見考企行 経済の落とし穴1
Cev21掲載 1990.6.10
デザインは次第に重要さを増し、企業におけるデザイナーは知的経営資源として組織と個人の橋渡しをすると思われる。つまり、デザイナーの役割は、物をつくる過程で得た知識を基にユーザーの肉体的側面から要求されるものや、情緒的な性格を伴ったニーズを理解して回答を与え、利益をもたらすことではないでしょうか。
(新しい文化)
いうまでもなく、人間の歴史は農業の発明から米国NASAの宇宙計画に至るまで、すべて自然に対する挑戦であり、同時に多くの文化遺産にみられるように無限のロマンチシズムに満ちた生産活動の連続でもあった。
このようにロマンに満ちた創造的の生活活動の炎は今も燃え続けそれが現代においてもなお人々を駆り立てている。同時にそれは、「何かをつくり出すことであり、一途に何かをぶつける」ことで生きがいを感じることでもあった。しかし、豊かさを求めて働いてきた人間は、豊かさを手に入れると「生きがいとは何か」「いかに生きるべきか」を考えなければならなくなった。
時代の思潮は効率追及のためにシステム化された強大な力に押し流され、歯車意識が高くなり、生きがいに迷いを生じるようになってきた。昔は、食うために切実であった。
今は、そうではない。そのために、人々から切実さがなくなった。豊かさを求めて浮草のように時の流れに身をまかせた生活が目につくようになってきた。
生き抜くために考え、悩み、苦しみ困難をはねのけて前進するという、生に執着した基本的な人間的喜びを味わえなくなっている。それは目的を持たず、努力しないでも生きられるということが、原因の一つのように思われる。その意味では、豊かさは人間らしさと切実さを失わせる危険な落とし穴ということもできる。
(インスタント時代)
人間は「いつでも、すきな時に、欲しいものが手に入る」ことを夢見て効率と利便性を求めてきた。それが結果として文明を発達させることになるのであるが、そこから生まれてきたものの一つにインスタント文化がある。
インスタント食品によってもたらされた食生活の安易さ、ビデオカメラやポラロイドカメラによる「写した時が見たい時」という状況に代表される情報収集の容易さ、新書版に代表される「ハウ・ツー文化」、その他オートマチックカーなど、実に世の中は便利になったものである。
そうした中で生活しているうちに、努力し、苦労して考えることを忘れて人の真似やわずかばかりの応用能力だけで作ることを覚えることになる。その結果、主体的につくり出す労働から開放された時の喜び、努力の尊さ、苦労に耐えてつかみ取った成功の感動を味わえなくなっている。
このように現代人は、効率と能率をキーワードに結果を求め、ハウ・ツーを求め、挙げ句の果ては日本の文化や芸術さえもインスタントになりそうである。
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