俄之后,以美国佛罗里达州参议员卢比奥的言论为代表。现在看来,这样的看法应该算是一种过激反应。几乎就在上述时刻,还出现了另一种对新冷战的预言,这个说法指的是中美新冷战。美俄新冷战并未爆发,但近年来关于中美新冷战的议论却越来越多。去年6月《纽约时报》刊登了一篇文章,《我们还来得及避免第二次冷战吗?》;仅仅一年之后,这个关于中美新冷战的预言似乎就变成了现实,不但西方媒体开始频繁地谈论中美新冷战,连中共官员和媒体都开始使用中美新冷战的概念了。

法国《解放报》今年5月26日发表文章,引述北京的一位时事评论员指出,“新冠疫情加剧了北京在国际舞台的孤立处境,使北京的形象遭受重挫,也使新冷战的阴影密布。中美之间可能爆发新的冷战,这是绝大多数观察家的担忧所在”。而中共的外宣官媒《多维新闻网》今年5月23日发表了一篇文章,《【白宫对华战略方针】新冷战宣言:气势有余,理据不足》。这篇代表中共官方立场的文章,把特朗普行政当局根据2019财政年度《国防授权法案》的要求,于5月20日向国会递交的《美国对华战略方针》(United States Strategic Approach to The People's Republic of China),称为“新冷战宣言”。其实,冷战开启并不需要宣言,历史上的冷战也不是以宣言为开端的,所有的冷战都是从一系列行动开始的。

二、中美新冷战是第几次冷战,第一次还是第五次?


所谓中美新冷战是第二次冷战的说法,其前提是,此前世界上只有一次美苏冷战。到现在为止,这似乎是绝大多数观察家和学者的共识。然而,这种看法是西方中心论的观点;如果换成亚洲的角度,就会发现,世界上不只一次冷战,而是五次;而且,这五次都与美中两国有关。

冷战指的是大国之间发生的政治与军事紧张局势,可以发生在两大集团之间,比如美苏冷战时北约与华沙条约组织之间的对抗,包括代理人战争;也可以是两个大国之间的直接对抗或代理人战争,这种情况在中美之间一共发生过五次。

中共第一次进入冷战是在朝鲜半岛,中共1949年为金日成提供了进攻韩国的步兵主力,于是爆发了朝鲜战争。在这次冷战中,中共扮演的是苏联代理人的角色,与以美军为主的联合国军作战达三年之久。联合国军总司令、美国陆军五星上将麦克阿瑟为了取得军事上的胜利,曾主张进攻中国的东北地区并使用核武器,因此被杜鲁门总统撤职。

 中共第二次进入冷战是1958年夏季的金门炮战,那时解放军大规模炮击国军占领地域金门岛,美军出动第七舰队为国军的运输船舰护航。当时毛泽东曾向苏共总书记赫鲁晓夫建议,可以炮击美军舰队,诱使美军地面部队登陆福建,然后中共军队且战且退,把美军引到大陆内地后,让苏联用核武器打击中国,歼灭美军,但被赫鲁晓夫断然拒绝。在那个中美军事冲突一触即发之际,美军舰队小心地驶离近岸地区,避免了中美交战。


 中共发动的第三次冷战是1965年在中南半岛支持北越军队大规模进攻南越,北越为中共打了一场挑战美军的代理人战争。在这场越南战争中,中共大规模出动工兵和高射炮兵为北越修筑交通设施、提供防空保护,击落了许多轰炸北越的美军飞机。

 中共第四次进入冷战是中苏交恶,直到1969年中共发动了对苏联的小规模边界战争,当苏联决定用战术核武器打击北京时,美国对苏联发出核大战威胁,迫使苏联放弃其企图,从而解救了中共。现在的中美新冷战是中共第五次进入对美冷战。

这五次中美冷战有三个共同特点。第一,都是中共主动发动的;第二,都与美国有关;第三,都可能诱发核战争。前四次是毛泽东发动的,平均每五年一次;第五次冷战与第四次间隔了50年,但中共最后还是把与美国的和平竞争变成了敌对和冷战关系。可以说,中共创下了全球各国发起冷战次数的世界记录。

三、七十年来中美关系的五个阶段


自从中国于本世纪初加入经济全球化之后,中美关系逐步改变,从注重双方的经济利益,逐渐变成了当下冷战状态中的对抗关系,即国家安全主导了美中关系。这种质变的发生是偶然的吗?联系到中共对美发动的五次冷战,就令人深思了。发动一次冷战,或许可以说是决策失误;发动五次,就不能再理解为决策失误了,看起来很象是一种制度型产物。中共历史上是如何处理对美关系的呢?中共建立政权后的七十年里,中美关系大致可以分为以下五个阶段。

第一个阶段:拒绝中美交往,投入苏联怀抱。1949年共军打过长江,国民政府先撤广州,再撤重庆,最后撤到台湾。当时各国大使馆都随同败退中的国民政府去了广州,其中包括苏联大使馆,苏联仍维持与失败了的国民党政府的正式外交关系,这代表着苏联对国民政府的外交支持;但各国大使馆当中有个例外,那就是,美国大使馆留在南京,准备等解放军占领南京后和中共商谈外交上的合作。当时的美国驻华大使是个中文很流利的中国通,叫司徒雷登,他在南京从1949年4月下旬等到8月初,中共始终拒绝和他接触,结果只好回美国。美国失去了机会,中共摧毁了美中关系,一头栽到斯大林的怀抱中。

第二个阶段:中苏从蜜月变成对抗,苏联要核打击中共,美国出手相救。这个阶段共20年,毛泽东为了争当共产党阵营的“老大”,发动“赶英超美”的“大跃进”运动,结果彻底失败,饿死了几千万农民,也和苏联翻了脸。中苏关系恶化到双方在边界开打,苏联把核弹头对准北京城,最后是美国出手威胁苏联,救了中共一命。

第三个阶段:中美蜜月期,双方共同对付苏联。这个阶段也是20来年,从尼克松访华到苏联解体,那一时期中美是对付苏联的盟友关系,有很多默契。

第四个阶段:中美合作期,双方经济联系日益深化。这个阶段差不多30年,双方是经济合作伙伴关系,中共通过加入经济全球化,与美国进入了深度经济交往,中国在经济、技术方面收获巨大,迎来了经济繁荣。

第五个阶段:中美关系恶化期,双方关系逐渐恶化,最后变成了对抗关系。这个质变大概从2019年中美经贸谈判开始,最近这个质变越来越表现出比较明显的特征,那就是,双方关系从经济伙伴为主变成了国家安全上互相敌对的关系。

四、中美新冷战因何发生?


1949年中美关系被摧毁,是中共开的“第一枪”,赶走了等待建交的美国大使。如今中美关系发生恶化型质变,还是中共开的“第一枪”。这次中美新冷战的发生,可以说,有三个直接原因。

首先,过去二十年多里,中共组织了大规模盗窃美国技术机密的活动,但它拒绝认账,试图玩弄目前尚在拖延的中美经贸谈判,把技术机密的盗窃活动这个核心话题阴干。这种政府组织的大规模犯罪行为的目标是掏空美国的经济技术基础,直到中美经贸谈判时,美国才开始认真对待这个严重的问题。可以说,中美进入新冷战,其实在二十多年前就埋下了“伏雷”。


其次,这次新冠病毒疫情事件造成了美国经济和美国民众生命的惨重损失,中共不但把自己的责任一赖干净,而且诬陷美国是病毒来源,再用“战狼外交”代替外交谈判。这一系列行动意味着中美当局的价值观对立公开化,中共的作为完全摧毁了美国残存的最后一点信任和理性期待。

最后,今年1月底中共海军、空军、火箭军、战略支援部队在中途岛海域演习等“亮剑”行动发生后(请参见今年4月10日我在SBS发表的文章《中美对阵中途岛》),中共根本不打算通过外交手段来缓和美国对此的高度警惕,反而沾沾自喜,认为美国会落下风。

对以上三个问题,美国原来希望通过外交谈判来解决双方的争执,但中共的行动使得美国最后得出了结论,外交谈判没指望,因为中共丝毫不打算为维持双边关系而放弃它的企图,因此,美国只能进入针对中共的防卫状态,以维护美国的国家安全。上文提到的《美国对华战略方针》写道:“当平静的外交手段被证明是徒劳无益时,美国将加大对中国政府的公众压力,并在必要时付出相应的代价来保护美国的利益”。

回顾中美关系的蜜月和盟友关系的形成,是美国主动出手用核大战威胁苏联,才把中共从被苏联用核武器灭国的危境中解救出来的;而美中关系的恶化,始作俑者是中共。美国在中共面临灭顶之灾时出手相救,又在经贸谈判期间一直试图通过外交谈判来解决问题,可以算是以德报怨;而中共的行为则表现出恩将仇报,得寸进尺,试图削弱美国,此消彼长,取而代之。因此美中关系日益退化,从上世纪70到80年代的蜜月和盟友,变成美国仍然试图信赖的经济伙伴,再变成美国再也无法信任的敌手,现在就走到了这样一个新冷战状态。


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